[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【仏教】悟りを開いた人のスレ避難所51【悟り】
644
:
素人A
:2018/12/11(火) 09:44:27 ID:gOqWUDAs0
唯識とかマナ識とか、阿頼耶識とか言いますが、そんなものは吹き飛んでしまいます。マナ識ていうのは我執で
しょう。我執と言つても、ちようど樹の根っこの、細い細い白根のように大地の底深く、無意識の果てのなかに喰いこんでいる
のでしょう。第六意識の我執はなくなつても第七の我執は、睡眠のときも働いているでしょう。いくらそう言つたつて、そんな
ものは跡形も無く根絶やしです。だつて宇宙そのものと吹き通しになつていくので゛すから。それが原始経典・大乗経典を通貫
する如来というものでしょうか。ところがそれで終結しないのが大事なところです。もうひひとつその先がある。先と言うか、
根底というか、あるいは自己の共同体の、もつとも宇宙そのものの基礎といいましょうか。仏陀はそれを業熟体と言われた。
業体、宿業体ですね。今日の言葉でいえは、人格的身体とでもいいましょうか。ここのところが仏道の最終的に最肝心の所では
ないでしょうか。
玉城さん 仏より働かされている。・・このように見てくると、日本の仏教はさまざまな大乗の各学派に育てながら展開して
来たのであるが、結局我々は何に元ずいて救われていくのか。何によつてこの身が目覚めていくのかという切り詰めた問題に
対して、鎌倉の宗祖たちがそれぞれの解答を出したのです。ひたすら念仏して仏に帰衣していく、ただ坐ることによって仏に裏
打ちされれていく、身も心も仏の家に投げ入れて随っていく、信心は如来より賜りたるものなれば、信じるものは如来と等しい、
劣悪の己心のままが仏より立て直されていく、等等。それぞれの形で鎌倉宗祖たちは教えたのです。ここは共通の土俵が現れて
おる。すはわちわれわれは働きに先立つて仏に裏打ちされ、仏より働かされていると言うことです。
?道元なって要るのかといわれても今朝は本の少しノータイム指で慌ててコピーしただけ
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板