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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
161
:
避難民のマジレスさん
:2019/08/26(月) 00:09:37 ID:et2usUsg0
ラマナ・マハルシとの対話106
1935年11月29日
スワミ・ヨーガーナンダ(パラマハンサ・ヨガナンダ)と数人の同行者が八時四十五分に到着した。
彼は大柄ながら落ち着きがあり、清楚な身なりをしていた。
彼の長い黒髪は肩まで被っていた。
一行はアーシュラマムで昼食を取った。
秘書のC・R・ライト氏が尋ねた。
「どうすれば神を実現できるでしょうか?」
マハルシ
神は未知なる実体です。
さらに彼はあなたの外側に存在しています。
一方、真我は常にあなたとともに在り、それはあなたなのです。
なぜ自分に親しいものから立ち去って、外側へと向かうのでしょうか?
質問者
この真我とは何でしょうか?
マハルシ
誰もが真我を知っています。
しかし明確には知られていません。
あなたは常に存在しています。
その「在ること」が真我なのです。
「私は在る」(I AM)が神の名前です。
神を定義した言葉の中で、『旧約聖書』の出エジプト記第三章第十四節にある「私は私で在るものである」(I AM THAT I AM)ほどふさわしい言葉はありません。
他にも「ブラフマイヴァーハム」(ブラフマンは私である)、「アハン・ブラフマースミ」(私はブラフマンである)、「ソーハム」(私は彼である)という確言があります。
しかし「私は在る」(I AM)を意味するエホヴァという名前ほど直接的に表現したものはないでしょう。
絶対的存在とは、「在るもの」です。
それが真我であり、神なのです。
真我を知れば神を知ります。
実際、神は真我以外の何ものでもないのです。
質問者
なぜ善と悪が存在するのでしょうか?
マハルシ
それらは相対的な言葉です。
そこには善と悪を見分ける主体が存在しているはずです。
その主体が自我です。
自我の源を探究しなさい。
そうすれば、それは真我の中で消滅します。
自我の源は神です。
この神の定義のほうが具体的で、あなたにとってより理解しやすいでしょう。
質問者
おっしゃるとおりです。
ではどうすれば至福を得ることができるのでしょう?
マハルシ
至福とは獲得するようなものではありません。
その反対に、あなたは常に至福なのです。
欲望は、不完全であるという感覚から起こるものです。
この不完全という感覚は誰にとって起こるのでしょうか?
調べなさい。
深い眠りの中で、あなたは至福に満ちていました。
今のあなたはそうではありません。
深い眠りの至福と目覚めにおける至福のない状態の間を、いったい何が遮っているのでしょうか?
それは自我です。
その源を探し出し、あなたが至福であることを見いだしなさい。
新しく得るものなど何もありません。
その反対に、「自分は至福ではない」とあなたに考えさせる無知を取り除かなければならないのです。
誰にとってこの無知はあるのでしょうか?
それは自我にとってです。
自我の源をたどりなさい。
そうすれば自我は消え去り、ただ至福だけが残るでしょう。
それは永遠なるものです。
今ここで、あなたは「それ」なのです。
それがすべての疑いを解く鍵です。
疑いは心の中に起こります。
心は自我から生まれ、自我は真我から立ち現れます。
自我の源を探し出しなさい。
そうすれば真我は顕わになり、ただ「それ」だけが残るのです。
宇宙とは自我が拡張したものにすぎず、それは真我と異なったものではありません。
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