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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

754避難民のマジレスさん:2020/04/13(月) 00:08:54 ID:Cz3UsmlA0
変化の緊要

   自殺 4

K 私たちはこれを理論的に議論しています。もしも私が個人的に末期癌を持っていたなら、そのとき私は決断するでしょうし、何をすべきなのかを考慮するでしょう。それは理論的な疑問ではないでしょう。そのとき私は、何が最も智恵あるなすべきことなのかを、見出すでしょう。

質問者 あなたは、私がただ実際にその立場にあるのでないと、この疑問を理論的には訊ねられないと言われているのでしょうか。

K まさにそうです。そのときあなたは、あなたの条件づけに応じ、あなたの智恵に応じ、あなたの生きる道に応じて行為するでしょう。あなたの生きる道が回避と逃避、神経症的な事態であったのなら、そのとき明白に神経症的な態度と行為を取るでしょう。しかし、あなたが真実の智恵の生を - その言葉の全的な意味において - 送ってきたのなら、末期癌があるとき、その智恵が作動するでしょう。そのとき、私はそれに耐えるかもしれません。私は、私に残されたもう数ヶ月か数年を生きようと言うかもしれません。

質問者 そう言わないかもしれません。

K 私はそう言わないかもしれません。しかし、自殺は回避不可能であるとは言わないようにしましょう。

質問者 私は一度もそうは言っていません。私は、末期癌といった一定の逼迫した境遇のもとでは、自殺はおそらく状況への智恵ある応答でありうるのかどうかを、訊ねたのです。

K おわかりでしょうが、これには何かとてつもないことがあるのです。生はあなたに大いなる幸せをもたらしてくれました。生はあなたにとてつもない美しさをもたらしてくれました。生はあなたに大いなる利益をもたらしてくれました。あなたはそのすべてとともに進みました。同等に、あなたは不幸せであるとき、それとともに進みました - これも智恵の一部です。いまあなたは、末期癌に至ります。そして、「私はもはやこれに耐えられない。私は生を終わりにしなければならない」と言うのです。なぜあなたは、それとともに動き、それとともに生き、進んでいきながらそれについて見出そうとしないのでしょうか。

質問者 言い換えるなら、その状況にあるまで、この疑問には返答がないのです。

K 明白です。しかし、そういうわけで、私たちが瞬間に瞬間に所作に向き合い、「有るもの」に向き合う、それについて理論化しないことがとても重要であると私が感じるのは、分かるでしょう。もし誰かが病んで、絶望的な癌を病んでいたり、完全に老衰してしまったなら - 私のような単なる観察者にとってではなく、医者、妻、娘にとって、何が最も智恵あるなすべきことなのでしょうか。

質問者 本当はそれに答えられません。なぜなら、それは他の一人の人間にとっての問題であるからです。

K まさにそうなのです。それこそが、私の言っていることなのです。

質問者 そして、他の一人の人間の生や死について決断する権利はないように、私には思われます。

K しかし、私たちはそうするのです。暴政すべてはそうなのです。そして、伝統はそうなのです。伝統は、あなたはこのように生きなければならない、あなたはあのように生きてはならないと言うのです。

質問者 そしてまた、自然が譲ったであろう点を越えて人々を生かしつづけることが、伝統になろうとしています。医療技術をとおして、人々は、生かされつづけます - まあ、何が自然の状況なのかを定義することはむずかしいのですが、しかし、今日の多くの人々ほど長く生存しつづけることは、たいへん不自然に思われるのです。しかし、それは異なった疑問です。
(´・(ェ)・`)つ


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