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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

166避難民のマジレスさん:2019/08/28(水) 00:00:16 ID:et2usUsg0
ラマナ・マハルシとの対話108(対話105の統き)

質問者
 ウッダーラカは、(深い眠りの説明のように)すべてがサット(存在)から現れ出すと説明しました。

 身体は食物を取り、食物は水を必要とします。
 食物を消化するために、水は火を必要とします。

 『チャーンドーギヤ・ウパニシャド』によると、「光の輝きの源を探ること」(テージョー・ムーラマンヴィッチャ)、それが「存在の中に融け入ること」(サット・パラスヤーン・デーヴァターヤーン)です。
 もし私たちが「存在の中に融け入った」(サット・サンパンナハ)のなら、なぜ私たちはそれを悟らないのでしょう?

マハルシ
 異なった花々から集められた蜜がハチの巣の中で塊となるように、そしてその一滴一滴がどこから集められたのかわからないように、深い眠りや死におけるサット・サンパンナハでも、人々は自分の個としての存在を認識しません。
 彼らは気づかぬうちにその状態に陥り、目を覚ましたときに以前の彼らの個人的特性を取り戻すのです。

質問者
 たとえ異なった花々から集められた蜜でも、一塊となれば一滴一滴の特質を失ってしまいますが、蜜にはもともと個的な部分は存在しませんし、その源に戻ることはありません。
 一方、深い眠りに入った後で目覚めた個人は、以前と同じ個人として目覚めます。
 どうしてでしょう?

マハルシ
 ちょうど海に流れ入った川がその個としての存在を失い、蒸発して雨水となって丘に降り注ぎ、やがて川となって海へと流れ着くように、眠りに就いた個人もその個としての存在を失いますが、過去の心の潜在的傾向(ヴァーサナー)によって、目覚めの世界にまた個人として戻ってきます。
 このように死においてさえ存在(サット)は失われないのです。

質問者
 どうしてそのようなことがありえるでしょう?

マハルシ
 見てごらんなさい。
 木は枝を切られても再び生えてきます。
 生命の源が影響を受けないかぎり、それは生長し続けます。
 同様に、死においてハートの中に沈み込んだ過去世の潜在的印象(サンスカーラ)も死に絶えることはありません。
 それは機が熟せばハートから芽生え始めます。
 ジーヴァはこうして生まれ変わるのです。

質問者
 ハートの中に沈み込んだ微細なサンスカーラから、どうしてこの広大な宇宙が芽生えると言うのでしょうか?

マハルシ
 バンヤンの大木が小さな種子から芽生えたように、名称と形態をともなうこの広大な宇宙もハートから芽生えるのです。

質問者
 もしその起源がサットであるなら、どうしてそれを感じられないのでしょう?

マハルシ
 塩の山は目に見えても、水に溶けてしまえば見えなくなります。
 それでもその存在は味によって知られるのです。
 同様にサットは知性によって認識されなくとも、異なった方法、つまり超越的な方法で実現されるのです。

質問者
 どのようにでしょうか?

マハルシ
 密林で強盗に目隠しをされて置き去りにされた人が、道を尋ねて家に帰り着くように、無知で盲目になった人も、目の開いた人に尋ね、自己の源にたどり着くのです。

 グルーパデーシャ(師の教え)──

 ヴァーング・マナシ・サンパディヤテー、マナハ・プラーネー、
 プラーナステージャシ、テージャハ・パラスヤーン・デーヴァターヤーン・イティ。

 死の瞬間、話す力は心の中に融け入り、心はプラーナ(生気)の中に融け入る。
 プラーナはテージャス(光輝)の中に融け入り、テージャスはパラマートマン(至高の真我)の中に融け入る。

  『チャーンドーギヤ・ウパニシャド』第6巻8章6節

質問者
 もしそうなら、ジニャーニもアジニャーニも同じように死ぬはずです。
 なぜアジニャーニは転生し、ジニャーニはそうならないのでしょうか?

マハルシ
 サッティヤービサンダ、つまり無罪の人は罪人とは違い、熱せられた鉄球に触れても焼かれないように、サッドブラフマ・サッティヤービサンダ、つまりジニャーニはサット(存在、真理)の中に意識的に融け入りますが、他の人は気づかぬうちにサットの中に入り、気づかぬうちに放り出されるのです。


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