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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

70避難民のマジレスさん:2019/07/17(水) 15:36:00 ID:73lwfNNQ0
ラマナ・マハルシとの対話67

1935年7月21日

南インド鉄道で働くK・S・N・アイヤール氏が言った。

「瞑想をしていると、些細なことで立ち止まってしまうときがあります。
 『私は誰か?』と尋ねると、私の論法はこのように展開します。
 『私は手を見ている。
  誰が見ているのか?
  私の目だ。
  どうやって目を見るのか?
  鏡の中で。
  私を見るときには鏡が必要なように』」。

私の質問は、「私の中のどこに鏡をおけばいいのでしょうか?」というものです。

マハルシ
 それでは、なぜ「私は誰か?」と尋ねたのですか?
 なぜ困難があるなどと言うのですか?
 ただ静かにしていることもできたはずです。
 どうして静寂から立ち去ったのですか?

質問者
 このように問いただすことは集中の助けになるのです。
 恩恵は集中だけなのでしょうか?

マハルシ
 それ以上の何を望むのですか?
 集中が要点なのです。
 何があなたを静寂から連れ出したのでしょう?
 
質問者
 知らぬうちに連れ出されたのです。

マハルシ
 「私は誰か?」と尋ねることは「私」の源を見いだすことです。
 それが見いだされたとき、あなたの探究は完結するのです。

*記録者ノート
シュリー・バガヴァーンの要点は、
「敗北主義者のような精神ですぐに挫折して諦めるのではなく、断固とした努力をするべきだ」
ということのようである


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