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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
194
:
避難民のマジレスさん
:2019/09/10(火) 23:56:49 ID:FXk.y0gQ0
ラマナ・マハルシとの対話122
1936年1月1日
クリスマスに大勢の人がここに集まった。
質問者
どうすれば統一意識に達することができるでしょうか?
マハルシ
統一意識として在りながら、どうやってそれに達すると言うのでしょう?
あなたの質問自体がその答えなのです。
質問者
アートマン(真我)、アナートマン(無我)、パラマートマン(至高の真我)とは何なのでしょうか?
マハルシ
アートマンとはジーヴァートマン(個的真我)であり、その他は明白です。
真我は永遠に存在しています。
誰もが真我を知りたいと望んでいます。
自分自身を知るために、いったいどんな助けが必要だと言うのでしょう?
人々は何か新しいものとして真我を見たいと願っています。
しかし真我は永遠不変に存在し続けるのです。
彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいます。
どうしてそうありえるでしょう?
真我は光ではなく、暗闇でもありません。
それはただあるがままに在るのです。
それを定義することはできません。
最もふさわしい定義は、「私は私で在るものである」(I AM THAT I AM)です。
聖典は真我を親指大のもの、髪の毛の先、電気の閃光、広大なもの、最微小より微小なものなどと記しています。
それらには何の事実的根拠もありません。
それはただ「存在」なのです。
しかし実在や非実在とは異なります。
それは「知識」です。
しかし知識や無知とは異なります。
いったいどうやってそれを定義できると言うのでしょよう?
それはただ「存在」なのです。
シュリー・バガヴァーンはターユマーナヴァルの全文学作品から次の節を取り上げた。
「自我は消え去り、別の『私ー私』が自ら光輝に満ちた姿を現す」
次に彼は『スカンダール・アヌブーティ』から引用した。
「実在でも非実在でもなく、闇でも光でもない。それは在る」
ある人が言った。
「クンバコーナムのシッダ(超自然能力者)が、超越主義だけで日常生活を扱わないシャンカラの欠点だらけの哲学体系を論破したと宣言しました。
人は普段の生活において超人的能力を訓練するべきだ、つまり完全な存在となるためにはシッダとならなければならない、と彼は言うのです」
シュリー・バガヴァーンはターユマーナヴァルの作品で、シッディ(超自然能力)を完全に批判している詩節を引用した。
彼はさらに、
「ターユマーナヴァルは数えきれないほどマウナ(沈黙)について述べていますが、それを定義しているのはたった一つの詩だけです。
マウナとは自我が消滅した後に自然と顕わになる状態です。
その境地は光と闇を超えながら、それでもそれは光と呼ばれています。
それ以外にふさわしい言葉が見つからないからです」と語った。
*ターユマーナヴァルは数えきれないほどマウナについて…『パヤップリ』14
自分自身を独立した実体とみなしていた「私」が恥じ入って頭をたれたとき、完全なる唯一無二の源は、私のハートを満たし、比類なき至福、全意識を包み込む慌惚境を与え、沈黙(マウナ)によって私を抱きしめた。
これ以上いったい何が言えよう?
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