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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

229避難民のマジレスさん:2019/09/27(金) 23:44:29 ID:IMv4YTvA0
ラマナ・マハルシとの対話139

1936年1月19日

セーラムから来た立法府議員のエラッパ・チェッティアール氏が尋ねた。

「心を内側に向けるだけで十分なのでしょうか、それとも『私はブラフマンである』という確言に瞑想すべきでしょうか?」

マハルシ
 心を内側に向けることが最も重要です。
 仏教徒は「私」という想念の流れへの洞察を解放と見なしています。
 一方、私たちは、そのような流れはその根底にある唯一の実在から生じたものと見ています。

 なぜ「私はブラフマンである」に瞑想すべきなのでしょうか?
 「私」の消滅だけが解放なのです。
 しかしそれは「私ー私」を常に視野に入れることによってのみ達成できます。
 そのためには「私」という想念を調べることが必要です。
 「私」を手放さないかぎり、探究者に空白状態は起こりません。
 さもなければ、瞑想も眠りに落ち入ってしまうでしょう。

 常に存在するのは唯一「私」だけです。
 しかし偽りの「私」という想念が時あるごとに立ち現れてきます。
 一方、そのような想念が立ち現れる前でさえ、直覚的「私」は常に自ら輝き続けているのです。

 粗大な身体の誕生が自己の誕生ではありません。
 自我の誕生が自己の誕生なのです。

 解放にとって、新たに獲得されるべきものは何もありません。
 それは原初の状態であり、変わることなく在り続けるからです。


*仏教徒は「私」という想念の流れへの洞察を解放と…

ある仏教徒は「『私』という想念は絶えず変化し続ける感覚的印象の連鎖でしかなく、束の間のはかない存在であり、実体を持たない。それゆえ『空』である」という洞察と理解が解放をもたらすと見なす。
しかし、「私」という根が断ち切られていないため、「空」の洞察は得ても、その洞察を得た者(自我)はまだ生き残っている。
釈尊自身の説く究極的な解脱は、空の洞察ではなく自我の寂滅(ニルヴァーナ)であり、それはマハルシの説く「私」の消滅と変わらない。


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