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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

260避難民のマジレスさん:2019/10/12(土) 23:27:39 ID:5cT9Awlw0
ラマナ・マハルシとの対話154

1936年2月5日

翌日、同じ若者がプラーナーヤーマ(調息)について尋ねた。

マハルシ
 叡知(ジニャーナ)に相応するプラーナーヤーマとは、

 「ナーハム」私はこれではない=呼気

 「コーハム」私は誰か?=吸気

 「ソーハム」私は彼だ=呼吸保持

 これは探究(ヴィチャーラ)であり、この探究が望ましい結果をもたらします。

 この探究をするほど進んでいない人には、結果として呼吸静止をもたらし、心を落ち着かせるような瞑想が向いているでしょう。
 心の制御は呼吸の制御を自然にもたらします。
 それは呼気や吸気に注意を払わずとも、自然な呼吸静止(ケーヴァラ・クンバカ)をもたらすのです。

 これもできない人にとっては、調息が心を静める助けとなります。
 呼吸が制御されているかぎり、静寂は続きます。
 それは一時的なものであるため、プラーナーヤーマが最終目標でないことは明らかです。
 それはプラティヤーハーラ(制感)、ダーラナー(集中)、ディヤーナ(禅定)、サマーディ(三昧)にまで達します。
 これらの段階は心の制御を扱います。
 以前にプラーナーヤーマを修練してきた人にとっては、それらは容易となるでしょう。
 プラーナーヤーマは心の制御を含めた高次の段階へと導いていきます。
 それゆえ、心の制御はヨーガの目標でもあるのです。

 さらに進歩した人は、呼吸制御に時間を費やすことなく、直接、心を制御するでしょう。

 単にプラーナーヤーマのみが進歩すると、多くの人があこがれる超自然能力 (シッディ)がもたらされることになるのです。


 食事制限について尋ねられ、シュリー・バガヴァーンはミタ・ヒタ・ブク、「適切な食べ物を適切な量だけ」と答えた。


 バクティの効用について質間があった。

マハルシ
 ヴィバクティ(分離)があるかぎり、バクティ (帰依)がなければならず、ヴィヨーガ(分離)があるかぎり、ヨーガ(合一)がなければなりません。
 二元性が存在するかぎり、神と帰依者は存在せざるを得ないのです。
 探究(ヴィチャーラ)についても同様です。
 ヴィチャーラがあるかぎり、二元性もあることになります。
 しかし源に融け入れば、そこには「一なるもの」だけが在ります。
 それはバクティにおいても同様です。
 帰依によって神を実現すれば、そこに存在するのは「一なるもの」だけでしょう。
 神もまた真我の中で真我によって考えられたものです。
 それゆえ、神は真我と同一なのです。
 もし神への帰依心を抱きなさいと言われた人がすぐさまそのとおりにするなら、それでよいでしょう。
 しかし自らを振り返って「そこには二人がいる。神と私だ。遥か彼方にいる神を知るよりも、より身近で、より親しい『私』を知りたい」と言う人もいるのです。
 このような人にこそ、真我探究の道(ヴィチャーラ・マールガ)が説かれるベきです。
 実際、真我探求と帰依には何の違いもないのです。


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