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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
765
:
避難民のマジレスさん
:2020/04/15(水) 22:59:18 ID:J37r6Elk0
変化の緊要
修練 2
質問者 あなたは単に、適切に見るには客観的でなければならない、と言われているだけではないでしょうか。
K はい。しかし、客観的という言葉は十分ではありません。私たちが話していることは、顕微鏡の荒い客観性ではありません。慈悲、敏感さ、深さのある状態です。私たちが言ったとおり、修練は学ぶことです。そして、きびしさについて学ぶことは、自分自身や他の人へ暴力をもたらしません。一般的に理解されている修練は意志の行為です。これ(意志の行為)は暴力です。
世界中の人々は、自由は長期の修練の果報であると考えるように思われます。明らかに見ることは独自の修練です。明らかに見るには、制御された視覚ではなく自由があるのでなければなりません。それで、自由は、修練の終わりにあるのではなりません。自由の理解は独自の修練です。二つは分離不可能にともないます。あなたがそれらを分離するとき、葛藤、抗争があるのです。その葛藤、抗争を乗り越えるため、意志の行為が存在するに至り、もっと多くの葛藤、抗争を生み育てるのです。これは終わりなき連鎖です。それで、自由は終わりにではなく、始まりにあるのです。始まりは終わりです。このすべてについて学ぶことは、独自の修練です。学び自体が敏感さを要求します。もしあなたがあなた自身に - あなたの境遇、あなたの諸関係に - 敏感でないなら、身のまわりで、台所や世界で起きていることに敏感でないなら、そのときあなたは、どれほどあなた自身を修練しても、ますます鈍感に、ますます自己中心的になるだけです - そしてこれが、無数の問題を生み育てるのです。学ぶとは、あなた自身とあなたの外側の世界に敏感であることです。外側の世界はあなたであるからです。あなたがあなた自身に敏感であるのなら、必ず世界に敏感であるのです。この敏感さは、最高の形態の智恵なのです。それは専門家 - 医者、科学者、芸術家 - の敏感さではありません。そういう断片化は敏感さをもたらさないのです。
敏感さがないのなら、どうして愛せるでしょうか。感傷性と情動主義は敏感さを拒否します。なぜなら、それらは恐ろしく残酷であるからです。それらは戦争に責任があるのです。それで、修練は、軍曹の訓練、しつけではありません - 練兵場においてもあなた自身においても。それ(訓練、しつけ)は意志なのです。一日中、眠りの間にも学ぶことは、春の新しい若葉のように優しく、光のように速い、独自のとてつもない修練を持つのです。これには愛があるのです。愛は独自の修練を持つのです。それの美しさは、訓練され、しつけられ、形作られ、制御され、拷問される心を、避けるのです。こういう修練なしに、心はあまり遠くに行けません。
(´・(ェ)・`)つ
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