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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

535避難民のマジレスさん:2020/02/05(水) 00:22:13 ID:kwG.5zBA0
質問者
 どうすれば真我を達成できるのでしょうか?

マハルシ
 真我は達成されるものではありません。
 なぜなら、あなたが真我だからです。

質問者
 そうです。
 不変の自己と変化する自己が私の中に存在しているのです。
 そこには二人の自己があるということです。

マハルシ
 変化するのは単なる想念にすぎません。
 すべての想念は「私」という想念が現れた後にのみ現れます。
 想念が誰にとって現れたのかを見いだしなさい。
 そうすればそれは超越され、そして静まるでしょう。
 すなわち、「私」という想念の源をたどることで、あなたは完全な「私─私」を実現するのです。
 「私」とは真我の名前なのです。

質問者
 「私はブラフマンである」(アハン・ブラフマースミ)に瞑想すべきでしょうか?

マハルシ
 その確言は「私はブラフマンである」と考えるためのものではありません。
 アハム(「私」)は誰もが知っています。
 ブラフマンはアハムとしてすべての人の中に宿っています。
 「私」を見いだしなさい。
 「私」はすでにブラフマンなのです。
 そう考える必要などありません。
 ただ「私」を見いだしなさい。

質問者
 鞘(コーシャ)を棄て去っていく方法が聖典に述べられているのではありませんか?

マハルシ
 「私」という想念が現れた後、「私」と身体、感覚、心などとの偽りの自己同一化が起こります。
 「私」が誤ってそれらと結びついたため、真の「私」は見失われてしまったのです。
 汚れた「私」から純粋な「私」へと変容させるために、鞘を捨て去るということが聖典に述べられています。
 しかしそれは、正確には真我ではないものを棄て去ることではなく、真我を見いだすことにあるのです。

 真我は無限の「私─私」です。
 その「私」は完全です。
 それは永遠なるもの、始まりも終わりもないものであり、もう一つの「私」は生まれ、そして死んでいく、はかない一時的なものです。
 変化する想念が誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
 それらは「私」という想念が現れた後に現れることがわかるでしょう。
 その「私」という想念をとらえなさい。
 そうすれば、それは静まります。
 「私」という想念の源をたどりなさい。
 そうすれば、真我のみが残るのです。

質問者
 やはり私には難しく感じられます。
 理論的には理解できるのですが、実際の修練はどうすればよいのでしょうか?

マハルシ
 他の方法は真我探究を選べなかった人たちのためのものです。
 「アハン・ブラフマースミ」と唱えるにせよ考えるにせよ、それをする者が必要です。
 それは誰でしょうか?
 それが「私」です。
 その「私」として在りなさい。
 それが直接的な方法です。
 それ以外の方法も、最終的にはこの真我探究へと導くのです。

質問者
 「私」には気づいています。
 それでも私の問題は終わらないのです。

マハルシ
 この「私」という想念は純粋ではありません。
 それは身体や感覚と結びついて汚れています。
 誰にとっての問題なのかを見なさい。
 「私」という想念にとってです。
 それをとらえなさい。
 そうすれば他の想念は消え去るでしょう。

質問者
 はい。
 どうすればよいのでしょうか?
 それが問題なのです。

マハルシ
 「私、私、私」と考えなさい。
 他のすべての想念を排除して、その一つの想念だけをとらえるのです。


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