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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

912避難民のマジレスさん:2020/05/28(木) 03:56:39 ID:Q9kJ3fsg0
変化の緊要

   情熱と受苦 2

質問者 それでは、情熱自体は何なのでしょうか。

K それは、喜びと忘我と関わります。これらは楽しみではありません。楽しみにはいつも微細な形態の努力があるのです - 探し求め、奮闘し、要求し、それを保とう、それを得ようと格闘すること、です。情熱には、要求がないし、ゆえに格闘がないのです。情熱には充足のいささかの影もないし、ゆえに欲求不満も苦しみもありえないのです。「私 'me' 」は充足と苦しみのすべての中心ですが、情熱は「私 'me' 」からの自由です。情熱は、有るから、要求しないのです。私は、何か静止したものについて語っているのではありません。情熱は、「あなた」と「私 'me' 」がない自己放棄のきびしさです。ゆえに、情熱は、生、いのちの本質です。動き生きるのは、これなのです。しかし、思考が、持つこと、保つことの諸問題すべてを持ち込むとき、情熱は停止するのです。情熱なしには、創造は可能ではないのです。

質問者 あなたのいわれる創造とは、どういう意味なのでしょうか。

K 自由です。

質問者 どういう自由ですか。

K 環境に依存し環境の産物である「私 'me' 」 - 社会と思考により組み立てられる「私 'me' 」 - からの自由です。この自由は明晰さであり、過去から灯されない光です。情熱はただ現在のみなのです。

質問者 私には、ふしぎな新しい感情が、燃え立ちました。

K それが学びの情熱です。私が日々生きるなか、どういう特定の行為が、この情熱が燃えて作動していることを、確実にしてくれるのでしょうか。

質問者 学びの注意以外に、何もそれを確実にしてくれないでしょう。その注意は行為であり、いまなのです。これには情熱の美しさがあるし、それは「私 'me' 」とその時間の全的放棄です。
(´・(ェ)・`)つ


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