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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
580
:
避難民のマジレスさん
:2020/02/24(月) 03:39:05 ID:phf4brz.0
ラマナ・マハルシとの対話285
質問者
真我がそれ自身に気づいているなら、なぜ私は今でさえそれに気づかないのでしょうか?
マハルシ
そこに二元性はありません。
あなたの現在の知識は自我に属する単なる相対的なものです。
相対的知識は主体と対象を必要とします。
一方、真我の気づきは絶対的なもので、対象を必要としません。
記憶もまた相対的なもので、覚えられる対象と覚える主体を必要とします。
そこに二元性がないとき、誰が誰を覚えると言うのでしょう?
質問者
身体が死ぬとき、自我には何が起こるのでしょうか?
マハルシ
自我とは「私」という想念のことです。
精妙な姿としては、それは一つの想念として残りますが、粗大な面においては、それは心と感覚と身体を含みます。
深い眠りでは、それらは自我とともに消え去りますが、真我は存在し続けます。
それと同様のことが死においても起こるのです。
自我はそれ自身によって創造されたり破壊されたりするような、真我から独立した実体ではありません。
それは真我の道具として機能し、周期的にその機能を止めます。
つまり、それは現れては消え去るのです。
これが誕生と死と見なされるものです
相対的知識は心に属し、真我には属しません。
それゆえ、それは永久的なものではなく錯覚でしかないのです。
科学者を例にとってみなさい。
彼は地球は丸いという理論を考案し、それを証明していき、議論の余地のない明確な基本原理の上にその理論を確立します。
しかし彼が眠りに落ち入るやいなやそのアイデア全体は消滅し、彼の心は空っぽになるのです。
ひとたび眠ってしまえば、世界が丸かろうと平らだろうと、それが何だと言うのでしょう?
ですから、そのような相対的知識がいかに無益かということがわかるでしょう。
そのような相対的知識を超え、真我の中にとどまるべきです。
真の知識とはそのような体験であって、心で理解することではないのです。
質問者
なぜバガヴァーンは広く人々に真理を説いて回らないのでしょうか?
マハルシ
なぜ私がそうしてはいないと思うのですか?
真理を説くことは、演壇に上がって人々に向かい、熱弁をふるうことでしょうか?
真理を説くこととは、ただ知識を伝授することです。
それは沈黙によっても為されるのです。
一時間もの説教を聞いた後で、人生を変えるほどの感銘も受けずに立ち去っていく人のことをどう思いますか?
その人と、賢者の神聖な臨在のもとに坐り、人生に対する見地が完全に変わってしまった人とを比べてみなさい。
何の効果もなく大声で説教するのと、沈黙の内に坐り霊的な力を送ることで人々に働きかけるのとどちらが優れているでしょうか?
話す言葉はどのようにして起こるのでしょうか?
まず、そこには(言葉で表す前に)抽象的知識があります。
そこから自我が現れ、その自我から想念が起こります。
そしてその想念が話す言葉として現れます。
つまり、言葉は本来の源泉のひ孫にあたるのです。
言葉が何らかの効果を生み出せるとすれば、沈黙を通して真理を説くことがどれだけ強力であるか、自分で判断してみなさい。
抽象的知識
↓
自我
↓
想念
↓
言葉
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