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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
884
:
避難民のマジレスさん
:2020/05/18(月) 23:18:01 ID:sSVBh.220
変化の緊要
条件づけ 4
K 自分自身を欺瞞することはこんなに容易で、そもそも何でも確信することはこんなに容易です。自分は何かであるのでなければならない(、何かであるにちがいない)という感情は、欺瞞の始まりですし、もちろんこの理想主義的(観念論的)態度は、さまざまな形態の偽善につながるのです。何が幻想を作るのでしょうか。まあ、要因の一つは、有るものと有るべきものや有ってもよいもの(有るかもしれないもの)との間のこの常なる比較、善し悪しの間のこの計量です - 思考がそれ自体を、楽しみの記憶を改良しようとし、もっと楽しみを得ようとするなどです。何かを受け入れさせたり、信じさせたりするのは、もっと多くへのこの願望、この不満足です。これは必然的に、あらゆる形態の欺瞞と幻想につながります。目標を、経験されるべき帰結を投影するのは、願望と恐怖、希望と恐怖です。ゆえに、この経験に実在性はないのです。いわゆる宗教的経験すべては、この様式に従います。悟りへのまさに願望もまた権威の受け入れを生み育てるにちがいないし、これは悟りの対極です。願望、不満足、恐怖、楽しみ、もっと多くをほしがること、変化したがること、そのすべてが計量です - これが幻想の道なのです。
質問者 あなたは本当に、何にも全く幻想をもたないのでしょうか。
K 私はすべてのときに私自身や他の人たちを計量しているのではありません。この計量からの自由は、あなたが本当に、有るものと生きている - それを変化させたいと望むのでもなく、それを善し悪しということにおいて判断するのでもない - とき、訪れるのです。何かと生きるとは、それの受け入れではありません。あなたが受け入れようと入れまいと、それはあるのです。何かと生きるとはまた、あなた自身をそれと同定することでもないのです。
質問者 本当にほしいこの自由は何なのかという疑問に、戻れるでしょうか。この自由への願望は、あらゆる人に、ときには最も愚かな仕方で表現されるのです。しかし、人間の心にはいつも、けっして実現されない自由へのこの深いあこがれがあると言える、と私は思うのです。自由になろうとするこの絶え間ない格闘があるのです。私は私が自由でないのを知っています。私はこんなに多くのほしがりに捕らわれています。私はどのようにして自由になれるのでしょうか。本当に正直に自由であるとは、どういう意味なのでしょうか。
K おそらくこれが、私たちがそれを理解する助けになるかもしれません - 全的自由がその自由なのです。私たちが肯定的であると考えるものごとすべてを否定する。全社会道徳を否定する。権威の内的受け入れすべてを否定する。真実について自らの言ったり結論してきたことすべてを否定する。伝統すべて、教えすべて、科学技術的知識以外の知識すべてを否定する。経験すべてを否定する。憶えられたり忘れられた楽しみから派生する欲求すべてを否定する。充足すべてを否定する。特定の仕方で行為する参与すべてを否定する。観念すべて、原理すべて、理論すべてを否定する - こういう否定が最も肯定的な行為ですし、ゆえにはそれが自由なのです。
(´・(ェ)・`)つ
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