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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

924避難民のマジレスさん:2020/06/02(火) 08:36:30 ID:WhCvvMPA0
変化の緊要

   秩序 2

K これは、達成、成功、失敗とは何の関わりもありません。確かに、ただ一つの生きる道があるにちがいありません。それは何でしょうか。

質問者 それが私の疑問です。

K 始まりもなく終わりもないし、あなたの願望によって灯されないし、あなたのや他の誰かのではない光を、あなたの内に持つこと。この内的光があるとき、あなたが何をしようとも、いつも正しく真実であるでしょう。

質問者 格闘、探求、あこがれ、疑問のすべてなしに、その光をいま、どのように得るのでしょうか。

K あなたが本当に過去に対して完全に死ぬときにだけ、それは可能です。そして、これは、頭脳に完全な秩序があるときにだけ、できるのです。頭脳は無秩序に耐えられません。無秩序があるのなら、その活動すべては矛盾的で混乱し悲惨になるでしょうし、それはそれ自身とそれ自身のまわりに危害をもたらすでしょう。この秩序は、思考の企画、原理(へ)、権威(へ)、何かの形態の想像された善への服従の企画ではありません。葛藤、抗争をもたらすのは、頭脳の無秩序です。そのとき、この無秩序から逃避するため思考が養成した、宗教的その他のさまざまな抵抗すべてが、生じるのです。

質問者 この秩序は、それ自体が無秩序で矛盾的である頭脳へ、どのようにもたらされるのでしょうか。

K それは、一日中見張ることにより、それから眠る前に、日中になされたことごとくを秩序立てることにより、できるのです。そのとおりに頭脳は無秩序のなか眠りに就きません。これは、本当は(頭脳の)なかとまわりに無秩序があるときに、頭脳が自分自身に催眠をかけて秩序の状態にする、という意味ではありません。昼の間に秩序があるのでなければならないし、眠る前にこの秩序を締めくくることが、一日が調和的に終わることなのです。それは、帳簿を付け、毎晩それを適正に決算し、そのため次の日新たに始めるようにし、そのため眠りに就くとき、心が悩み混乱し心配で恐れているのではなく、静かで空っぽであるようにする人に、似ているのです。彼が目覚めるとき、思考や楽しみの産物ではないこの光があるのです。この光は、智恵と愛なのです。それは、私たちが育てられてきた道徳という無秩序の否定です。

質問者 私は即時に無媒介にこの光を得られるでしょうか。それが、私がまさに最初に訊ねた疑問です。ただ私はそれを違うように表しただけなのです。

K 「私 'me' 」がないとき、それを即時に無媒介に得られるのです。「私 'me' 」は、自らが終わらなければならないことを自分自身で見るとき、終わりになるのです。見ることが理解の光なのです。
(´・(ェ)・`)つ


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