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【実践が】修行するスレ【肝心なのじゃ】
68
:
蓮恵
:2018/11/28(水) 20:52:28 ID:mcxPUZkg0
一切もろもろの衆生は、この万法の諸相にまどいて、目に見てはむさぼり、耳にききてはあらそい、鼻にかぎ、舌にあじわい、身にふれて、そのものごとに、貪着して、さらにこの万法の、夢幻泡影のごとく、鏡象水月のごとくにして、幻化虚妄なる事を知らず。
胎卵湿化の四生をうけ、生住異滅の四相にうつされ、五欲の境界に着して、六根の罪業をつくり、千生万劫、地獄餓鬼のほのおに身をこがし、生々世々、畜生修羅のくるしみにしずみ、あるいは人間に生ずれども、四大和合の色身を、我とおもい、六塵虚妄の縁影を、心として、生老病死念々におかし、春夏秋冬時々にうつり、みどりの髪たちまち白く、花のかんばせついにしぼみて、朝の露と消え、夕の煙とのぼる。
かかる無常転変の浮世、電光石火のわが身、しばらくもとどまることあたわず。
刹那もしずかなる事なくして、水の時々にながるるがごとく、ともし火の念々消ゆるに似たり。
これまさしく行蘊のすがたなり。
しかるに衆生の三界に流転するは、万法の幻化を知らずして、その夢幻の六塵に貪着して、十悪五逆の幻業をつくるゆえに、地獄餓鬼の幻果を受く。
わが身本より幻なれば、その心もまた幻なり。
その心すでに幻なれば、その煩悩もなまた幻なり。
煩悩本より幻なるゆえに、その悪業もみな幻なり。
悪業ことごとくげ幻なれば、三途の苦果もこれ幻なり。
三途すでに幻なれば、人間天上もまた幻なり。
三界の生死幻なれば、四生の因果も、ことごとく幻にして、一大法界のその中に、幻にあらざるものある事なし。
衆生幻業をつくりて、幻苦を受くるゆえに、諸仏幻慈をたれて幻法を説き、幻苦を救って、幻楽を与う。
これを涅槃の大楽という。
この大楽を受くる事は、その幻法を知るゆえなり。
衆生は幻法に迷うゆえに、幻業によりて幻苦を受く。
諸仏は幻法をさとるゆえに、幻苦を脱して、幻楽となす。
幻法にまよう衆生は、夢幻の生滅にばかされて、生死無常の行苦を受けて、行蘊の遷流となす。
幻法をさとる諸仏は、夢幻の生死を涅槃となして、行苦を滅して常楽にのぼる。
いかんしてか生滅の行苦をもって涅槃の常楽となすとならば、これ別に造作にあずかるにあらず。
ただ万法の遷流、生死の法を徹底夢幻と知ればなり。
【五の二十】
このゆえに円覚にいわく、幻と知ればすなわち離る。
方便をなさず、幻をはなるればすなわち覚なり。
また漸次なしと。
そのゆえいかんとなれば、三界万法すでにこれ幻なるゆえに、幻は本より生ずることなし。
すでに生ぜぬ万法なれば、いずれの時か滅する事あらん。
すでに生滅去来にあずからず、あに不生不滅の涅槃にあらずや。
すでに不生不滅の体なれば、何ぞ是非得失の沙汰あらん。
本より生死なきゆえに、涅槃というも仮の名なり。
生死にも涅槃にもあらざれば、煩悩菩提のわかちもなく、衆生諸仏のへだてもなし。
生死のわずらいは煩悩なり。
煩悩なきがゆえに菩提もなし。
煩悩もなく生死もなければ、何をか衆生と名づくべき。
衆生のさとりたるを諸仏という、本より衆生にあらざるゆえに、いまさとりて、諸仏というべき事もなし。
されば悟という事は、かくのごとく人々の、本より迷わずして、ただ本のすがたなることをたしかに見つくるをいうなり。
円覚経に始知衆生本来仏と、説かれたるこの意(こころ)なり。
本来成仏とは、本より仏という意なり。
本より衆生にあらざる故に、仏というべきようもなけれども、本より迷いの衆生にあらざることを、しいて仏と名づけたり。
このゆえに生死もなく、涅槃もなしといえども、凡夫のはかりがたき、奇妙のさとりの体、なしという事にはあらず。
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