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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

918避難民のマジレスさん:2020/05/30(土) 04:44:45 ID:uVMlvQas0
くまめも25-1

芸術家は、強い感情を持ち、それを表現する。深い感情とその表現の間には多大な違いがあるし、表現が強い感情に相応しないとき、欲求不満がある。この不満足が、苦しみの原因の一つ。ここには葛藤がある。
表現→人々を楽しませ、その人の作品を買う→金と評判を得る→表現は、注目され、流行→それを洗練、発達させる→いつのときにも自分自身を模倣→表現は習慣的、様式化される→表現はますます重要になり、最終的には感情よりも重要になる→感情は蒸発→芸術家は、成功した画家としての社会的結果とともに、残される→社会のために絵を描き、その社会の奴隷になる。
感情ははるか前に消えたし、表現は残る空っぽの殻。結果的にこの表現さえ魅力を失う。なぜなら、それは何も表現するものがなから。それは意味のない身振り、言葉。これが、社会の破壊的過程の一部。これが良いものの破壊。
質問者 感情は、失われず残れないか。
K 楽しめ、満足でき、収益が上がる→表現ばかりが重要になる→表現と感情の間に断裂。感情=表現→矛盾、葛藤がない。収益と思考が介入→感情は欲をとおして失われる。
感情の情熱は、表現の情熱とは全然違う。人々は表現の情熱に捕らわれる。それで、良いものと楽しめるものとの間には、いつもこの分割がある。
重要であるのが感情→けっして表現について訊ねない。感情を持っているのか、いないのかのどちらか。表現について訊ねる→芸術性ではなく収益について訊ねている。芸術性は、けっして勘定に入らない→生きること
質問者 生きて有るとは、それ自体が完全である感情を持つとは、どういうことか。
K それは葛藤なく生きること。
(´・(ェ)・`)


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