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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
174
:
避難民のマジレスさん
:2019/08/31(土) 23:53:28 ID:et2usUsg0
ラマナ・マハルシとの対話112
1935年12月17日
ポール・ブラントン氏は『ウパデーシャ・マンジャリー』(霊的な教え)を読んでいて、自我、世界、神はすべて非実在であるという表現に出くわした。
彼は「神」に違った言葉を使うか、少なくとも限定形容詞、例えば「創造力」、あるいは「人格神」を使うことを望んでいた。
シュリー・バガヴァーンは、神はサマシュティ、つまり全体性に「存在」(Be-ing)を加えたもの、同じように、「私」は個人プラス「存在」、世界とは多様性プラス「存在」なのだと説明した。
マハルシ
「存在」はどの場合においても実在です。
万象、多様性、個人は非実在です。
それゆえ、実在と非実在の統合、混同、偽りの同一化もまた誤りなのです。
それはサッド・アサッドヴィラクシャナ、つまり実在と非実在(サットとアサット)を超越することです。
実在は神を含めたすべての概念を超越するものです。
「神」という名称が使われているかぎり、それは真実ではありえません。
ヘブライ語のエホヴァ=「私は在る」(I AM)という表現は神を的確に表しています。
絶対なる存在は描写を超えているのです。
「神」という言葉を置き換えることはできないし、またそうする必要もないのだ。
ブラントン氏は何気なく、
「先史時代には霊性はありましたが、高い知性はありませんでした。
しかし現代では知性が発達しています」と言った。
シュリー・バガヴァーンはその知性が「誰の知性なのか?」という質問を起こしたのだと指摘した。
マハルシ
その答えは「真我」です。
それゆえ、知性は真我の道具なのです。
真我はさまざまなものを比較評価すために知性を使います。
知性は真我ではありませんが、真我から離れてもいません。
真我だけが永遠であり、知性は現象にすぎないのです。
人々は多様性の発達を知性の発達として語ります。
知性は常に存在していました。
ダーター・ヤター・プールヴァン・アカルパヤト。
創造者は以前と同じように創造した。
『リグ・ヴェーダ』第10巻190章3節
あなた自身の状態について日々考えなさい。
夢のない深い眠りの中に知性はありません。
しかし今はそれがあります。
子供の中に知性はありません。
それは年齢とともに発達するのです。
眠りの状態や子供の中に知性が種子として存在していなかったのなら、どうして現れることができたのでしょうか?
この基本的事実を理解するために歴史を振り返る必要はありません。
歴史における真理は個人における真理と同レベルのものなのです。
*『ウパデーシャ・マンジャリー』(霊的な教え)
最も初期の帰依者の一人、ナターナーナンダが書きとめたバガヴァーンと帰依者との対話の記録。
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