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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
504
:
避難民のマジレスさん
:2020/01/22(水) 00:59:05 ID:kwG.5zBA0
ラマナ・マハルシとの対話252
1936年9月30日
質問者
シュリー・ラーマクリシュナはヴィヴェーカーナンダに触れ、後者は至福を実現しました。
そのようなことが可能なのでしょうか?
マハルシ
シュリー・ラーマクリシュナはそれを目的として触れたのではありません。
彼がアートマンをつくり出したわけではないのです。
彼が実現をつくり出したのではありません。
ヴィヴェーカーナンダが成熟していたのです。
彼は実現を熱望していました。
彼は基本的な修練を過去世で完結していたに違いありません。
そのようなことは成熟した人にのみ可能なのです。
質問者
このような奇跡は誰にとっても起こりうるのでしょうか?
マハルシ
もしその人が適しているなら。
適性が要点です。
強い人が弱い人をコントロールします。
強い心が弱い心をコントロールするのです。
それが今語った出来事で起こったことです。
その効果は一時的なものでした。
なぜヴィヴェーカーナンダは静かに座らなかったのでしょう?
そのような奇跡の後、なぜ彼は旅をして回ったのでしょうか?
なぜなら、その効果が一時的なものでしかなかったからです。
質問者
どうすれば心はハートの中に沈み込むのでしょうか?
マハルシ
心は今、宇宙として多様化して現れたそれ自身を見ています。
もし多様性が現れなければ、それはそれ自身の本質、すなわちハートとしてとどまります。
ハートの中に入るということは、混乱なしにとどまるということです。
ハートだけが唯一の実在であり、心は一時的な相でしかありません。
真我としてとどまることが、ハートの中に入るということです。
人は自分を身体と同一視するため、世界を自分から分離したものとして見ます。
誤った自己同一化は、彼が精神的なよりどころを失い、本来の状態から逸れたために起こるのです。
彼は今、偽りの観念をすべて棄て去り、源へと帰り着き、真我としてとどまるように助言を受けました。
その状態の中には区別がないため、質問が起こることもないでしょう。
すべての聖典は人を自己本来の源に帰り着かせるために書かれたのです。
何も新しいものを得る必要などありません。
ただ偽りの概念と無用な付加物を棄て去らなければならないだけです。
しかしそうする代わりに、人は何か不思議で神秘的なものをとらえようとします。
なぜなら、人は幸福がどこか他のところにあると信じているからです。
それが誤りなのです。
もし真我としてとどまるなら、そこには至福があります。
おそらく人々は、静かにしているだけでは至福の状態はもたらされないと信じているのでしょう。
しかしそれは無知のせいです。
唯一の修練とは、「この質問は誰に起こるのか?」を見いだすことです。
質問者
性欲や怒りなどはどうやってコントロールするのでしょうか?
マハルシ
その熱情は誰のものでしょうか?
見いだしなさい。
もしあなたが真我としてとどまれば、真我から分離したものなど何もないことがわかるでしょう。
そうすれば、コントロールする必要さえなくなるのです。
質問者
愛する人が他界したとき、悲しみが起こります。
そのような悲しみは、すべての人を等しく愛することで、あるいはまったく誰も愛さないことで避けるべきなのでしょうか?
マハルシ
もし人が死ねば、後に残された人に深い悲しみが起こります。
悲しみを避ける方法とは、生きないことです。
悲しむ人を殺しなさい。
そうすれば、苦しむ人がどこにいると言うのでしょう?
自我が死ななければならないのです。
それが唯一の方法です。
その二つの選択肢はどちらも同じ状態をもたらします。
すべての生きとし生けるものが一つの真我になったなら、愛される人や憎まれる人がどこにいるでしょうか?
質問者
太陽のマールガ(道)とは何でしょうか?
月のマールガとは何でしょうか?
どちらがやさしい道でしょうか?
マハルシ
太陽のマールガはジニャーナ、月のマールガはヨーガのことです。
身体中の七万二千のナディー(霊的な神経経路)を浄化した後、心はスシュムナーに入り、サハスラーラまで昇り詰め、そこには甘露(ネクター)が滴り落ちていると言われています。
それらはすべて精神的概念でしかありません。
人はすでに世界という概念に圧倒されているというのに、今それ以外の概念がヨーガという形で加えられようとしています。
これらの本来の目的は人を概念から解放し、絶対意識である純粋な真我として、無心のまま本来の状態にとどまらせることにあるのです!
なぜ真っ直ぐそれに向かわないのでしょう?
なぜすでにある重荷にわざわざ新たな重荷を加えるのでしょうか?
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