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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

59避難民のマジレスさん:2019/07/12(金) 15:02:24 ID:73lwfNNQ0
ラマナ・マハルシとの対話62

エーカナート・ラーオ氏

スプラナ(ハート・センターで感じられる描写不可能な感覚)とは何でしょうか?

マハルシ
 スプラナは恐れや興奮などの場合に感じられます。
 実際、それは常に、いたるところに存在しているのですが、同時に、特定の場合に特定のセンターで感じられるのです。 スプラナはそれが起こる原因との関連から身体と混同されていますが、実際は、唯一それだけが存在しています。
 それが純粋な真我です。
 もしスプラナに心を集中させ、自然に途切れることなく感じられるようになれば、それが実現です。
 

 スプラナは実現の一段階前でもあります。
 それは純粋なもので、主体と対象はそれから現れます。
 もし人が自分を主体と見なせば、対象は彼から分離して現れるでしょう。
 それらは周期的に(目覚めとともに)現れ出たり、(眠りとともに)引き込まれたりしながら、対象世界とそれを楽しむ主体を創造するのです。

 その代わりに、もし自分自身をスクリーンと見なし、その上に主体と対象が投影されると見るなら、惑わされることはなくなるでしょう。
 真我に影響を与えることなく現れては消え去る主体や対象を、人はただ見守るだけなのです。

*スプラナ
輝き、振動を意味する。
真我探究において「私」という想念の湧き起こる源に注意が向けられ、そこに純枠な存在としてとどまるとき、「私」は消え去り「私一私」という無音のスプラナがおのずと輝きだす。
このスプラナさえも消え去ったとき、「私は身体だ」という形の自我は完全に破壊される。
(The Collected Works『真我探究』質問3の要約より)


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