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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
763
:
避難民のマジレスさん
:2020/04/14(火) 23:26:42 ID:w4gM/.aE0
くまめも1
修練は、修学する、学ぶ、という意味。順応、抑圧するのではなく、受け入れられた権威が高貴だと考えるものの様式を模倣するのではない。
学ぶなかに蓄積はない。知識は蓄積、結論、定式だが、学びは中心なき、始まりや終わりなき動き。自分自身について学ぶには、学びに蓄積があってはだめ。もしあるなら、単に蓄積された知識に付け加えること。学びは、知覚、見ることの自由。自由でないなら、学べない。学びは独自に修練。
順応と制御のすべてを拒否する。制御は様式の模倣であるから。様式は抑圧で、「有るもの」の抑圧。良いものと悪いものとの定式があるとき、「有るもの」について学ぶことは拒否される。「有るもの」について学ぶことが、「有るもの」からの自由。学びは、最高の形態の修練。学びは智恵と敏感さを要求する。
司祭と僧侶のきびしさは、荒い。きびしさは一般的に、修練、しつけ、順応の残忍をとおした自己拒否と同定される。聖者は愚かで偽物。これを見ることが智恵。こういう智恵は、果ての深みに飛び込み対極へ行くことがない。智恵は、両極端を理解し、ゆえにそれを回避する敏感さ。しかし、それは、二つの間の中間に留まる慎重な凡庸ではない。このすべてを明らかに知覚することは、それについて学ぶこと。それについて学ぶには、結論と偏見のすべてからの自由が必要。こういう結論と偏見は、中心、自己からの観察。それら(中心、自己)が志し、方向づける。
(´・(ェ)・`)
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