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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
539
:
避難民のマジレスさん
:2020/02/07(金) 00:43:46 ID:kwG.5zBA0
ラマナ・マハルシとの対話268
セイェド博士
救済とは何でしょうか?
キリストはその言葉で何を意味したのでしょうか?
マハルシ
誰のための救済でしょうか?
何からの救済だと言うのでしょうか?
質問者
世界の苦しみや悲しみからの救済、個人のための救済です。
マハルシ
誰の悲しみでしょうか?
質問者
心のです。
マハルシ
あなたは心ですか?
質問者
どうしてこの質問が起こったのかを今から説明します。
私は瞑想していました。
キリストの恩寵によってある帰依者が救済を得るという話について考えていたのです。
私はシュリー・バガヴァーンをキリストと同じだと考えています。
救済は同じような恩寵の結果なのではないでしょうか?
これが私の質問の本意だったのです。
マハルシ
そうです。
そのとおりです。
質問者
『私は誰か?』という小冊子は、本質を見ること(スワルーパ・ドリシュティ)について述べています。
そこには見る者と見られるものという二元性があるはずです。
どうしてそれが究極の実在と一致すると言うのでしょうか?
マハルシ
あなたはなぜ救済や悲しみからの解放を求めるのでしょうか?
それを求める人がそれを見ているのです。
「見ること」(ドリシュティ)とは意識です。
意識が主体と対象を構成します。
真我から離れてドリシュティがありえるでしょうか?
それゆえ、真我は(ドリシュティなどを含めた)すべてなのです。
これが真実です。
質問者
どうすれば自我と完全な「私─私」を識別できるでしょうか?
マハルシ
立ち現れては沈みゆくもの、それは一過性の「私」であり、始まりも終わりもないもの、それが永遠の「私─私」意識です。
質問者
絶えず真我について考え続けることが心をより清らかにし、ついには至高なるもの以外の何も考えないようになるのでしょうか?
マハルシ
平和に満ちた心というものがあります。
それが至高なるものです。
その同じ心も落ち着きを見失えば想念に苦しめられます。
心とは真我の動的(ダイナミック)な力(シャクティ)なのです。
質問者
心の鞘とは物質なのでしょうか?
それは真我とは異なるのでしょうか?
マハルシ
物質と精神の間に違いはありません。
現代科学はすべての物質がエネルギーであることを認めています。
エネルギーとは力あるいはシャクティです。
それゆえ、すべてはシヴァとシャクティ、すなわち真我と心に帰するのです。
コーシャ(心の鞘)は単なる現れにすぎません。
それには何の実在性もありません。
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