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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
31
:
避難民のマジレスさん
:2019/06/30(日) 11:17:56 ID:jfWCoXjM0
ラマナ・マハルシとの対話53
1935年6月15日
ポール・ブラントンの本を二冊手にしたノウレスという若い男性がダルシャン(聖者に会うこと)に訪れた。
彼は尋ねた。
質問者
仏教徒は「私」は実在ではないと言い、ポール・ブラントンは『秘められたインド』の中で「私」という想念を克服して、「私」の境地に到達することを語っています。
どちらが真実でしょうか?
マハルシ
二人の「私」が存在すると考えられています。
一つは低次のもので、非実作です。
これは私たち誰もが気づいています。
もう一つは高次のもので、実在です。
それが実現されるべきものです。
あなたは眠りの中で自分自身に気づいていませんが、目覚めでは気づいています。
目覚めて初めて、「私は眠っていた」と言うのです。
深い眠りの状態では、あなたは眠っていたことさえ知りませんでした。
それゆえ、多様性の観念は身体意識とともに立ち現れるのです。
この身体意識はある特定の瞬間に生じます。
それには始まりと終わりがあります。
始まりのあるものは「何か」に違いありません。
それは何でしょうか?
それが「私」という意識です。
「私とは誰か?」
「私はどこから生じたのか?」
と問い、源を見いだすことで、あなたは絶対意識の境地を実現するのです。
質問者
この「私」とは一体誰でしょうか?
それは単なる感覚的印象の連鎖のように見えます。
仏教徒の概念もまたそのようです。
マハルシ
世界は外側にあるのではありません。
印象が外的な事象に由来することはありえないのです。
なぜなら、世界は意識によってのみ認識されるからです。
世界が「世界は存在する」とは言いません。
それはあなたの印象なのです。
しかしこの印象には一貫性も連続性もありません。
深い眠りの中では世界は知覚されません。
つまり、眠っている人にとって、世界は存在していないということです。
したがって、世界は自我の産物なのです。
自我を探し出しなさい。
自我の源を見いだすことが最終目的です。
質問者
私は他の生命に苦しみを与えるべきではないと信じています。
それでは、私たちは蚊に刺されることもじっと耐えて我慢するべきでしょうか?
マハルシ
あなた自身苦しむことを好まないはずです。
どうして他の生命に苦しみを与えられるでしょう?
蚊に刺されて苦しむならば、払いのければいいのです。
質問者
蚊や虫を殺すことは正しいのでしょうか?
マハルシ
誰もが自殺を犯しています。
永遠の至福に満ちた自然な状態は、この無知なる人生によって窒息させられています。
このように現在の人生は、永遠の純粋無垢な存在を殺すことによって成り立っているのです。
それは自殺行為ではないでしょうか?
なぜ殺人や殺生を心配するのでしょう?
質問者
世界が私に印象を送り、私は目を覚まします。
マハルシ
知覚する者なしに世界が存在できるでしょうか?
どちらが先に存在するのでしょう?
存在としての意識でしょうか、それとも生起する意識でしょうか?
存在意識は常にそこにあり、永遠で純粋です。
生起する意識は現れては消え去ります。
それは一時的なものです。
質問者
私が眠っている間も、世界は他の人にとって存在するのではないでしょうか?
マハルシ
そのような世界は、自分自身を知らないのに世界のことを知ろうとしているあなたをあざ笑っているのです。
世界とは心の産物です。
あなたの心を知りなさい。
それから世界を見なさい。
そうすれば、あなたは世界が真我と異ならないことを悟るでしょう。
質問者
私と同じように、マハルシも自分自身とその周囲に気づいているのではありませんか?
マハルシ
この疑いは誰にとってのものでしょうか?
疑いは実現した人ではなく、無知な人にとってのみあるのです。
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