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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
244
:
避難民のマジレスさん
:2019/10/05(土) 01:14:55 ID:5cT9Awlw0
質問者
困難は無想の境地に在ることです。
マハルシ
無想の境地のことは放っておきなさい。
それはあなたが関わることではないのです。
歩くとき、あなたは意図せずに歩を進めます。
行為においても同じです。
しかし無想の境地はあなたの行為の影響を受けないのです。
質問者
行為における識別とはどのようなものでしょうか?
マハルシ
識別は自動的で直観的なものになるでしょう。
質問者
では直観だけが重要なのでしょうか?
直観は発展します。
マハルシ
偉大な真理を発見した人たちは、真我の深い静寂の中でそれを発見したのです。
自我は大地に映る自分の影のようなものです。
それを埋めようとするのは愚かなことです。
真我はただ一つです。
もし限定されていれば、それは自我であり、限定されていなければ、それは無限の実在なのです。
水泡は一つひとつ異なり数知れません。
しかし海はただ一つです。
同様に、自我は数多くとも真我は一つ、ただ一つなのです。
「あなたは自我ではない。実在を実現しなさい」と言われたにもかかわらず、なぜまだ自我と自分自身を同一視するのでしょうか?
それはちょうど「薬を飲むときに猿のことを考えてはならない」という諺のようなもので、不可能なことです。
普通の人々にも同じことが起こります。
実在について教えられたのに、なぜ「私はシヴァである」(シヴォーハム)や「私はブラフマンである」(アハン・ブラフマースミ)に瞑想し続けるのでしょう?
その真の意義を見極め、理解しなければなりません。
単に言葉を繰り返したり、それについて考えたりするだけではだめなのです。
実在とはただ自我を失うことです。
自我のアイデンティティを探し出すことで、それを破壊しなさい。
自我には実体がないため、それは自動的に消え去ります。
そうすれば、真理はひとりでに輝き出すでしょう。
これが直接的方法です。
一方、他のすべての修練方法は自我を保持しなければできません。
それらの道を選べば多くの疑いが起こり、究極の問いは最終的に直面されるまで残るでしょう。
しかし真我探究では、最後の問いだけが唯一の問いです。
そして最初からこの問いなのです。
この探究にはいかなる修練(サーダナ)も必要ありません。
実在として在りながら、私たちは実在を獲得しようと探究しています。
これ以上の不思議はないでしょう。
私たちは実在を隠している何かがそこに在り、実在が獲得される前にそれが破壊されなければならないと思っているのです。
それはばかげています。
あなた自身があなたの過去の努力を笑う日がやって来るでしょう。
あなたが笑うだろうその日もまた、今、この瞬間なのです。
質問者
それでは、それは見せかけの大芝居(ゲーム)なのですか?
マハルシ
そうです。
『ヨーガ・ヴァーシシュタ』にはこう述べられています。
「実在は私たちから隠され、偽りが真実として顕わになっているのだ」と。
私たちは実際、実在のみを体験しています。
それにもかかわらず、私たちはそれを知らないのです。
これほどの不思議があるでしょうか?
「私は誰か?」という探究こそ、自我を断ち切る斧なのです。
*薬を飲むときに猿のことを考えてはならない…
「この薬を飲めばあなたの病気は治る。だが1つだけ条件がある。それは薬を飲むときに猿のことを考えてはならないということだ」と医者に言われ、猿のことを考えまいと努力したが、薬を見るなり猿のことを考えてしまい、結局薬を飲んでも効かなかったという昔話に由来する諺。
いくら「私は自我ではない。私はブラフマンだ」という真理に瞑想しても、「私は自我だ」という思い込みを消し去ることはできない。
自我を消し去ることができるのは真我探究しかない、とマハルシは説いている。
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