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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
482
:
避難民のマジレスさん
:2020/01/13(月) 06:31:45 ID:1ia4T2h.0
質問者
それでは、眠りはこの目覚めよりも良い状態に違いありません。
マハルシ
優れた状態も劣った状態もないのです。
眠り、夢見、目覚めのどの状態においても、あなたはまったく同じです。
眠りは幸福の状態です。
そこに不幸はありません。
願望、苦痛などは目覚めの状態にのみ現れます。
では、何が変化したのでしょうか?
あなたはそのどちらの状態においても同じでした。
しかし幸福については違いがありました。
なぜでしょう?
なぜなら、今は心が生じているからです。
心は「私」という想念が立ち現れた後に生じます。
「私」という想念は意識から現れます。
それゆえ、もし意識の中にとどまれば、人は常に幸福なのです。
質問者
眠りの状態は心が静かな状態です。
私はそれを劣った状態と見なします。
マハルシ
もしそうなら、なぜすべての人が眠りを求めるのでしょうか?
質問者
疲れたときに、眠りにつくのは身体です。
マハルシ
身体が眠るのでしょうか?
質問者
そうです。
それは身体的消耗が回復される状態なのです。
マハルシ
それはそれでよいでしょう。
しかし身体自体が眠り、目覚めるのですか?
つい先ほどあなた自身が言ったように、眠りの状態にある心は静かです。
三つの状態はすべて心の状態なのです。
質問者
それらは魂が感覚器官などを通して機能している状態なのではありませんか?
マハルシ
それらは魂や身体の状態ではありません。
魂は常に汚れのないままとどまります。
それはそれら三つの状態の根底に流れている基盤です。
目覚めの状態が去っても、夢見の状態が去っても、眠りの状態が去っても、「私」は在ります。
それらは繰り返されますが、それでも「私」は在るのです。
三つの状態は映画のスクリーンの上を動く画像のようなものです。
画像がスクリーンに影響を与えることはありません。
同様に、「私」もまた三つの状態が過ぎ去ろうと影響を受けずにとどまるのです。
もしそれが身体の状態だとするなら、眠りの間もあなたは身体に気づいていますか?
質問者
いいえ。
マハルシ
身体がそこにあることを知らずに、どうして眠りの中に身体があると言えるのですか?
質問者
なぜなら、目覚めた後も身体はそこにあるからです。
マハルシ
身体の感覚とは一つの想念なのです。
その想念は心のものであり、心は「私」という想念が立ち現れた後に生じます。
「私」という想念が根本の想念です。
もしそれをとらえれば、他の想念は消え去るでしょう。
そうすれば、身体も、心も、自我さえもなくなるでしょう。
質問者
そのとき何が残るのですか?
マハルシ
純粋な真我が残ります。
質問者
どのようにすれば心を消し去ることができるのでしょうか?
マハルシ
いかなる試みもそれを破壊することはできません。
それについて考えたり、願ったりすること自体が想念だからです。
しかしもし考える者を探し出そうとするなら、想念は消え去るでしょう。
質問者
それはおのずと消え去るのですか?
とても難しそうですが。
マハルシ
実在ではないからこそ、それは消え去るのです。
難しいと考えること自体が実現への妨げです。
それは克服されなければなりません。
真我としてとどまるのは難しいことではないのです。
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