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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

248避難民のマジレスさん:2019/10/07(月) 00:49:14 ID:5cT9Awlw0
ラマナ・マハルシとの対話148

1936年1月27日

グジャラート州から来た紳士が言った。

「私は音(ナーダ)に精神を集中させています。
 この方法は正しいでしょうか?」

マハルシ
 ナーダに瞑想することは、推奨されている修練方法の一つです。
 この方法を実践する修練者は、特別な恩恵がそれにはあると宣言しています。
 彼らによれば、それは最もやさしく直接的な方法です。
 子守唄が子供を眠りに誘うように、ナーダは心をなだめ、サマーディの状態へと誘います。
 王が長旅から帰還した王子を楽隊で迎え入れるように、ナーダは帰依者を快い手法で神の王国へと誘うのです。
 ナーダは集中を助けますが、その後、修練自体をゴールとするべきではないことに気づくようになるでしょう。

 ナーダが目的なのではなく、主体をとらえなければならないのです。
 さもなければ、空白状態に陥ってしまうでしょう。
 その空白状態にあってさえ主体は存在しています。
 それでも、さまざまな音(ナーダ)が止まったことに彼は気づかないでしょう。
 その空白状態にあってさえ気づくようにするためには、自分自身を覚えていなければなりません。
 音への瞑想(ナーダ・ウパーサナ)は良い方法です。
 もし探究(ヴィチャーラ)と組み合わせるなら、さらに良くなるでしょう。
 その場合、ナーダはチンマヤ(純粋意識、知識)との組み合わせ、またタンマヤ(真我への没入)との組み合わせとなります。
 ナーダは集中を助けるのです。


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