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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
266
:
避難民のマジレスさん
:2019/10/17(木) 00:18:00 ID:5cT9Awlw0
ラマナ・マハルシとの対話157
質問者
「私」の探究において、探究者はある段階で恩寵が入り込むようにするために、心を否定的な態度に保つよう指導されます。
しかし否定的な態度がどうして積極的な結果をもたらせると言うのでしょうか?
マハルシ
真我は常に存在しています。
それは新たに得られるようなものではないのです。
質問者
私が尋ねたいのは、恩寵を受けるに値するだけの何が否定的な態度によってもたらされたと言うのでしょうか、ということです。
マハルシ
あなたはこの質問を恩寵なしに尋ねているのですか?
恩寵は始まりにも、中間にも、そして終わりにも存在しています。
恩寵とは真我なのです。
真我と身体との偽りの自己同一化ゆえ、グルも身体を持っていると見なされています。
しかしグルの視点から見れば、グルは真我でしかありません。
真我はただ一つの存在です。
グルは「ただ真我だけが存在する」と告げます。
だとすれば、真我があなたのグルではないでしょうか?
それ以外のどこから恩寵が注がれると言うのでしょう?
それはただ真我からしかありません。
真我の現れは恩寵の現れであり、その反対もまた然りです。
これらの疑いはすべて、誤った観点と自分の外側の物事に結果を期待するために起こります。
真我の外側に存在するものは何もないのです。
質問者
私たちの質問は私たちの視点から見たものであり、シュリー・バガヴァーンの答えは彼の視点から見たものです。
質問は答えを得ただけではなく、知らぬ間に拭い去られたのです。
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