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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

233避難民のマジレスさん:2019/09/29(日) 23:41:07 ID:5cT9Awlw0
ラマナ・マハルシとの対話141

同じ紳士が『カイヴァリャ・ナヴァニータム』から引用した後で尋ねた。

「一度達成された真我の知識(ジニャーナ)が失われることはあるのでしょうか?」

マハルシ
 ひとたび明らかになった真我の知識は、確立されるまでに時間がかかります。
 真我は確かに誰もが直接体験していることですが、私たちが想像しているようなものではありません。
 それはただ「あるがまま」に在るのです。
 この体験がサマーディです。

 火は呪文などの方法で身を守る人を焼くことはできませんが、そうでない人は焼いてしまいます。
 同様に、真我は心の潜在的傾向(ヴァーサナー)に覆い隠されていますが、ヴァーサナーがなくなれば顕わになるのです。 ヴァーサナーの変化変動ゆえに、真我の知識は確立されるまでに時間がかかります。
 確立されていない真我の知識に、輪廻転生を止めるだけの十分な力はありません。
 ヴァーサナーがあるかぎり、真我の知識は不動となりえません。
 確かに偉大な師の臨在のもとに在れば、ヴァーサナーは活動を止め、心は静まり、サマーディは起こるでしょう。
 それは何かの方法で火に焼かれずにすむようなものです。

 こうして弟子は師の臨在のもとで真の知識と正しい体験を得ます。
 その中にとどまるには、さらなる努力が必要とされます。
 最終的に、彼はそれが自分自身の真の存在であることを知り、生きながらに解脱するでしょう。
 
 目を閉じたままのサマーディは確かに良いものですが、行為と無為が対立しない状態に達するまで、さらに進まなければなりません。
 活動によってサマーディを失うことを恐れるなら、それは無知のしるしでしかありません。
 サマーディは誰にとっても自然な生活の根底であるべきです。

 そこには私たちの努力や無努力を超えた状態があります。
 それが理解されるまで、努力は必要です。
 一度でもそのような至福を体験すれば、繰り返しそれを得ようと試みるようになるでしょう。
 平和の至福をひとたび体験すれば、誰もそこから出て他のことに関わりたくなどなくなります。
 アジニャーニにとっては想いから自由になることが難しいように、ジニャーニにとっては想いを起こすことが難しいのです。

 普通の人たちは自分自身を知らないと言います。
 彼らは多くの想念に巻き込まれ、想念なしにとどまることができません。
 しかしジニャーニはどのような活動にも影響を受けません。
 彼の心は永遠の平和の内に在るのです。


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