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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5

15避難民のマジレスさん:2019/06/23(日) 13:11:43 ID:jfWCoXjM0
ラマナ・マハルシとの対話46

1935年4月12日

マラヤラム語版の『ウパデーシャ・サーラム』(教えの精髄)の詠唱を聞いた後で、ナゲールコイルのラー
マチャンドラ・アイヤール氏が、極めて朴訥な調子で心の集中と制御について尋ねた。

マハルシ
 心とは真我と身体の同一化にすぎません。
 それによって偽りの自我が生み出され、それがまた偽りの現象を生み出し、あたかもその中で活動するかのように見えるのです。
 しかし、これらはすべて偽りです。
 真我だけが唯一の実在なのです。
 偽りの同一化が消え去れば、常在の実在は明らかになるでしょう。
 実在が今ここに存在しないということではないのです。
 それは常に存在し、永遠に変わりません。
 それはまた誰もが体験していることです。
 なぜなら、誰もが「自分は存在している」ということを知っているからです。

 「自分は誰か?」とは、主観的には「私は誰か?」です。
 偽りの自我は対象と関わっています。
 この自我自身もその対象なのです。
 対象であるなら、それは偽りだということです。
 主体だけが実在だからです。
 対象、つまり身体とあなた自身を混同してはいけません。
 これが偽りの自我を生み出し、その結果、世界とその中で活動するあなたに不幸が現れ出すのです。
 あなた自身をあれこれ、誰それなどと考えてはいけません。
 ただ偽りを払い去りなさい。
 そうすれば、実在はおのずと明らかになるでしょう。
 聖典は「真我はニティヤ・シッダ、すなわち永遠の存在である」と述べながら、無知を取り除くことに
ついて語っています。
 もし真我が永遠の存在なら、どうしてそこに無知がありえるでしょう?
 誰にとっての無知だと言うのでしょうか?
 これは矛盾しています。
 しかしそのような言葉は誠実な探究者を正しい道に導くためのものなのです。
 「私が存在しなかったことは一度もない。あなたも、ここにいる王たちも……」。
 このような平易な言葉で述べたなら、探究者は唯一の真理を理解できないでしょう。
 シュリー・クリシュナは真理を説きましたが、アルジュナは理解できませんでした。
 後にクリシュナは、「人々は私を身体と同一視するが、真理においては、私は生まれもせず、死にもしない」とわかりやすく語っています。
 それでもアルジュナにとって真理が明らかになるには『バガヴァッド・ギーター』のすべてを必要としたのです。

 真我とはただ「在る」ことであり、あれやこれとして在ることではありません。
 それはシンプルな存在なのです。
 在りなさい──そうすれば無知は終焉するでしょう。

 誰にとっての無知なのか、それを探究しなさい。
 眠りから目覚めるとき、自我が立ち現れます。
 深い眠りの中で、あなたは「私は眠っている。今目覚めようとしている。私はずっと眠っていた」などとは言いません。
 しかし、それでもあなたはそこに存在しています。
 目を覚まして初めて、あなたは「私は眠っていた」と言います。
 つまり、あなたの目覚めはその中に眠りを含んでいるのです。
 あなたの純粋な「存在」を認識しなさい。
 身体との混同を取り除きなさい。
 身体は想念の産物なのです。
 想念はその戯れを続けるでしょう。
 しかしあなたは影響されないままに在るでしょう。
 眠りの中で、あなたは身体に関わらずにいました。
 ですから、いつもそのように在ることはできるのです。

エーカナータ・ラーオ氏
 仕事で収入を得なければならない世俗の人々に、どうして身体の活動に影響されないまま在ることができると言うのでしょう?

マハルシ
 行為が束縛となることはありません。
 束縛とは偽りの概念にすぎないからです。
 「私は行為者だ」という想念を棄て去って、あなたの干渉なしに、身体と感覚にその役割を果たさせなさい。


*「私が存在しなかったことは一度もない…『バガヴァッド・ギーター』2-12

私が存在しなかったことは一度もない。
あなたも、ここにいる王たちも。
われわれが未来に存在しなくなることもない。

*「人々は私を身体と同一視するが…『バガヴァッド・ギーター』4-6

私は不生、不滅、不変の身体を持つすべての生きとし生けるものの主であるが、潜在的な力によって、この世に原初の姿を現す。


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