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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

212避難民のマジレスさん:2019/09/19(木) 23:17:54 ID:FXk.y0gQ0
ラマナ・マハルシとの対話131

スッバ・ラーオ氏が尋ねた。

「ムキャ・プラーナ(主要な生気)とは何でしょうか?」

マハルシ
 それはそこから自我とプラーナが生じる源であり、ときにクンダリニーと呼ばれています。
 意識は生まれたことがありません。
 それは永遠に存在し続けます。
 しかし自我は生まれ、その他の想念も同様です。
 それらは絶対意識と結びつくことで輝きを得ますが、さもなければ輝きません。

質問者
 モークシャ(解脱)とは何でしょうか?

マハルシ
 モークシャとは、あなたが生まれたことなどなかったと知ることです。

 「静かに在りなさい。そして私は神だと知りなさい」

 「静かに在る」ということは、「考えない」ということです。

 「考えなさい」ではなく、「知りなさい」がその言葉なのです。

質問者
 胸には異なった色の六つの器官があると言われています。
 その中のハートは中心線から指二本分だけ右側にあると言います。
 しかしハートに形はありません。
 それでは、私たちはその形を想像して、それに瞑想すべきなのでしょうか?

マハルシ
 いいえ。
 「私は誰か?」という探究だけが必要なのです。
 深い眠りと目覚めの状態を通して常に存在するもの、それは同じものです。
 しかし目覚めには不幸があり、それを除こうとする努力があります。
 眠りから目覚めたのは誰かと問われれば、あなたは「私」と答えるでしょう。
 今、あなたはこの「私」をしっかりとらえなさいと言われたのです。
 もしそうしたなら、「永遠の存在」はおのずと明らかになるでしょう。
 「私」を探究することが要点であって、ハート・センターに瞑想することではありません。
 内側や外側などというものはありません。
 それはどちらも同じ意味か、まったく何も意味しないかのどちらかです。

 もちろんハート・センターへの瞑想という修練もあります。
 それは修練でしかなく、探究ではありません。
 心が活動を止め、静寂にとどまるとき、ハートに瞑想する人だけがその自覚を保つことができます。
 一方、他のセンターに瞑想する人はそれほど自覚的にはなれず、心が再び活動し始めたことによってのみ、それが静止していたことに気づくのです。


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