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【仏教】悟りを開いた人のスレ避難所51【悟り】
689
:
素人A
:2019/01/18(金) 13:27:08 ID:gOqWUDAs0
さあとりあえずの私にはさつぱり解らないけど?一の如しの山の頂上から見た眺めは一望に皆見えるし町々の人々は何と小さい
事くよくよしてと思えるのかも、でも損な事は下らないと思っても人休みしたら下らないに下らなきゃいけません。位置の仕事
が待つ町々に下って行くのがさあとりあえずまあええか。
一 趙州と犬 趙州さまに、ひら坊がたずねた。「犬にも仏の性質がありますかね?」 趙州がいう、「無じゃ!」
無門がいう---------禅には開祖このかたの関所があり、悟るためには行きづまらねばならぬ。関所も通らず、行きづまりもせね
ば、まったく草木同然のたましいだ。 ところで、その関所とは何かというに、ただこの[無]ということ、これがこの宗の関所
だ。だからその名も[禅宗無門関]通りぬけた者は、趙州に会えるばかりか、代々の祖師がたと手をとって行き、まゆ毛がくっつ
き、同じ目で見、おなじ耳できく。すばらしいではないか! 通ろうとするものはないか? 三百六十の骨ぶし、八万四千の毛穴
、全身をもって疑い、[無]の意味を知れ、よるひるひきしめて、[虚無]にも落ちいらず、[有無]にもかかわるな。焼けた鉄
のたまをのんだようなぐあいに、はき出すこともならず、これまでの無分別をとろかし、だんだん練れてくると、しぜんに内もそ
とも一つになる。オシが夢を見たようで、ひとには知れないが、パッと打ち出せば、えらい事になる。まるで関羽さまの刀を手に
入れたようで、仏も開祖も、みんななで斬りにし、生も死もないまったくの自由、どこにどう生きるにせよノンビリしたもの。
http://www4.plala.or.jp/mumonekai/Chapter/1.html
だが、どうしてひきしめるのか?いつも張りきって、[無]というものを持て。油断がなければ、お燈明のようにパッとつくのだ。
禅語百選 百尺竿頭一歩進む(無門関第46即)百尺とは長さには関係ありませんとにかく高いポールのてっぺんの先「上求菩提」
という悟りを求める向上の過程の絶対境で「孤峰頂上」ともいいます。積む上にも積んで修行しなければ容易に到達し得ないと
ころですここまでゆくのも大変です。しかし此処にも留まっては行けないと長沙禅師は「百尺竿頭に坐する底の人、然も得入すと
いえども、未だ真為さず」と戒めます。「釈尊も達磨も目下修行のまっ最中」だと戒めます。??
でまだ進まないと行かんのか?要するに偉くなって下る事が出来ず下らないと何時までも悟を餅続ける事をいうらしい。下る努力
の修行は気合も入らず難しいのか?一度偉い眼に会うと大変だ?私の付け足した後半のネタが下らな過ぎる?貴方は登りなさい?
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