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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

370避難民のマジレスさん:2019/11/30(土) 00:32:11 ID:o3CMzonY0
ラマナ・マハルシとの対話200

1936年6月14日

コーエン氏はポール・ブラントンの『秘められたインド』の最終章に使われた「強烈に輝く光」という表現の説明を求めた。

マハルシ
 その体験は心を通して起こったものであるため、初めは強烈に輝く光として現れました。
 心の潜在的傾向(ヴァーサナー)はまだ破壊されていません。
 それでもその体験において、心は無限の能力の内に機能したのです。

 ニルヴィカルパ・サマーディ、つまり無区別のサマーディ(区別のない至高の至福に満ちた静寂の境地)は知識と無知を照らし出す純枠意識から成り立ち、光と闇を超越しています。
 それが闇でないことは確かです。
 しかしそれが光ではないものと言えるでしょうか?
 現在、物事は光の中でのみ知覚されます。
 真我を実現するのに光を必要とするということは間違いでしょうか?
 いったい真我が光を必要とするでしょうか?
 ですから、ここで言われる「光」とは、真我をその本性として現す意識のことを意味するのです。

 ヨーギーたちは、ヨーガの修練を通して真我実現する前に、色や光のヴィジョンを目にすると言われています。

 かつて女神パールヴァティーは、至高の境地を実現するために苦行をしました。
 彼女はある種の光を見ましたが、それを真理とは受け入れずに退けました。
 なぜなら、その光は真我から発されたものだったからです。
 真我は不変のままでした。
 彼女はその光が「至高なるもの」ではないことを見極めたのです。
 さらに苦行を続けると、今度は無限の光を体験しました。
 彼女はこれさえも至高の実在ではなく、単なる現象にすぎないとして退けます。
 そしてさらなる苦行を続け、ついに超越的な平安の境地を得ました。
 こうして彼女はそれこそが至高なるものであり、真我だけが唯一の実在であることを実現したのです。

 『タイッティリーヤ・ウパニシャド』は「苦行を通してブラフマンを探し出しなさい」と述べ、さらに「苦行がブラフマンである」と述べています。
 別の『ウパニシャド』では、「『それ』自体が叡知のみからなる苦行である」、
 『カタ・ウパニシャド』(第二巻二章十五節)は「そこでは太陽も月も星も炎も輝かない。それらはすべて『あの』光によって輝き出すのだ」と述べています。


*『タイッティリーヤ・ウパニシャド』は…:『タイッティリーヤ・ウパニシャド』2-1-3

苦行を通してブラフマンを探しなさい。
苦行がプラフマンである。
彼は苦行をしたのである。

*別の『ウパニシャド』では…:『ムンダカ・ウパニシャド』1-1-9

「それ」自体が叡知のみからなる苦行である。
「それ」はすべてについてすべてを知っている。
それ自体が知識という形のタパス(苦行)である。


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