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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 5
111
:
避難民のマジレスさん
:2019/07/31(水) 14:11:59 ID:GgfeNo3g0
ラマナ・マハルシとの対話81
1935年10月15日
過去二十年間ヴェーダーンタ哲学に興味を抱いてきたアメリカの化学者、バーナード・べイ氏がインドに来て師を訪れた。彼は尋ねた。
「アビャーサ(修練)はどのようにするのでしょうか?
私は光を探そうと試みています」
(彼の説明では、アビャーサは精神集中を意味する)
マハルシ
今までのあなたにとってのアビャーサとはどのようなものですか?
質問者
私は鼻の底に集中するのですが、心はさ迷うばかりなのです。
マハルシ
心は存在するでしょうか?
帰依者の一人が静かに言葉を挟んだ。
「心とは想念の集まりです」
マハルシ
誰にとっての想念でしょうか?
もし心の位置を見いだそうとすれば、心は消え去り、真我だけが残るでしょう。
ただそれだけが存在し、集中も何もできなくなるでしょう。
質問者
これを理解するのは本当に困難です。
もし何か具体的なことなら理解も容易なのですが。
ジャパやディヤーナならもっと具体的です。
マハルシ
「私は誰か?」が最高のジャパです。
真我よりも具体的なものがあるでしょうか?
誰もがあらゆる瞬間にそれを体験しているのです。
なぜ真我を離れて外側にある何かをとらえようとするのでしょう?
知られざる何か彼方のものを探し出そうとするよりも、知られている真我を見いだしなさい。
質問者
真我に瞑想するとき、どこにするのでしょうか?
つまり、身体のどの部分に瞑想すればよいのでしょう?
マハルシ
真我が自ら顕わになるべきです。
ただそれだけが望まれるのです。
一人の帰依者が静かに言った。
「胸の右側にアートマンの座と呼ばれるハートがあります」
別の帰依者が言った。
「真我が実現されたとき、光はそのセンターにあるのです」
マハルシ
まさにそのとおりです。
質問者
どのようにして世界から心をそむけるのでしょうか?
マハルシ
世界は存在するでしょうか?
つまり真我から離れて?
世界が「自分は存在する」と言うでしょうか?
「世界が存在する」と言うのはあなたなのです。
そう語る自己を見いだしなさい。
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