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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
601
:
避難民のマジレスさん
:2020/03/03(火) 01:03:27 ID:phf4brz.0
ラマナ・マハルシとの対話293
K・K・V・アイヤール氏
瞑想では内面へ入っていく方法が見つかりません。
マハルシ
いったい他のどこに私たちがいると言うのですか?
私たちの存在そのものが内面にあるのです。
質問者
そうでありながら、私たちは無知なのです。
マハルシ
何についての無知なのですか?
誰の無知だと言うのでしょうか?
もし自己についてだと言うなら、そこに二人の自己がいると言うのですか?
質問者
二人の自己がいるわけではありません。
しかし限定されているという感覚は否定し難いものです。
限定されているために……。
マハルシ
限定は心の中にしか存在しません。
深い眠りの中でも限定を感じますか?
眠りの中であなたは存在していました。
そのとき、あなたは自分の存在を否定しませんでした。
同じ自己が、今ここで目覚めの状態に存在しているのです。
あなたは今、限定があると言います。
つまり目覚めと眠りの状態の違いは、今現れたのです。
その違いは心によって起こりました。
眠りの中に心は存在していませんでした。
その反対に、それは今活動しています。
しかし心が存在しなくとも真我は存在するのです。
質問者
理解はしていますが、実現できないのです。
マハルシ
瞑想とともに徐々に明らかにされていくでしょう。
質問者
瞑想は心をともなうものです。
どうして真我を明らかにするために、瞑想で心を殺すことができると言うのでしょうか?
マハルシ
瞑想とは一つの想念だけを想い続けることです。
その一つの想念が他のすべての想念を遠ざけます。
心の散漫は精神力の弱さの兆候です。
たゆみなく瞑想を続けることによって心は力を得ていきます。
つまり移り変わりやすい心の弱さが、その背後にある恒久的な無心状態に場を明け渡すのです。
この無心の広がりが真我です。
純粋な心が真我なのです。
シュリー・バガヴァーンは前の質問者に答えた。
マハルシ
誰もが「私は身体だ」と言います。
その体験は無知な人にとっても賢者にとっても同じです。
しかし無知な人は真我が身体の中に封じ込められていると信じ、一方、賢者は真我を離れて身体が存在することはできないと信じています。
彼にとって真我は無限であり、それは身体をも含んでいるのです。
ボース氏が尋ねた。
「シュリー・バガヴァーンの臨在のもとで感じられる平和は、しばらくの間続くのですが、どうして永続しないのでしょうか?」
マハルシ
その平和はあなたの真の本性です。
それに反する考えは、真理の上に押し付けられた偽りでしかありません。
これが真のバクティ、真のヨーガ、真のジニャーナです。
あなたはこの平和を修練によって得たと言うかもしれませんが、実際は、修練によって偽りの観念が棄て去られただけです。
あなたの真の本性は常に存在しています。
あなたが得た平和の一瞥は、やがて起こる真我実現の前兆なのです。
初めの質問者に答えて、シュリー・バガヴァーンはこう語った。
マハルシ
ハートが真我なのです。
それは外側にも内側にもありません。
心はそのシャクティです。
心が立ち現れた後で宇宙が現れ、身体はその宇宙の中に含まれているように見えます。
しかし実際はこれらすべてが真我の中に包含されています。
心も身体も宇宙も、真我から離れては存在できないのです。
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