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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
299
:
避難民のマジレスさん
:2019/11/01(金) 01:09:26 ID:/ZpCQ3Mc0
ラマナ・マハルシとの対話172
1936年2月28日
質問者
瞑想と探究(ヴィチャーラ)の違いとは何でしようか?
マハルシ
どちらも等しい結果をもたらします。
探究に向いていない人は瞑想を修練しなければなりません。
その修練において、修行者は自分自身のことを忘れて「私はブラフマンである」や「私はシヴァである」に瞑想します。
こうして彼はブラフマンあるいはシヴァをとらえ続けます。
これが究極的には最後に残る存在であるブラフマンあるいはシヴァに至り、シヴァが純粋な存在、真我であることを悟るのです。
探究にたずさわる人は、「私は誰か?」と尋ね、自分自身をとらえることで真我が明らかになるのです。
質問者
直接体験によって得られた知識が、後になって失われることはあるのでしょうか?
マハルシ
『カイヴァリヤ・ナヴァニータム』は失われることもあると述べています。
すべてのヴァーサナー(心の潜在的傾向)が根絶されないままに得られた体験は確固としたものではありません。
ヴァーサナーを消滅させるためには努力をしなければなりません。
さもなければ、死後の再誕生は避けられないでしょう。
ある人は、直接体験は師から真理を聞くことで起こると言います。
ある人は、真理を熟考することによって得られると言います。
また別の人は、精神を一点に集中させること、あるいはサマーディによって得られると言います。
表面的にはそれらは異なって見えますが、最終的には同じことなのです。
すべてのヴァーサナーが根絶された後にのみ、知識は揺るぎないものとなるのです。
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