したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

オレンジブック等

1避難民のマジレスさん:2018/06/14(木) 18:26:09 ID:cVgUA7Co0
oshoの講和など集めたものをのせていきます。

2避難民のマジレスさん:2018/06/14(木) 18:26:48 ID:cVgUA7Co0
瞑想とは何かを知ること
それがまず第一だ
ほかのあらゆることはついてくる
私はあなたたちに
瞑想すべきだ、ということはできない
ただ瞑想とは何かを説明できるに過ぎない
私を理解したら、あなたは瞑想のなかにいる
瞑想には "べき" はない
私を理解しなければ、あなたは瞑想の中にはいない

3避難民のマジレスさん:2018/06/14(木) 18:27:26 ID:cVgUA7Co0
瞑想とは何か?


瞑想は無心の状態だ
それは、中身のいっさいない純粋な意識の状態だ
あなたたちの意識は、たいがい、あまりにもがらくたでいっぱいだ
それは、ちょうど鏡がほこりでおおわれているようなものだ
心(マインド)はとだえることのない交通で
思考が動き、欲望が動き、記憶が動き、野望が動いている
それは途切れることのない交通だ!
開けても、くれても、眠りについているときまでも
心(マインド)は働いている、それは夢見ている
相も変わらず考え、愛も変わらず心配事や心労のなかにいる
あしたのために準備し、秘密裡に準備し続けている
これは瞑想のない状態だ
瞑想は、これとまるで正反対のものだ
往来がとだえ、考えが闇
思考が動かず、欲望がうごめかず
あなたがまったく沈黙しているとき___
その沈黙こそ瞑想だ
その沈黙のなかでこそ、真実は知られる
けっしてそれ以外ではない
瞑想は無心の状態だ
心を通じて瞑想を見出すことはできない
なぜなら、心はそれ自体を永続させるからだ
心を脇におくことによって、はじめて瞑想を見出すことができる
冷静に、無関心に、心と同化せずにいることによって
それと同化することなく、
「自分はそれだ」と思うことなく
心のよぎる姿を見ることによってだ


瞑想は「私は心(マインド)ではない」ときづいていることだ
その覚醒があなたのなかで深く、深くなってゆくとき
しだいに、いくつかの瞬間がやってくる
静寂の瞬間
純然たる空の瞬間
透明な空間___
自分のなかに何も動かず、あらゆるものが静止している瞬間___
そうした静止の瞬間にこそ、あなたは自分が誰なのかを知る
そして、この存在の<神秘>を知る
ある日、偉大な祝福の比がやってくる
それは、瞑想があなたの自然な状態になるときだ
心は不自然なものだ
それは、けっしてあなたの自然な状態にはならない
だが、瞑想は自然な状態だ
それを私たちは失ってしまった
それは失われた楽園だが、その楽園は回復できるものだ
子供の目をのぞき込んでごらん
見ると、はかりしれない静けさや、無垢に出会うだろう
子供は一人ひとり、瞑想的な状態で生まれてくる
が、彼らは社会のやり方に加入させられなくてはならない
いかに考え、計算し、判断し、議論するか
を、教えられなくてはならない
言葉、言語、概念を、教えられなくてはならない
そうしてしだいしだいに、自分自身の向くとの接触を失い
社会によって汚され、汚染されるようになる
その子供は1個の効率的な機械になり
もはや一人の人ではなくなる
必要なことのすべては、もう一度そのスペースを回復することだ
あなたたちは、かつてそれを知っていた
だから、はじめて瞑想を知るときにはびっくりする
というのも、あたかも以前にそれを知っていたみたいな
大いなる感覚があなたの中に甦るからだ
そして、その感覚は真実だ
かつてあなたは知っていた、が、忘れていたのだ
そのダイヤモンドは、ごみくずの山の中に埋もれている
そのおおいを取り除くことができたら
再びそのダイヤモンドを見出す
それはあなたのものなのだ、本当に失われることはありえない
忘れ去られているにすぎないものだ
私たちは瞑想する人として生まれる
それから、心のやり方を学ぶ
だが、私たちの真の本性は
底流のように、深く、どこか隠れたところに在りつづける
いつの日にでもすこし掘り起こしさえしたら
いまだに枯れることなく流れ続ける源を
新鮮な水の源を見いだす
そして、それをみいだすことこそ、生のこの上もなき喜びだ

4避難民のマジレスさん:2018/06/14(木) 18:45:39 ID:cVgUA7Co0
瞑想は、集中ではない

集中の状態にあるときには
集中している自己があり、集中の対象がある
そこには二元性がある
瞑想の状態にあるときには
内側に誰もいない、しかも、外側に何もない
瞑想は集中ではない、うちと外のあいだに分離はない
うちは外へと流れつづけ、外は内へと流れつづける
その分界、その境界、その境界線はもはや存在しない
内は外で、外は内だ
それは非二元的な意識だ
だからこそ、集中は疲労を生み出し
集中すると消耗した感じがする
あなたは四六時中集中することはできず
一息いれるために休日をとらなくてはならない
集中は、決してあなたの本性にはなりえない

5避難民のマジレスさん:2018/06/14(木) 18:46:41 ID:cVgUA7Co0
瞑想は疲れさせない、あなたを消耗させはしない
瞑想は、四六時中のものになりうる
来る日も来る日も、くる年もくる年も___
それは永遠になりうる
それはくつろぎそのものだ
集中は行為、意志された行為だ
瞑想は無意志の状態、無活動の状態だ
それは、くつろぎだ
人は、ただ自分自身の存在のなかに落ちていく
その存在は、全体としての<存在>でもある

集中においては、心は結論から機能する
あなたが何かをやっている
集中は過去から生じる
瞑想においては、その背後にどんな結論もない
あなたはとくに何もやってはいない
ただ単に在る
瞑想はそのためのどんな過去ももたず、過去に汚染されていない
瞑想は、そのためのどんな未来ももっていない
どんな未来にも汚されていない
老子はそれを「無為にして為す」といった
無活動を通じての活動だ
それは禅匠たちがいいつづけてきたことだ
静かに座り、何もせずにいると、春が来て草はひとりでに生える
覚えておきなさい、「ひとりでに」だ
何も為されてはいない
あなたが草を引っぱり上げてはいないのに
春が来て、草はひとりでに生える
その状態
そのときあなたは、生にそれ自身の道を歩ませている
そのときあなたは、生に指導するのを望まない
そのときあなたは、操っていない
そのときあなたは、生にどんな規律をも強いていない___

その純粋な、規律を受けていない自在な状態こそ瞑想だ

瞑想は現在、純粋な現在にある
瞑想は即時だ
あなたは瞑想を"する"ことはできない、が、瞑想"にある"ことならできる
あなたは集中"にある”ことはできない、が、集中"する"ことならできる
集中は人間的で、瞑想は<神聖>だ

6瞑想法を選ぶ:2018/06/14(木) 19:00:34 ID:cVgUA7Co0
瞑想法を選ぶ

まず最初に、あなたの興味をそそるものを見つけなさい
瞑想は強いられた努力であるべきではない
もし瞑想が強いられたら
それは初めから運命づけられてしまう
強いられたことは、けっしてあなたを自然にしない
無用な葛藤をつくりだす必要はない、このことを理解すべきだ
なぜなら、あなたが、心に興味をそそる対象を与えるとしたら
心には瞑想する自然な能力がそなわっているからだ

あなたが"体指向"だと感じるとしたら
体を通して神に至る道がある、体もまた神のものだからだ
あなたが、自分は"心(ハート)指向"だと感じるとしたら
それなら、祈りだ
あなたが、自分は"知性指向"だと感じるとしたら
それなら、瞑想だ
だが、私の瞑想法はある意味で異なっている
私は三つのタイプすべての人々が用いることのできる方法を、
編み出そうとした
それらの方法では、体も大いに使うし、心も知性も大いに使う
それら三つのすべてが結び合わされ
異なる人々に、ことなったように働く
体、心、知性 ___
私の瞑想法は、すべて同じように進む
それらは体から始まり、心を通じて進み、知性に至り
それから、それらを超えてゆく

いつでも覚えておきなさい

あなたがたのしんでいるものなら、なんであれあなたの中に深くには
 いってゆける、それだけが深くはいってゆける
それを楽しんでいるということは、それが適しているということだ
そのリズムが合っているので、あなたとその」方法との間には微
 妙なハーモニーがある
ある方法を楽しんでいるときに、そこで貪欲になってはいけない
できるかぎりその方法の中に入って行きなさい
1日に1度、できれば2度それをやるといい
多くやればやるほど、いっそう楽しむだろう
その喜びが消えてしまってはじめて、その方法をやめること
そのときには、その方法の働きは終わっている
ほかの方法を探すといい
どんな方法も、あなたを最後の地点まで連れては行けない
瞑想の旅では、幾度も汽車を乗りかえなくてはならない
一定の方法が、あなたを一定の状態へと導く
そこを超えると、もはやそれは役に立たず使い果たされている


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板