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鬼和尚に聞いてみるスレ part11
700
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/12(木) 22:40:58 ID:Y5LPInQE0
>>699
鬼和尚さんは復讐すれば身を滅ぼすとは、どういう意味で仰ったのでしょうか?
単純に刑務所に入れられるとか逆恨みされて報復される程度の意味でしょうか?
701
:
龍閃
:2018/07/13(金) 17:13:10 ID:kyaUlqf20
麻原は事件を起こしたときに、すでに地獄にいたともいえるのでしょうか。
あのような憎しみが心にあったなら、決して安らかではなかったと思うのですが。
702
:
39
:2018/07/13(金) 19:41:48 ID:uTiUxAqg0
>>699
鬼和尚さん、ありがとうございます。
色々なことに気づきました。
役に立たないことに囚われないようにしたいと思います。
また質問なのですが、私はずっと、死の不安から逃れるためにこの世界には幸せというものがあって、幸せを味わうために自分というものがあると思っていたことに気づきました。
だから、経験を味わう存在を自分と思っているではないかと思います。
つまり、自分の今の心の状態を振り返る時や、今までの自分の経験などの記憶を思い出す時に、自分が現れるような感じがします。
ただ、心がなくなって記憶がなくなれば自分はいなくなると素直に思えるのですが、でも、心や記憶がない状態が想像できません。
何も感じなくなって記憶もなくなれば、自分はいなくなるのですが、この場合の、自我が起こる本当の原因はどこにあるのでしょうか?
自分をどう観察したら良いでしょうか?
703
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/13(金) 21:01:49 ID:h5P9mv0k0
人間の大多数は、本心では「苦から逃れたい」などとは思っていないのでは?
だから人間としてこの世に生まれてきた、とは言えませんか?
マゾなのかどうかわかりませんが、実は苦しみの世界に生まれて苦しみに満ちた人生を歩む事を自ら
望んでいるのが人間の本性なのでは?と思うのですが。
では「苦から逃れたい」と言う境地に辿り着く人間にはどんな特徴がありますか?
704
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/13(金) 22:25:25 ID:1d4drIFg0
>>700
悪事には報いが在るものじゃ。
自ら破滅を求めるようになるじゃろう。
自分では得をするとか思って破滅を選ぶのじゃ。
無意識に自分で自分を罰するようになるのじゃ。
心が報いを作るのじゃ。
>>701
そう言えるじゃろう。
他人が全て憎かったのじゃろう。
実は自分で自分を憎んでいたのであるがのう。
>>702
記憶と自分を同一化していることじゃろう。
記憶する主体、経験する主体が自分と認識しているのじゃ。
記憶を思い出すと自分が起こり、記憶を思い出していない自分が起こらないことを観察するのじゃ。
難しいことでは在るがのう。
恐れを乗り越えて進むのじゃ。
>>703
そうじゃろう。
苦にさえも執着しているのじゃ。
それ故にこの娑婆世界に生まれたといえるのじゃ。
本当の苦を味わえば苦から逃れたいと思うじゃろう。
それは特に苦しい環境でなくとも、死を強く思ったりすれば味わえるのじゃ。
自らの死を真剣に思い尽くし、考え尽くせば死の苦から逃れたいと思うのじゃ。
705
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/13(金) 22:43:28 ID:Y5LPInQE0
>>704
しかしそれならば何故ヤクザとかマフィアとかの悪しき者たちが未だにこの世界には存在するのでしょうか?
彼らが皆破滅していないのはおかしくないでしょうか?
706
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/14(土) 00:24:44 ID:Y5LPInQE0
またどうして復讐することは悪で、やられっぱなしで居ることは善なのでしょうか?
損害賠償請求しても良いと仰ってますが、それは復讐心からしても良いということでしょうか?
707
:
39
:2018/07/14(土) 11:34:28 ID:VfhJ5ipQ0
>>704
鬼和尚さん、ありがとうございます。
でも、よくわからないので教えてください。
記憶する主体や経験する主体を自分だと思っているのに、なぜその原因は記憶自体になるのですか?
つまり、記憶自体と記憶するという行為は別なのではないのですか?
それから、記憶を思い出さないと自分がないことを観察してみましたが、記憶を思い出さないという状態は、ほんの一瞬しか続きません。
たしかに何となく、その一瞬で、もやもやとした観念の自分が起こる気がしますが、この短時間の観察を繰り返しているだけで、自我の成り立ちがわかるのでしょうか?
あと、なぜ、記憶を思い出さないと自分がないことを観察するのは難しいことなのでしょうか?
難しいと言われると悟れない気がして凹みます。
どの程度どのように難しいのかを教えてください。
いくつも質問して本当にすみません。
よろしくお願いします。
708
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/14(土) 17:32:06 ID:8qFvIk/s0
鬼和尚様。上のレスに関連して、業について質問です。
たとえばいじめがあったとします。この場合、人の嫌がること
をしている、いじめている人間は悪でしょうか?
それとも、いじめられている人間は、和尚の言われる、「過去の行いの
報い」を受けているので、自業自得であり、いじめてる人間は悪くは
無いと見るのでしょうか?
このケースの場合、いじめられている人間はどう対処すればいいの
でしょうか?仕返しという選択は、さらに業を積み、苦が増えるだけに
思えます。
さらに基本的な質問ですが、前世の業が現世で生存中に発現することは有りますか?
和尚のブログで、前世の業は生まれ変わる時の環境に影響するような事を記述されて
いるのを読んで、疑問に思いました。
例えば、何もしていないのに理不尽な目にあう、等の状況は、過去の業の
影響ですか?
もしそうなら、それを解消するにはどうしたら良いのでしょうか?
私は、普段、割と理不尽な目にあっているような気がします。何か悪いことを
したのでしょうか?和尚様から見て、何か分かりますか?
質問ばかりですが、よろしくお願いします。
709
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/14(土) 17:57:09 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん
>無意識に自分で自分を罰するようになるのじゃ。
>心が報いを作るのじゃ。
最後まで自分の悪事を認めず、自分は全く正しいことをしたと反省も後悔もなく死んでいく死刑囚も居ると聞きますが
人間の心というのは人それぞれなので、和尚さんの言われるような善人ばかりではないのではないでしょうか?
鬼和尚さんは何を根拠に自ら破滅を求めると言われるのですか?
710
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/14(土) 19:26:47 ID:h5P9mv0k0
夏になると山奥で大規模なロックコンサート、音楽フェスティバルが夏の風物詩として開催されます。
この野外ライブはものすごい爆音を響かせるのですが、自然や生態系に何らかの悪影響はないんでしょうか?
きっと山の小動物たちはビックリしているんじゃないかと。
その他、木や花や川などにダメージを与えているんでしょうか?
大体のフェスはエコロジー的な姿勢を打ち出して、自然を愛するとか何とか言ってますが
最近、矛盾を感じています。どう思われますか?
自然に影響が無いのなら、好きなだけやれば良いと思いますか?
711
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/14(土) 20:09:58 ID:8qFvIk/s0
和尚殿
>>708
に追加ですが、過去に耐え難い苦に遭い、仏教や和尚様のHP等を読んで
心を入れ替えて、修行と合わせて善行をしようと心がけてます。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-21.html
善行は、5戒を守ったり、このページにある内容を実践してますが、
> わしの話を読んだりしてこれからは善を行おうという者は、罪の浄化として試練にさらされる。
> 他人に罵られたり、嫌な思いをしたりするが、それは罪を浄化するための試練なのじゃ。
この試練?が理不尽すぎます。 やはり、前世を含めた過去の悪行の報いでしょうか?
これは試練だとしたらどれくらい続くものですか?
> それを耐え忍び善を行い続ければ、罪は浄化され、善き報いが来るのじゃ。
こうなった時に、自分で分かるものでしょうか?
バカになって善行をしてますが、やっぱり死にたくなる事があります。
712
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/14(土) 21:09:55 ID:1d4drIFg0
>>705
業の報いはゆっくり熟してくるものじゃ。
それはヴェーダにも経典にも書いてあるのじゃ。
業の報いが遅く来る間には生きていることもできるのじゃ。
改心する機会も与えられるのじゃ。
>>706
攻撃欲から復讐するのは悪なのじゃ。
犬にかまれたからといって犬をかみ返せば犬の仲間に陥るようにのう。
慈悲によって導くのは善になるのじゃ。
今後被害者が出ないように、反省させるために請求もよいのじゃ。
>>707
記憶に拠っているからなのじゃ。
別なのじゃ。
それらの認識をも記憶が担っているからなのじゃ。
それはおぬし次第なのじゃ。
今はじめてそれだけ感得できるならばしっかりした心構えで続ければ観照も起こるじゃろう。
恐れから逃避すれば何も起こらないのじゃ。
恐れを超えて続ければよいのじゃ。
それはおぬしに自分を無くすことの恐れが在るからじゃろう。
記憶による自分をそれだけ理解していれば、このまま続ければ自分が無くなると思うのじゃ。
自分を無くすと言う事は死の恐れに等しいことになるのじゃ。
死も自分が無くなるのであるからのう。
死の恐れから修行に入ったものが死の恐れを乗り越えて続けるのは難しい事じゃ。
しかし、それも乗り越えて進めば不死の境地に至れるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
713
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/14(土) 21:31:44 ID:1d4drIFg0
>>708
悪なのじゃ。
警察とかに言うのじゃ。
教師や教育委員会に言っても効果は無いのじゃ。
いじめは犯罪であるから警察に直接通報するのみなのじゃ。
そのようなこともあるじゃろう。
そのような環境に産まれることも報いなのじゃ。
ただひたすら懺悔して善事を積むとよいのじゃ。
何をしたかわからないならば一切の過去世の悪事を懺悔し、二度と悪事は行わないと誓うと良いのじゃ。
環境もよくなっていくじゃろう。
>>709
そのような表面の意識による反省とか後悔とは違うのじゃ。
無意識に自分を罰してしまうのじゃ。
罪を犯したものが用もないのに警察の前をうろついて捕まるとかのう。
死刑囚になる者もそのような自分では理解できない行動で捕まるものも多いのじゃ。
新聞とかを読んでいればよくあることなのじゃ。
それも観察してみると良いのじゃ。
714
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/14(土) 21:35:29 ID:1d4drIFg0
>>710
悪影響はあるじゃろう。
会場にするために木を伐採することも在るようであるからのう。
エコロジーではないのじゃ。
金儲けの手段なのじゃ。
>>711
そのようなこともあるじゃろう。
自分の心が満足するまで続くのじゃ。
本心を恐れずに観察して気づくしかないのじゃ。
わかるじゃろう。
願望が自然に叶ったりするのじゃ。
善事を行い、福楽への道を行くことを知っただけでも幸運なのじゃ。
そのようなことも知らず嘘を重ねて地獄への道を歩んでいる者も多いからのう。
715
:
708
:2018/07/15(日) 00:05:49 ID:8qFvIk/s0
>>713
>>714
有難うございます。
過去から最近まで起こり続けてる苦の種類を観察していると、
なんとなく想像がつきそうです。(´・ω・`)
しかし何をしたかは分かりません。ですので、
過去の悪事を懺悔して、二度と悪事を行わなよう、出来る限りの
努力をしたいと誓います。
嘘をつかずに本心を観ると、一切しないと言ってしまうと、それは
無理であって嘘をついてしまうと思っているようです。ですので、今はこれが精一杯です。
>自分の心が満足するまで続くのじゃ。
>本心を恐れずに観察して気づくしかないのじゃ。
普段から、絶えず観察をして気づけるようにしたいと思います。
たしかに、このような知識を得る事ができ、和尚様にアドバイスを
いただける環境は、幸運であり善であると思います。
少しでも悟りの境地に近づけるように実践していきたいと思います。
716
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/15(日) 10:22:39 ID:Y5LPInQE0
>>713
>無意識に自分を罰してしまうのじゃ。
自分を罰したい本心に気付き、懺悔して善事を積めば、解決するのでしょうか?
善事を積む気になるには、自分を罰したい本心に気づく事が第一歩でしょうか?
私は、善事になんて大して興味ないです。生き物を殺して食べて生きていかねばならない人間が何が善事かなどと思ってしまいます。
他にも自分が職を得るために他人と競争しなければならない現実もあるでしょう。
車の運転で飛び出してきた子供を轢いてしまうかもしれません。自分が生活するために車を使わざるを得ないが故に
起きてしまう可能性に目をつぶりそれを行う・・・というように人間にはどうしても罪から逃げられない側面があると思います。
それでも善事を積まないといけない、私にはこのことがとにかく嫌で嫌でしょうがないのです。
何故そのような仕組みになっているのでしょうか?
717
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/15(日) 18:51:22 ID:h5P9mv0k0
「盗聴」って悪ですか?
日本では盗聴行為自体を取り締まる法律が無いそうです。
実際には盗聴器を仕掛けるために不法に住居侵入したなど、別件で検挙される事になるようです。
では、盗み聞きすると言う行為自体は善でも悪でも無いのでしょうか?
公共の場で隣の人の会話に聞き耳を立てる、と言うようなことは特に悪いとも思えません。
ホテルなどで興味本位で隣室の声を聞こうと壁に耳を立てる、と言うのはあまり品がある行動ではないですが。
本人の目的の内容によって変わると言うことでしょうか?
718
:
叡智
:2018/07/15(日) 19:05:09 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚は「〜じゃ」口調でやわらげられているが、恐ろしいほど真をつく言葉を話している。
もし、鬼和尚の説法が「〜である」口調ならば、信者も増えるがアンチも増えるし、悪人には苦痛を生み出すだろう。
コミカルな「〜じゃ」口調だから多くの人が安心して読めるのは確かだと思う。
719
:
39
:2018/07/15(日) 20:06:05 ID:izxhxeRQ0
>>712
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自分を記憶する主体と思っていても、記憶と同一化してしまう理由が理解できました。
記憶を思い出さないと自分がないことを観察してみます。
怖れについては、たしかに私は怖がりなので、目を閉じて瞑想していてもサマーディーにはなれないのではないかと思ってしまっています。
目を閉じているだけで、どこかに不安がある気がするからです。
だから、瞑想でサマーディーなってから悟りを目指すよりも、ただただ観察して悟りを目指す方が易しい道だと思っていたのですが、それよりも瞑想でサマーディーになって、恐怖心をなくす方が易しい道なのでしょうか?
もちろん恐怖心に負けないようにやっていくつもりですが、どう進むのが良い方法なのでしょうか?
それから、サマーディーは怖がらなくても良いものですか?
通常の意識とは違う状態になると聞いただけでちょっと不安に思っています。
サマーディーにならなくても、忘我になれたら恐怖心なしで観察できますか?
720
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/15(日) 20:58:20 ID:1d4drIFg0
>>715
そうじゃ、善事を積めば福楽も付き従うのじゃ。
またおいでなさい。
>>716
自らの罪を懺悔告白して二度としないと誓えば報いも軽くなるのじゃ。
その本心に気づくことで善事をするようにはならないのじゃ。
自らの意志で善事を積むようにするのじゃ。
慈悲の行いが善事なのじゃ。
食べることも競争も事故も悪ではないのじゃ。
攻撃欲や貪欲によって他人を傷つけることを悪と呼ぶのじゃ。
自分と他人は一つであるからなのじゃ。
他人にしたことは自分にしたこととして返ってくるのじゃ。
他人に善い事をすれば自分に良いことが返るのじゃ。
実践在るのみなのじゃ。
>>717
善い事をするためならばよいことなのじゃ。
悪いことをするためならば悪なのじゃ。
自分次第なのじゃ。
721
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/15(日) 21:02:56 ID:1d4drIFg0
>>718
そうじゃ、それも智慧なのじゃ。
真面目すぎると注意されたぐらいで死ぬ者も出るというからのう。
>>719
それはおぬし次第なのじゃ。
自らの意志によって自分に合った道を選ぶと良いのじゃ。
目覚めた者は誰もがそのようにしてきたのじゃ。
忘我になればサマーディなのじゃ。
本来人の肉体に備わった能力によるものであるから恐れる必要は無いのじゃ。
自らに合った道を探して進むがよいのじゃ。
722
:
叡智
:2018/07/15(日) 21:08:49 ID:o7TfOr0I0
偉いな〜、鬼和尚。尊敬されたり崇拝されることよりも、相手を傷付けないように工夫すると言う。これは凡人の出来ることではないな。
私はいまだ良いアイディアを思い付くと得意気に語ってしまう所がある。
だけど、鬼和尚ほどは達観できんなぁ。
723
:
39
:2018/07/16(月) 11:32:54 ID:oakPTNLg0
>>721
鬼和尚さん、ありがとうございます。
鬼和尚さんの説明でサマーディーに対する不安が減りました。
普通の観察では記憶を思い出さない時間が短時間過ぎるので、瞑想で忘我の状態を目指してみます。
サマーディーが怖かったのですが、サマーディーではなくて忘我になるんだと思うことにします。
普通の観察も続けてみます。
また教えてください。
ありがとうございました。
724
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/16(月) 13:55:30 ID:Y5LPInQE0
>>712
>業の報いはゆっくり熟してくるものじゃ。
それはヴェーダにも経典にも書いてあるのじゃ。
業により何か不幸な事が起きたとして、それが業によるものかどうか確認する方法はあるのでしょうか?
結局のところ、そうかもしれないから悪事はやめておこう程度の抑止力しか無いのではないでしょうか?
そのヴェーダとか経典の内容は存じませんが。
つまり仮にそのような因果応報があったとして、何故、我々には、あの時の悪事が原因で
現在このような報いを受けているのだと確信したり、第三者によっても確認できるようなシステムになっていないのでしょうか?
725
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/16(月) 16:45:17 ID:czRftzgI0
体の触覚の他、筋肉が動く、筋肉に力を入れる時、自分がやっているという感じつまり自分というものを感じます。
この場合、筋肉が動く、筋肉に力を入れる時も観察して乖離する必要があるということでいいですか?
726
:
叡智
:2018/07/16(月) 17:25:09 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。小周天とオーラや内光が見えることの関係性が良くわからないのですが、もう少し具体的に教えて頂けると助かります。
鬼和尚には、どんな感じで、オーラや内光は見えているのでしょうか?
リラックスすると誰にでも見えるのでしょうか?
また、見える人同士ならば、「あの人は赤だね」と言った客観性が担保できるものでしょうか?
727
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/16(月) 18:30:28 ID:h5P9mv0k0
悟っていない人間のほとんどは、不自然な生き方をしていると言えますか?
やりたい事をやらず、やりたく無い事をやる。
ストレスフルで自分が何のために生きているのかもわからない。
世間の価値観や他人の視線を気にして、自分の生きたいように生きれない。
一体、何が原因で人間は不自然な生き方をしているんですか?
そして自然な生き方とは、どんな生き方ですか?
728
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/16(月) 20:59:06 ID:1d4drIFg0
>>722
おぬしには負けるがのう。
わっはっはっは。
>>723
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>724
おぬしの今生きている環境も報いといえるのじゃ。
全てを自らの行いの報いとして謙虚に受け容れるがよいのじゃ。
智慧の在るものには明白に自らの行いを省みる力になるのじゃ。
知識と智慧がないからなのじゃ。
報いが在ることはキリスト教等でも教えているのじゃ。
真摯に学ぶ者には明白になるものじゃ。
>>725
そうじゃ、全て観察してみるのじゃ。
詳細に観察していくとその過程で厭離も起こるものじゃ。
日々続けていけば詳しく観ることも可能になるのじゃ。
毎日精進あるのみなのじゃ。
729
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/16(月) 21:06:25 ID:1d4drIFg0
>>726
小周天ができると肉体の能力が上がるのじゃ。
癌も治るというのじゃ。
眼もよくなっていろいろ見えるようになるのじゃ。
光として見えるのじゃ。
訓練すれば誰にでも見えるのじゃ。
本当に見える者ならばそのようなこともあるのじゃ。
>>727
そのように言えるじゃろう。
個体としての自分が在るという幻想があるからなのじゃ。
個体としての自分が在るという幻想に囚われて行いも不自然になるのじゃ。
全ての一部として命を使うことが自然なのじゃ。
730
:
叡智
:2018/07/16(月) 23:21:56 ID:o7TfOr0I0
ありがとうございます。
ちなみに『仙人になる法』と言う本を出している高藤聡一郎さんの小周天気功法は信用できるでしょうか?
blog↓
http://s-t.jp/blog/how-to-become-a-hsien-top
731
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/17(火) 06:43:32 ID:czRftzgI0
>725
はい観察します。ありがとうございました
732
:
叡智
:2018/07/17(火) 07:03:39 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚ご自身は誰から小周天を学んだ、或いは知識を得たのでしょうか?
また、仙道を極めることで究極の悟りに到達することもあり得るのでしょうか?
733
:
素人A
:2018/07/17(火) 11:08:11 ID:gOqWUDAs0
>>731
また新しい瞑想法おもいつた。人工衛星の様に地球に浮かんで
廻り続ける瞑想だ。 何でも瞑想は同じ用多。 実践がすべて 新しいの次々と
予定に這入り前のやりながら時間余裕も泣くとにかく忙しく焦らせられる
でもお日様はマイペースな一日マンネリでも繰り返すだけ偉いのか偉くないのか
人工衛星瞑想やるか あれヒマワリはもう飽きたのか篩はふるい落とすのか
ひまり衛星瞑想我慢してやる。次は地球一回りやりたいなあとにかくま手忙しい目が回る
734
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/17(火) 11:32:56 ID:E.1IhDic0
鬼和尚様
質問というか感想なのですが。
要するに刺激に対する反応だけ。
刺激に対して記憶との照らし合わせが瞬間的に起こっているだけ。
五感による刺激に対して記憶の照らし合わせが瞬間的に起こる。
この刺激に対しての反応はあちこちで同時に起こっている。
五感によらない刺激に対しても反応しているだけ。
現実も夢も自分も認識も、記憶との照らし合わせの連続性が意味を作り出しているだけ。
となると、瞬間で起こっていることへの観察は、やはり集中力が必要ですね。
これが自然発生的に起こるのは、よほどの偶然じゃないと起きないですね。
735
:
素人A
:2018/07/17(火) 16:47:32 ID:gOqWUDAs0
>>731
さんすいません
>>730
さんの間違い 私は瞬間的に反応するし
自分の書き込みも見返さないし 失敗が覆いつくすしでも見返す時間は
ホカホカにかき消されるし あれやこれや手を足し過ぎて頭は混乱するし
736
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/17(火) 19:41:42 ID:h5P9mv0k0
物をその人の一部だと思う、と言うのも観念ですか?
あるいは妄想に近いんでしょうか。
よくあるのが亡くなった人の形見の品をその人だと思って大事に取っておく、とか。
そうする事でその人と繋がってる感覚を得られる、と。
これも観念なんでしょうか?あまり意味のある事ではないですか?
また、相手と繋がっている感覚を味わいたいがために、他人の所有物を盗む犯罪者の話を聞いた事があります。
これは完全に間違った観念に取り憑かれている証拠でしょうか?
そもそも他者と「繋がる」と言う感覚って一体なんですか?
どうすれば他人と真に「繋がった」と言う感覚が得られるのでしょうか?
737
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/17(火) 19:47:48 ID:o7TfOr0I0
マハラジとハイデガーは、全く同じ議題で話しをしている。即ち「私はある」と言うことだ。
ハイデガーは、私が「在る」為には、死を先駆する必要があるとのべている。
マハラジも私は在ると言うことを自覚するのが悟りだと言っている。
ハイデガーは、最終的に存在を掴み取ることが出来ただろうか?
ハイデガーは、人は、目覚めたり眠りに堕ちたりの旋回運動だとも言っている。
彼は悟っては居なかったかもしれないが、彼の思索は偉大だと思う。
738
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/17(火) 22:41:57 ID:1d4drIFg0
>>730
信用できるのじゃ。
オーラを見る本もだしていたのじゃ。
読むとよいのじゃ。
>>731
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>732
その本を読んだのじゃ。
他の気功法の本も読んだのじゃ。
丹田を鍛えることで自然にできたのじゃ。
サマーディまでなのじゃ。
ヨーガと同じなのじゃ。
悟りに達するには自我を観なければならないのじゃ。
>>733
続けてみると良いのじゃ。
なんでも試してみるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>734
そうじゃ、素早い反応も毎日観察していればみえるようになるものじゃ。
精進あるのみまなのじゃ。
739
:
叡智
:2018/07/17(火) 22:48:30 ID:o7TfOr0I0
そうなんですか!高藤聡一郎さんは、ネットの書評を見ると、余り評判が良くなかったのですが、鬼和尚が彼の本を読んで修行してオーラを見れるようになったのですから、本物なのですね。
あの本には「台湾には齢800歳の仙人が実在して今も生きて弟子を育てている」みたいなことを書いてますが、これは読者へのリップサービスなのでしょうか?本当に事実なのでしょうか?
740
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/17(火) 22:49:19 ID:1d4drIFg0
>>736
そうじゃ、観念なのじゃ。
無意味なのじゃ。
それも観念に取り付かれていると言えるのじゃ。
自分という観念が無い状態なのじゃ。
それは悟りを得ることやサマーディに入ることや、観察による自他の観念を消すことで得られるのじゃ。
深くリラックスしたり、変性意識の状態でも得られるものじゃ。
いろいろ試してみると良いのじゃ。
>>737
ハイデガーには無理だったようじゃ。
探求することを思考と思っていたのじゃ。
惜しいことじゃ。
741
:
叡智
:2018/07/18(水) 06:09:34 ID:o7TfOr0I0
ハイデガーは思考は「向こうからやってくるもの」と考えていたようです。
マハラジの話を聞いていると、ハイデガーと紙一重だなと思います。
本当に惜しいですね。
ハイデガーは「ピュシス」(自然)に返れと言いましたが、ピュシスとは荘子の無為自然と同じものなようです。
742
:
叡智
:2018/07/18(水) 06:16:55 ID:o7TfOr0I0
ハイデガーやフッサールの思索は現代人が自明としている観念を批判解体してくれているので悟りにも役立つと思います。
ゴールまで到達していないにせよ、その周辺を除雪してくれているような感じですね。
743
:
素人A
:2018/07/18(水) 09:58:40 ID:gOqWUDAs0
はい今日伝ガー 何かてきとうだけど今思う事かきますかねー。いや今日は師匠や鬼さんに質問しよう.出鱈目だけど
馬鹿にされても短く早く終わろう。暑い夏だしでも今は室内でクーラークーラーする。
私も皆と同じに子供の頃不注意で命の危機の場面に何度か出くわした。その位置は木の上で友達とふざけて争って
私はスーッと木から落ちたけどアライアン.何の恐怖も無く落ちながら何の恐怖も無く2メートル位下の枝が観えて
普通に猿のように手足で抱きしめてつかまってもう一度上り上の子と争いもう一度リプレイで落ちたら同じ枝があって
また捕まったそしてもう一度のぼつたけどそれを見ていた友はさすがにあらそはなく無事に時は過ぎて二人とも生きて
いた。同じような事が崖の上の土手でゲタはいて下にくだって転んでくる来ると私は落ちて目の前に小さな木があり
自然に手ず神して助かって不通に土手の上にあがつたその時も恐怖はなかった。子供だから今日負も無かった野鴨。
後で考えたら私の立場で観る世界の正解はあの世に行かず私からは生きて私の世界にいるけど?他の人の世界の正解
では私は亡くなっていや身が無くなっている世界に居るのかなあと思うけど。師匠や鬼さんの意見聞きたい。その
答えで私の考えとちがつても?きっと私は僧じゃない出んがーと思うだけか。何故か私はシッ問者として出来損ない
ですいません。人の答え聴く前に自分で答えがパット出ていっも相手が答える前に自分で喋っていっも妻には怒られるし
正解はパラパラれるワールドなのかも。
744
:
素人A
:2018/07/18(水) 10:07:34 ID:gOqWUDAs0
今日の暑すぎるテレビのニュースで熱中小で亡くなった子供が放送されて
たげど本人の観るせかいでは生き続けているのだろうと思う
でも大人になつたら身は大分壊れているし修理は大変だし新車の買い替えたほうが
良い野鴨
745
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/18(水) 19:50:18 ID:h5P9mv0k0
鬼和尚。
日本人は第二次世界大戦の敗戦後、アメリカによる占領政策によって国家人民の弱体化が図られたと聞きました。
今こそ日本人は戦前の仁徳と礼節を重んじ、利他と武士道精神を取り戻して伝統を大切に生きていくべきと考えますか?
論語を読むべきでしょうか。
釈迦の教えにも仁徳、礼節、伝統を尊重するなどの言葉はありますか?
また、慈悲と利他は違うのでしょうか?
利他は天地自然の原理だと、学者の本に書いてありました。
日本人が大和魂を取り戻せば、強大な国家として蘇り平和と繁栄の国として栄えるのではないでしょうか?
今でもそう信じている人は結構いるようです。
746
:
叡智
:2018/07/18(水) 20:03:41 ID:o7TfOr0I0
凄いね。鬼和尚説法の朗読バージョンもあるんだ。
747
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/18(水) 21:16:05 ID:1d4drIFg0
>>741
>>742
そうかもしれん。
先人の跡を追って楽に進歩できるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>743
そのようなこともあるかもしれん。
しかし、今のおぬしには何の影響もないのじゃ。
今の自分の道をいくしかないのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>745
慈悲により自他の利益を求めるが良いのじゃ。
それ以外は不要なのじゃ。
慈悲だけなのじゃ。
自他の利益が大事なのじゃ。
利他のみでは到底ものごとを為しえないのじゃ。
慈悲心を取り戻せばよいのじゃ。
そうすればおぬしは栄えるのじゃ。
_
>>746
そうかしもれん。
748
:
叡智
:2018/07/18(水) 21:25:54 ID:o7TfOr0I0
在ると言う感覚を追求し続けようと思います。
「私」か生じたとしても、在るにとどまり続けようと思います。
在ると言う感覚を深く、可能な限り深く広く感じ続けようと思います。
749
:
素人A
:2018/07/19(木) 08:33:50 ID:gOqWUDAs0
自分の道ですか今しか道は開けないし.責任を皆ブラ不満に求めても
過去は皆運命的に正しくただせないし.未来は私にとっては未知だし
今?気合がそんなに這入らない色々な事情が左右するし普通で行きますか
何とかなる我々庶民は身捨てられない色々な事情が だめだこりゃで行くか
750
:
素人A
:2018/07/19(木) 12:15:10 ID:gOqWUDAs0
あそうなのか鬼和尚さん。修行とは最初は心沈めて心をからにする。
つまり色々を空にして仏として観察する。おさわり無しで坐れたら。
空から色々な実践するのか.つまり此処ではおさわりもあり僧でなければ
我々庶民は煩悩の仲で厳しい修行になるのかならないのか?厳しく命令
されなきゃ我々はやる気が無いしヤレヤレ空即是色でもさあとりあえずのまあ良い化
あまり私はきばらない。無理に力んでも便は出ないし普通が良い五分座るか
751
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/19(木) 18:30:07 ID:czRftzgI0
「本人の波動が変化すると、後を追うように、現実が波動に合わせて変化する。
波動という言葉がわかりにくいなら、「感情、感覚、気分、イメージ」などとも言い換えられる。
潜在意識は、現実と想像の区別ができない。また、過去・現在・未来の区別もできない。
厳密に言うと、言語も理解しない。本人のイメージ(波動)を汲み取って、現実を動かしていく。
普段の波動がポジティブ優勢なら、ポジティブな事が多くなり、普段の波動がネガティブ優勢なら、ネガティブな事が多くなる
そして、この波動(気分やイメージ)は、言語でコントロールできる。
現在、自分がどういう状態だろうと、ポジティブな言葉を日頃からしつこく繰り返し唱えていれば、
本人の知らない間に、潜在意識がポジティブな状態に誘導されて、現実が変わり始める。
潜在意識は、言語を理解せず、波動(イメージ)しか認識しない。
しかし、その波動(感情、感覚、気分)は、「言語によってコントロールできる。」
というのは本当ですか?
752
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/19(木) 20:32:26 ID:h5P9mv0k0
鬼和尚、子供のしつけや作法について教えてください。
以前、子供には慈悲を教えるといいと言われてましたね。
それ以外の子供に対する「しつけ」については、どのような事が必要だと考えますか?
例えば履物を揃えるとか、大きな声で返事するとか、年長者を敬うとか?
健全な人格形成のためにも、幼少期のしつけや作法を教える事は重要だと思われますか?
これは洗脳ではないですよね?
鬼和尚の言葉を児童教育に当てはめてみれば「慈悲」「健康」「財産(お金)」と言ったところでしょうか。
一ヶ月に1つ、12個のテーマを教えるとして他に何か教えるべきテーマはありませんか?
観察、姿勢、丹田、とか?
753
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/19(木) 21:19:53 ID:1d4drIFg0
>>748
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>749750
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>751
少しは本当なのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。
なんでも実践して確かめてみるのじゃ。
>>752
そのようなしつけは社会的な演技であるから人格形成には役立たないのじゃ。
強制すればストレスから反発して犯罪者になったりするのじゃ。
社会で認められるための演技として教えるが良いのじゃ。
そのようなことでよいのじゃ。
瞑想も教えると良いのじゃ。
人との付き合い方とかも教えると良いのじゃ。
754
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/19(木) 21:24:30 ID:czRftzgI0
>751
そうですか。ホ・オポノポノをやっていますが、まだ結果が出ているかわかりません。
755
:
糞和尚
:2018/07/19(木) 22:44:52 ID:dwzKza6c0
>>751
それは本当じゃ。「気」の働きでそうなるのじゃ。
おぬしも「気」の本を読んでみるのじゃ。
望月勇氏(ロンドン在住)の本がお薦めじゃ。
彼はヨーガの指導と気功治療を行っているのじゃ。
756
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/20(金) 21:01:44 ID:h5P9mv0k0
利他ではなく慈悲、との事について。
つまり、思いやりや優しさは他者優先ではダメなのですか?
自己の利益より他人の幸福を願う姿勢は一見、美しいし日本人はこう言うのが好きなイメージがあります。
利他は自然な行為ではないんですか?
利他の何がいけないのか説明してもらえませんか?
757
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/20(金) 22:29:13 ID:1d4drIFg0
>>754
どんどんやってみるとよいのじゃ。
実践によって是非もわかるものじゃ。
実践が全てなのじゃ。
>>756
それは無理が在るからなのじゃ。
つま先立ちでは長く走れないように、無理があれば長く続かないのじゃ。
無理だからと途中でやめるぐらいならばしないほうがよいのじゃ。
慈悲によって自他の利益を求めてこそ無理が無く、長く続けられるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
758
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/21(土) 00:14:01 ID:8FsmL1sc0
毎日死が怖いです。
逃避出来れば良いですが。
毎日、その辺の景色を見ても死ぬことがチラついて虚しい気分になるのは、真実に近いのですか?
759
:
糞和尚
:2018/07/21(土) 16:40:15 ID:dwzKza6c0
>>758
死後の世界は、そんなに怖い所ではないのじゃ。
おぬしが極悪人ならわからんがのう。
わしが経験した世界は、肉体がないから安らいだ世界じゃった。
怖いのは自我が無くなることじゃろう。
それは仕方のないことじゃ。
わしも悟っていないから、その時になってみないとわからんのじゃ。
ただ、良い事をして今を生きるようにしているのじゃ。
760
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/21(土) 17:04:39 ID:mVyUz.GI0
全身麻酔では意識が遠のいたと思ったらもう手術終わってベットにいたと
よく聞くのですが麻酔下での意識は死者の意識とほぼ同じなのでしょうか?
手術成功して目覚めたからこそ意識も何もなく終わったと感じるのでしょうが
もしそのまま亡くなっていたら生まれ変わるまで無意識で生まれ変われば
以前の生は今の私達同様何も思い出せないとなるのですか?
761
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/21(土) 20:07:12 ID:h5P9mv0k0
教育者の中には「平等」や「自由」と言うものが混迷を招き、箍の緩みが生まれて乱れの原因になる。
安易に個性を尊重するのは間違いで、年長者は常に立場が上で先生の言う事には必ず従う素直さを持たせ、
序列をしっかり教育することが子供の幸福に繋がるのだ、と仰ってる人がいます。
自我を抑える自己否定の勇気を持ち、先生の言うことが自分の意にそぐわなくても、まずは「はい」と受け入れる素直さを持てば
誰からも可愛がられ、愛され、好かれる。それによって本人の心は和らぎ、明るさが生まれる。
そしてますます愛される好循環が人間を幸せに導く。
子供は基本的に無知で未熟であり、教育が必ず必要である。
教育者としての先生や親と子は平等ではなく、言いつけを守り教えに従うのが自然なのだ。
このような教育が本当に幸福に結びつくんでしょうか?
762
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/21(土) 22:04:19 ID:1d4drIFg0
>>758
そうじゃ、死を想わない者よりは真実に近いのじゃ。
死は確実にやってくるのであるからのう。
逃避したまま死ねば後悔が残るのみなのじゃ。
その恐れを原動力として修業を進めるとよいのじゃ。
不死の境地は確実に在るものであるから、いずれはたどり着けるのじゃ。
それまで精進あるのみなのじゃ。
>>760
同じといえるのじゃ。
思い出そうとすれば思い出せるのじゃ。
深い眠りの後でも自分が眠っていたことを思い出せるようにのう。
意識は眠らずあり続けるのじゃ。
>>761
結びつかないのじゃ。
そもそも教育で人が幸せになることはないのじゃ。
教育は社会でうまくやっていくだけのものであるからのう。
763
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/22(日) 19:32:30 ID:h5P9mv0k0
自分がいる会社の体質が古いんです。
まるで昭和のようにアナログ。
仕事のやり方、考え方、使っている仕事道具、環境、事業内容。
何もかも全時代的です。慣習と伝統を守るのが大切なようです。
会社で一番優遇されているのは、長く務めている年配の方々。
その次がご老人に媚を売るイエスマンの若手。
会社を改革しようとするアイディアマンは悉く辞めていきます。
老人マインドの支配が強く、今の時代に対して否定的な姿勢さえ見せています。
僕は社内環境には不満です。年寄りに逆らえず微妙な顔をして働く若手が可哀想です。
会社を変える行動を起こすべきか、年寄りにいい顔をしてテキトーに働くか。
そもそも意義ある事業とか貢献とか考えずに、社会で行われてることは舞台の芝居のようなもので
古いとか新しいとか真面目にこだわっても無意味なんでしょうか?じゃあ、金だけ稼いで演技をしてればいいと?
なにか参考意見をいただけませんか?
764
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/22(日) 22:47:12 ID:1d4drIFg0
>>763
そうじゃ、仕事とは身を養う金を稼ぐためだけのものなのじゃ。
演技が必要ならばそれを行って稼ぐが良いのじゃ。
おぬし自身も今の時代にあった方が良いとか、そうするのが正しいという観念が在るのじゃ。
それは古いやり方を良いとする観念と全く同じなのじゃ。
それに囚われれば苦になるだけなのじゃ。
なにものにも囚われずに進むのじゃ。
765
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/23(月) 20:24:06 ID:h5P9mv0k0
鬼和尚、ありがとうございます。
自分の考えも観念だ、と言う事に全く気づいていなかったので参りました。
言われてみれば仰る通り、自分も相手も同じような事を主張していますね。
仕事はお金のためと割り切って、どんな主義主張にも囚われないように気をつけたいと思います。
もう一つだけ質問させて下さい。
社会や家庭では「秩序」と言うものは必要なんでしょうか?
例えば父親の威厳とか、師弟関係とか色々あると思うんですけど。
そもそも秩序とは何でしょうか。
この世界に秩序ってあるんですか?
766
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/23(月) 22:15:20 ID:1d4drIFg0
>>765
そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
本来必要ないものじゃ。
それも観念である組織を保つためのものであるからのう。
しかし、その組織を何らかの形で利用するとか所属するならば保つために必要なのじゃ。
秩序が無ければ法律の無い国と同じようにそれぞれが勝手なことをして収拾がつかなくなるのじゃ。
状況によって使えばよいのじゃ。
世界にも本来は無いものじゃ。
人の観念によって作られるのじゃ。
767
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/24(火) 18:31:06 ID:czRftzgI0
般若心経の解釈はこれで合ってますか?
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose
768
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/24(火) 20:31:12 ID:h5P9mv0k0
少年犯罪は真っ当な教育が不足しているから起こると考えられますか?
大人の責任で、きちんと子供を教育してないから非行に走るんですか?
教育業界の大改革が求められていると思います。
なんとアドバイスをされますか?
769
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/24(火) 21:44:03 ID:1d4drIFg0
>>767
違うのじゃ。
それは空と観る方法なのじゃ。
全てを空と観ることで観念を破壊するのじゃ。
実践在るのみなのじゃ。
>>768
違うのじゃ。
複数の原因で起こるのじゃ。
ストレスがたまったり、悪い価値観の観念を植え付けられたりして起こるのじゃ。
教育がされていても起こるのじゃ。
ちゃんと子供を見ている者がいれば防げるのじゃ。
770
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/25(水) 19:11:36 ID:dpLRfrSw0
鬼和尚さん
人は無明だから執着するのでしょうか?
物事の本当の全体像が見えれば、全てのものは執着する必要のないものとわかるのでしょうか?
執着しても苦にならないものはありますか?
771
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/25(水) 19:44:02 ID:czRftzgI0
>767
ここで和尚さんは般若心経は空の法だと仰っています。それが雲黒斎の説明とどう違うのですか?
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-120.html
772
:
善慧
:2018/07/25(水) 19:46:35 ID:qMcPKCVY0
鬼和尚さま、教えてください。心の観察で、感情的な反応の本当の原因は
両親が私に対して抱いた感情の記憶だったことに気がつきました。
幼い頃の親の反応を、その心と一緒に取り込んでいるようなのです。
親が抱いたはず感情が、自分の心にあることが不思議です。
これは鳥などのインプリンティングと同じようなものなのでしょうか?
だとすると記憶というのは個人のものですらないのでしょうか?
773
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/25(水) 20:56:38 ID:h5P9mv0k0
姿勢良く正座をすれば心は正しくなるんですか?
一部の教育機関では子供に正座をさせて、難しい本を音読させるなど厳格な人間教育を行っているところがあるようです。
そこまでする意味が良く分からないんですが、それで本当に真っ直ぐな人間になれるのでしょうか?
大人のエゴイズム、あるいは宗教のようにも見えるんですが。
心が正しくなる、と言う状態に教育は無関係なんでしょうか?
774
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/25(水) 21:34:06 ID:1d4drIFg0
>>770
そうじゃ、無明から執着も起こるのじゃ。
全体に気づけばそれもなくなるじゃろう。
執着して苦にならないものはないのじゃ。
執着があればなにごとも苦になるのじゃ。
執着を滅して進むのじゃ。
>>771
空もまたただの方法なのじゃ。
最後には捨てられるものじゃ。
それが真実とか、それに気づくということは無いのじゃ。
空の法が無くても悟りを得る者はいるのじゃ。
それでよいのじゃ。
>>772
そのようなこともあるじゃろう。
全てはひとつで在るからのう。
親の心が子にも伝わるのじゃ。
囚われればそれもまた苦になるものじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
>>773
ならないのじゃ。
無意味なのじゃ。
エゴイズムともいえるじゃろう。
無関係なのじゃ。
それもまた妄想といえるのじゃ。
775
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/25(水) 23:31:18 ID:tk2vui..0
鬼和尚こんばんは。
横からすみません。
「空」が真理という訳ではなく、それも観念であり、空を自我が掴んでいる間は悟りではない。
ということでしょうか。
やはり言葉から離れたところでの体感?をしなければいけないのでしょうかね。
私もまだまだ先の話かなと凹みますが、実践は地道に続けて行きます。
776
:
素人A
:2018/07/26(木) 10:11:38 ID:gOqWUDAs0
鬼さん今の私は 空と色がお互い仲良く出来ず.不満の言い合いで
無理な頼み事ばかりでお互い許す余裕が無い。これでは苦しいが来る
でもそれが今だしまあ良いか
777
:
華祥
:2018/07/26(木) 17:12:00 ID:tnBsFtRg0
鬼和尚さま
観念についてわかりやすく教えて頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。
778
:
善慧
:2018/07/26(木) 18:26:31 ID:pJtysqb.0
お返事ありがとうございます。心に隔たりはないのですね。
ダンマパダにある「母も父もそのほか親族がしてくれるよりも
さらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる。」という言葉が
わかるような気がしました。守るモノも何もない恐れを乗り越えたいです。
厳しい暑さが続きますが、鬼和尚さま、修行に励む皆さま、
どうかお身体を大切にお過ごしください。
779
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/26(木) 18:34:35 ID:czRftzgI0
>771
般若心経も修行法の一つにすぎずこだわる必要はない。概念が一つ消えました。
そこまで深く理解していたとは流石ですな。ありがとうございました
780
:
770
:2018/07/26(木) 20:42:23 ID:oakPTNLg0
>>774
鬼和尚さん、ありがとうございます。
さらに質問させてください。
悟ったら、誰でも必ず全体像が見えるのでしょうか?
それと、その全体像は、実はまだ何かの一部だという可能性はないのでしょうか?
悟りは本当に最終的で究極的なものなのですか?
それから、肉体が死ぬと、音楽や映画などの楽しさが味わえなくなりますが、悟ると、それにさえ執着しなくなるのでしょうか?
そして、そうであるなら、悟ると、そういう楽しみにさえも執着しないでいられるようになれるのは何故なのですか?
781
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/26(木) 21:15:00 ID:h5P9mv0k0
生命の輪廻の輪は基本的に生産性の無いサイクルだと思ったほうがいいですか?
そのような生産性の無い無意味な悪循環から抜け出す方法が、いわゆる不死の法。
ブッダの教えなんでしょうか?
では真の生産性とは何なのでしょう?
解脱する、と決意して修行する者の人生は生産性のある人生でしょうか?
そして解脱は生産と言うより、元の状態へ戻る「回帰」に近いのでしょうか?
782
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/26(木) 21:21:15 ID:1d4drIFg0
>>775
そうじゃ、それを掴んでいるうちは観念に執着していることになるのじゃ。
空と観ることによって変化する心が大事なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>775
その状態をただひたすらに観察するのじゃ。
そうすればなくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>777
観念とは言葉とイメージによって認識されたもの全てなのじゃ。
そうであるから悟りを得ていない者の世界は全て観念の世界なのじゃ。
言葉とイメージは記憶に拠って成り立つものじゃ。
記憶に依存して言葉とイメージによって認識されるものが観念と言えるのじゃ。
>>778
そうじゃ、おぬしも大事にするのじゃ。
またおいでなさい。
783
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/26(木) 21:31:02 ID:1d4drIFg0
>>779
そうじゃ、拘る必要は無いのじゃ。
それがわかるとはおぬしもさすがじゃ。
またおいでなさい。
>>780
観ようとすれば見られるのじゃ。
観念が無くなる故にそれはないのじゃ。
もはや為すべきことも為すものも無い故に究極なのじゃ。
執着は無くなるのじゃ。
娯楽への執着は快楽ではなく、苦からの逃避であるからなのじゃ。
苦がなくなればもはや逃避する必要も無いから娯楽には執着しないのじゃ。
執着せずに楽しむことはできるのじゃ。
>>781
そうじゃ、無意味な苦の連鎖なのじゃ。
そこから抜け出すのが不死の法なのじゃ。
永遠の安楽に達することが真の生産性なのじゃ。
有限の存在から無限の存在へ回帰するのであるからのう。
使えばなくなるお金を預けて利子が無限に増えていくようなものじゃ。
それを目指す者の人生は生産性が有ると言えるのじゃ。
回帰ともいえるのじゃ。
784
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/26(木) 22:34:35 ID:tk2vui..0
鬼和尚、ご返答ありがとうございます。
空について考え語り、それが真理であると主張し始めると「観念遊戯」になってしまうんですね。
真我もそうですし、アートマンもそうなんでしょう。
以前なら意味不明でしたが、今は何となくわかるような気がします。
考えるのは一旦止め、瞑想に励みます。
785
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/27(金) 05:11:24 ID:vYJs8XhE0
鬼和尚さま
思考を観察しだして数分立つと、夢のようなビジョンが多くなります。
そのまま観察しているのですが、どんどん夢の中に入っていってしまうような感じになって意識が途切れてしまいます。
何かアドバイスをお願いします。
786
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/27(金) 07:18:59 ID:h5P9mv0k0
拗ねたりムクれたりするのも怒りの一種ですか?
怒鳴ったり暴力を振るうよりかはマシなんでしょうか?
787
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/27(金) 11:57:00 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん
自己同一化=自我の観念を投射=これは私の事、私の行動
で合っていますか?
788
:
770
:2018/07/27(金) 19:26:58 ID:Tu1eESLY0
>>783
鬼和尚さん、ありがとうございます。
いろいろ理解できましたが、もう少し質問させてください。
悟っていない人で死が怖くない人というのはいるのでしょうか?
また、死が怖くないから悟る必要はないというような人は存在するのでしょうか?
例えば、死後の世界について理解していて、本にしたり講演しているような人は、もう死が怖くないので悟る必要はないのですか?
それから、マハリシが死にゆくものを見た時、マハリシは肉体の死だけを見たのですか?
もし、肉体とか脳の死だけを見て悟ったのなら、マハリシの自我は肉体や脳によってのみ成り立っていたことになると思うのですが、どうなのでしょうか?
だから、肉体が死んで、死後になっても自分がある人であれば、肉体以外のものの死にゆくのも見なければ悟れないのではないでしょうか?
肉体以外のものが死にゆくのを見るには何を見れば良いのでしょうか?
789
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/27(金) 22:03:46 ID:1d4drIFg0
>>784
そうじゃ、実践が全てなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>785
それは意識が途切れたのではないのじゃ。
意識は常に在るものじゃ。
思考とか、記憶が途切れると意識が途切れたと思うのじゃ。
頭の意識よりも肉体にある意識に集中するのじゃ。
胸にも腹にも意識は在るのじゃ。
頭が無くともそれは常に在るのじゃ。
禅で頭を切り取ってしまえとかいうのはこのことなのじゃ。
出来れば丹田に集中してその意識を感じるのじゃ。
>>786
そうじゃろう。
他人に危害を加えないのはましかもしれん。
その感情も観察してしまえばよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
790
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/27(金) 22:09:08 ID:1d4drIFg0
>>787
おぬしがそのように気づいたならばそれでよいのじゃ。
気づくことで厭離が起こり、変ったこともあるじゃろう。
それを確かめて進むのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>788
時々居るというのじゃ。
そのように想う者も居るかもしれん。
死が怖くなくともいずれは来るものであるから悟る必要は在るのじゃ。
知識では苦の連鎖は止められないのじゃ。
悟りを得ることによってのみ苦は永遠に尽きるのじゃ。
自分というものの死も観たじゃろう。
自分とは観念なのじゃ。
自分という観念を観なければ悟れないのじゃ。
自分という観念なのじゃ。
自分の名前とイメージなのじゃ。
それを自分と思っていることが観られれば無我にもなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
791
:
785
:2018/07/28(土) 04:11:29 ID:vYJs8XhE0
>>789
ありがとうございます。
丹田は、上丹田、中丹田、下丹田があるようですが、どの丹田がいいですか?
792
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/28(土) 05:38:20 ID:czRftzgI0
肉体の意識というのがわかりません。意識したときのジワーという感覚でしょうか?
793
:
770
:2018/07/28(土) 19:16:29 ID:FocWw5K20
>>790
鬼和尚さん、ありがとうございます。
やはり、実際の死後の世界と、生きている人間が想像するものとの間には、超えられない壁があるのでしょうか?
それから、死にゆくものを見る方法が何となくわかりました。
ありがとうございます。
それで、少しやってみたのですが、私は自分を未来を持つものだと思っていることに気づきました。
時間を経過していく存在だと思っています。
また質問なのですが、死を目の前にすれば、過去が幻のようになるのはわかりますが、それは時間は観念だからですか?
あと、私には輪廻転生の観念があって、死を正確に捉えていない気がします。
死ぬと、未来や時間はなくなりますか?
794
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/28(土) 20:12:51 ID:h5P9mv0k0
木や川や石や森は、ありのままの姿で存在していると言う事ですか?
人間も自然と同じように、ありのままに存在する事を目指すべきでしょうか?
795
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/28(土) 20:49:21 ID:C3hJGUeI0
鬼和尚さま、業についてですが
善事を為せば善いことが、悪事を為せば悪いことが自分に返ってくるようなことを言いますが、
それはどの程度そうなのでしょうか?
善事を為してないのに良いことが、悪事を為してないのに悪いことが身に降りかかるということはないのでしょうか?
個人的には自分が体験することはみな自分のせいだと思って自己を考察するのがよい修行だと思ってますが、
災難に遭ってるような人が自分自身のせいだと身をふり返るのも、なかなか大変だなとは思います
796
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/28(土) 21:36:41 ID:1d4drIFg0
>>791
中丹田か下丹田がよいじゃろう。
自分がやり易い方を選ぶのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>792
おぬしも胸とか下丹田に集中してみるとよいのじゃ。
頭が働かない状態でもそこに集中していれば意識が在るのがわかるじゃろう。
感覚だけでは頭で感じたと思っていることもあるのじゃ。
思考も感情も止まっていながら消えない意識があることを感じるのじゃ。
そうすれば意識は思考や感情を超えたものであるとわかるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>793
そうじゃ、観念と実在は違うものじゃ。
今の世界と観念の世界も違うものじゃ。
そうじゃ、時間も観念であるからなくなるのじゃ。
記憶に拠っているのであるから記憶が止まるとなくなるのじゃ。
死んだ後も今の世でも実際は未来や時間は無いのじゃ。
未来の無い自分というものを観てみるとよいのじゃ。
797
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/07/28(土) 21:42:37 ID:1d4drIFg0
>>794
ありのままに存在しているのじゃ。
人間もありのままに存在しているのじゃ。
それ以外に存在しようがないのじゃ。
ただ観念によってそれが見えないだけなのじゃ。
実践によって観られるようになるのじゃ。
>>795
それほど完全ではないのじゃ。
この世では偶然も有りえるのじゃ。
自らの心によるものであるからのう。
そのような世に生まれた事が報いなのじゃ。
798
:
785
:2018/07/28(土) 22:04:49 ID:vYJs8XhE0
>>796
ありがとうございます。
実践していきます。
799
:
避難民のマジレスさん
:2018/07/28(土) 22:49:33 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん、質問ですが
差別や偏見には、どう対処すれば良いのでしょうか?
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