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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
210
:
避難民のマジレスさん
:2019/09/18(水) 23:50:14 ID:FXk.y0gQ0
ラマナ・マハルシとの対話130
シュリー・ラーマクリシュナ・ミッションから来たラクシュマン・ブラフマチャーリーが尋ねた。
「私は誰か?」という探究、あるいは「私」という想念は、それ自体どちらも想念です。
どうしてそれがその過程で破壊されると言うのでしょう?
マハルシ
ラーマが森でリシ(聖者)の姿をして他のリシたちと共にいたとき、シーターはリシの妻たちから、どの人があなたの夫かと尋ねられました。
一人ずつ指で指し示されたとき、彼女はその一人ひとりを否定しましたが、ラーマが示されたとき、彼女はただうつむくばかりでした。
彼女の沈黙は雄弁だったのです。
同様に、『ヴェーダ』もまた「ネーティ・ネーティ」(これではない、これではない)において雄弁で、それから沈黙にとどまります。
その沈黙こそが真の境地です。
これが沈黙による教えの真意です。
「私」という想念の源にたどりついたときその想念は消え去ります。
その後に残るもの、それが真我です。
質問者
『パタンジャリ・ヨーガ・スートラ』は同一性について語っています。
マハルシ
「至高なるもの」との同一性とは、自我の破壊を意味するもう一つの名前なのです。
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