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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

46避難民のマジレスさん:2019/07/07(日) 16:07:24 ID:73lwfNNQ0
『シュリー・ラマナ・ギーター』第十七章四節のサンスクリット語からタミル語への翻訳に誤りがあった。
シュリー・バガヴァーンは誤訳を指摘して訂正した。

ヴァイダルバが質問した。
 
「修練において、想念が交互に現れては消え去ることがわかりました。
 これは真我の知識(ジニャーナ)でしょうか?」

マハルシ
 ある人たちは真我の知識に異なった段階があると信じています。
 真我はあなたが知っていようがいまいが、常に実現されているのです。
 彼らは、真理を聞くこと(シュラヴァナ)は直接的知識であり、間接的知識ではないと議論します。
 真我の知識は不幸を消し去りますが、真理を聞くことだけではそれは起こりません。
 ですから、たとえ直接的であっても、その知識は不動のものではないということです。
 知識が確立されない原因は、心の潜在的傾向(ヴァーサナー)が現れることにあります。
 ヴァーサナーが取り除かれたとき、真我の知識(ジニャーナ)は揺るぎないものとなって実を結ぶのです。

 別の人たちは、真理を聞くこと(シュラヴァナ)は間接的知識だと言います。
 真理についての沈思黙考(マナナ)によって、真我の知識は断続的ながらも直接的なものになります。
 それを断続的にさせるのはヴァーサナーなのです。
 ヴァーサナーはマナナの修練の後も、さらに強烈な勢いで湧き上がってきます。
 そのため、それは抑制されなければなりません。
 
 「私は身体ではない」ことを油断なく覚えていることと、マナナにおいて得られた直接的体験を固守することによってヴァーサナーは抑制されます。
 そのような修練はニディディアーサナ(真理の一点に心を集中させること)と呼ばれ、それがヴァーサナーを消し去ります。
 そうして初めてサハジャの境地が開かれるのです。
 それが確実な真我の知識(ジニャーナ)です。

 マナナによる直接的体験では、不幸の破壊も束縛からの解放(モークシャ)も得られません。
 なぜなら、ヴァーサナーが周期的に現れ、真我の知識を制圧するからです。
 それゆえ、それはまだ弱いものですが、ニディディアーサナによってヴァーサナーが根絶されたとき、初めて真我の知識は確立されるのです。


『シュリー・ラマナ・ギーター』について再び


帰依者の一人、T・K・S・アイヤール氏がチャクラについて語った。

マハルシ
 アートマンこそが実現されるべきものです。
 真我実現はそれ以外のすべてをその領域に含んでいるからです。
 シャクティ、ガナパティ、シッディなどもすべてその中に含まれています。
 ですから、それらについて語る人たちは真我を実現していないのです。
 アートマンはハートの中にあり、ハートそのものです。
 (世界の)顕現は脳の中にあります。
 ハートから脳への経路はスシュムナー、あるいは他の名前の神経経路と考えられています。
 『ウパニシャド』は「パレー・リーナ」について述べています。
 それはスシュムナーのようなナディー(霊的な神経経路)は、すべてパラー(高次の)、つまりアートマ・ナディーに含まれているという意味です。

 ヨーギーは「脳にあるサハスラーラ・チャクラまで流れは昇りつめ、そこで終わる」と言いますが、その体験は完全なものではありません。
 それはハートまで降りて来なければならないからです。
 ハート(フリダヤ)はアルファでありオメガでもあるのです。


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