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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

34避難民のマジレスさん:2019/07/01(月) 15:45:09 ID:73lwfNNQ0
 あなたの望みにしたがって、環境があなたを手放すことなどけっしてないのです。
 私をごらんなさい。
 私は家を去りました。
 あなた自身を見てごらんなさい。
 あなたは家庭環境を後にしてここに来ました。
 ここに何を見ますか?
 あなたが後にしたものとこれと何か違うでしょうか?
 たとえニルヴィカルパ・サマーディに何年も入っていたとしても、そこから出て来たとき、やはりそこにあなたを束縛していた同じ環境を見ます。
 だからこそ、シャンカラーチャーリャは彼の卓越した作品『ヴィヴェーカ・チューダーマニ』の中で、ニルヴィカルパ・サマーディよりもサハジャ・サマーディを強調したのです。
 人はあらゆる環境の只中にあっても、自然なサマーディの中にいるべきです。
 それは純粋無垢な状態なのです。
 

しばらくの沈黙の後、シュリー・バガヴァーンは言った。

マハルシ
 呼吸の制御は内的なものでも外的なものでもあるでしょう。

 アンタハ・プラーナーヤーマ(内的調息)は以下のとおりです。

 ナーハム・チンター(私は身体ではない)はレーチャカ(呼気)。

 コーハム(私は誰か?)はプーラカ(吸気)。

 ソーハム(私は「彼」だ)はクンバカ(呼吸保持)。

 こうすることで、呼吸は自動的に制御されます。

 バヒル・プラーナーヤーマ(外的調息)は心を制御する力のない者のための方法です。
 しかし覚者との交際(サットサンガ)ほど確実なものはありません。
 覚者との交際を持てない者にとっては、外的な修練が欠かせないでしょう。
 もし覚者との交際において、他の人の目には見えなくとも、覚者が必要な力をあなたに与えたなら、ハタ・ヨーガが指示するとおりのプラーナーヤーマをしなくてもかまいません。
 ジャパ、ディヤーナ、バクティなどを修練したなら、わずかな呼吸制御だけで心の制御はできるでしょう。

 心は御者で、呼吸は馬です。
 プラーナーヤーマは馬を制する手綱です。
 その同じ手綱で御者も制されるのです。

 プラーナーヤーマは少しだけすればよいでしょう。
 呼吸を見つめることも一つの方法です。
 他の活動に注意をそらされていた心は、呼吸を見つめることに専心します。
 それが呼吸を制し、それから心が制御されるのです。

 それができないなら、レーチャカとプーラカを修練する必要はありません。
 呼吸はジャパやディヤーナにおいてしばらくの間保持されることもあるでしょう。
 それもまた良い結果をもたらすでしょう。


*ナ・メーダヤー(『カタ・ウバニシャド』1-2-23)
 学問によっても、知性を通しても、秘教によっても、アートマンに達することはできない。
 それはそれに選ばれた者によって達せられる。
 なぜなら彼がそれを選んだからである。
 選ばれた者に、アートマンは彼の栄光を顕わにするのである。

*ブラフマーカーラ・ヴリッティ
 ブラフマンへの瞑想。
 それ以外のすべての想念を排除して、絶え間なく、ただブラフマンのみに黙想する修練のこと。


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