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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
378
:
避難民のマジレスさん
:2019/12/03(火) 00:41:45 ID:o3CMzonY0
ラマナ・マハルシとの対話203
1936年6月17日
デリーの電信電報局で財務部長を務めるヴァルマ氏は、ポール・ブラントンの『秘められたインド』と『秘められた道』を読んだ。
彼は結婚後十二年間をともに幸せに過ごした妻を失ったばかりだった。
悲しみに暮れた彼は慰めを求めていた。
読書にも慰めを見いだすことはできず、ただそれを破り捨てたいと思うばかりだった。
質問をしたいとも思わなかった。
彼はただここに座り、マハルシの臨在のもとにいることで慰めを受けたかったのである。
マハルシはあたかも想いを寄せているかのように、ときおり話しかけては沈黙を保っていたが、やがてこのように語り始めた。
マハルシ
「妻は身体の半分を占める」と言われています。
それゆえ、彼女の死は苦痛に満ちたものに違いありません。
しかしながらこの苦痛は、私たちの視点が身体的なものだからなのです。
もしその視点が真我のものであれば、それは消え去るでしょう。
『ブリハダーラニヤカ・ウパニシャド』は「妻が愛おしいのは、真我の愛ゆえ」と述べています。
もし妻や他の人たちを真我と同一と見たなら、どうして苦痛が起こりえるでしょう?
それにもかかわらず、このような悲劇は哲学者の心さえ揺さぶるのです。
私たちは深い眠りの中で幸せでした。
そのとき、私たちは純枠な真我としてとどまっていました。
今この瞬間でさえそうです。
深い眠りの中では、妻も他の人も、「私」さえも存在していません。
彼らは今、(目覚めの状態に)現れ、喜びや悲しみを湧き起こらせるのです。
深い眠りの中で至福に満ちていた真我の至福は、なぜ今も続かないのでしょうか?
その唯一の障害こそ身体と真我との偽りの自己同一化です。
『バガヴァッド・ギーター』は
「非実在は存在せず、実在が存在しなくなることはない。実在と非実在という真理は、その両方の本質を見る者によって知覚される」、
「実在は常に実在であり、非実在は常に非実在である」、
「彼は生まれることもなく、死ぬこともない。今まで存在したこともなければ、存在をやめるということもない。不生、永久、永遠なるもの。たとえ身体が殺されても死ぬことはない」と述べています。
こうしてみると、誕生も死もありません。
目覚めが誕生であり、眠りが死なのです。
あなたが仕事場に行ったとき、あるいは深い眠りについたとき、あなたの妻はあなたとともにいたでしょうか?
彼女はあなたから離れていたのです。
あなたは彼女がどこかにいると思っていたため、安心し、満足していました。
一方、今のあなたは彼女がいないと思っています。
違いは考え方にあるのです。
それが苦悩の原因です。
妻がいないという想いが苦悩をもたらしたのです。
これはすべて心の悪戯です。
心は快楽があるときでさえ、自らに苦痛を与えます。
しかし苦痛も快楽も心の産物なのです。
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