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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
5
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/20(木) 13:28:31 ID:jfWCoXjM0
ラマナ・マハルシとの対話43
1935年3月28日
ヴェロールの地方自治体の長官であるS・ランガナータン氏とS・V・ラーマムールティ氏、プドゥコッタ州のラーガヴィア氏らがアーシュラマムを訪問した。
ランガナータン氏が質問した。
「どうすれば心を制御できるでしょうか。どうぞお教えください」
マハルシ
二つの方法があります。
一つは「心とは何か」を観ることです。
そうすれば心は静まります。
もう一つは注意を何かに集中させることです。
こうしても心は静まります。
質間者はさらに説明を求めて質問を繰り返した。
与えられた答えは前より少し言葉が加えられた程度だった。
だが質間者は満足できなかった。
ラーガヴィア氏が尋ねた。
質問者
世俗の人間である私たちはさまざまな嘆きや悲しみを持ち、どうやってそれを克服すればいいのかわかりません。
神にも祈るのですが、いまだに満たされません。
どうすればよいのでしょうか?
マハルシ
神を信頼しなさい。
質問者
私たちは明け渡すのですが、それでも救われません。
マハルシ
もし明け渡したのなら、神の御心にしたがい、あなたの気に入らないことが起こったとしても不平不満なく受け入れなければなりません。
今、一見そう起こっているように見えることも、後にまったく違った結果となるかもしれないのです。
不幸はしばしば人々を神への信仰へと導くものです。
質問者
そうは言われても、私たちは世俗の人間です。
妻や子があり、子供や友人や親戚がいます。
彼らの存在を無視して、自らの内に何がしかの人格を保つこともなく、自分自身を神の意志にゆだねることはできまません。
マハルシ
つまり、あなたは神に明け渡してはいなかったということです。
あなたは神だけを信じなければならないのです。
ラーマムールティ氏が尋ねた。
質問者
私はポール・ブラントン氏の『秘められたインド』を読み、最後の章に深い感銘を受けました。
その中で彼は「考えることなしに意識的であることは可能である」と述べています。
私は身体を忘れた状態でも考えることができるのは知っています。
しかし心なしに考えることができるのでしょうか?
想念を超えた意識を得ることは可能なのでしょうか?
マハルシ
可能です。
目覚め、夢見、眠りの状態に共通する一つの意識が存在しています。
眠りの中に「私」は存在しません。
「私」という想念は目覚めとともに立ち現れ、それから世界が姿を現すのです。
ではこの「私」は眠りの間どこにあったのでしょうか?
それはそこにあったのでしょうか、なかったのでしょうか?
そこにあったに違いありません。
しかしあなたが今、感じているようにではありませんでした。
今はただの「私」という想念ですが、眠りの中の「私」は、真の「私」なのです。
それは(目覚め、夢見、眠りの状態を通して)常に存在しています。
それが意識です。
もしそれを知れば、あなたはそれが想念を超えたものであることを知るでしょう。
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