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【仏教】悟りを開いた人のスレ避難所51【悟り】
1
:
偽和尚★
:2017/11/24(金) 01:00:29 ID:???0
元スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ 271【天空寺】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1511299878/
前スレ
【仏教】悟りを開いた人のスレ避難所50【悟り】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1478129537/
言い合いが「個人の中傷」にまでいったらやめましょう。
悟りとは究極的には個人こじんのことです。
いくら他人を中傷したところで、決して悟ることはないでしょう。
「数息観のコピペ」は
>>2
にコピペします。
注) この板は2000まで書ける設定です。但し、だいたい1000ぐらいで
次スレ立てておいた方が良いと思います(1000以上に未対応の専用
ブラウザが存在するため)。ということで本スレと同じ
>>970
の人が
次スレを立てるということにしておきますが、慌てなくても大丈夫です。
178
:
123師
:2018/01/19(金) 15:26:22 ID:ASW6aBVY0
177.
絶対無、か。
それは存在ではない。整理されていない論理である。
179
:
541
:2018/01/19(金) 19:17:03 ID:o7TfOr0I0
123師の考える、存在は「存在者」の事であって、存在とは存在者を取り囲みそれを成立させている「無限」のことである。
道教などで言う《一者》のことである。西洋哲学では《存在》と言うし、東洋哲学では《無》と言うが、本質は同じである。
180
:
541
:2018/01/19(金) 19:30:21 ID:o7TfOr0I0
ところで、「六道輪廻」(人間の持つ世界観)の発生根拠は、「気分」であることが指摘されている。
(私は西洋哲学と東洋哲学どちらにも通じているので、それぞれの用語を統合させつつ語っている面があるので留意されたし)
要は、根源的な気分が最悪ならば、魔もよってくるし、鬼にも出会う訳である。
ただ、この「気分」とは、「すでにそこにあるもの」なのが厄介なのである。
181
:
541
:2018/01/19(金) 19:35:23 ID:o7TfOr0I0
現代風に言うならば、「気分」は構造的な発生根拠を持っている訳だ。
仏教的な発想をすれば、「気分」は「アーラヤ識」から立ち上ってくる。
アーラヤ識は、今まで自分が行ってきた行為(記憶)の貯蔵庫である。
六波羅密を実践しなさいと言うのは、アーラヤ識の浄化に深く関わるからである。
つまり、アーラヤ識が変ると、立ち上ってくる「気分」が変る訳である。
そして「気分」が変ると、それに立脚する「世界観」が変るのである。
182
:
541
:2018/01/19(金) 19:56:13 ID:o7TfOr0I0
どうも、東洋人は、『ミリンダ王の問い』などの影響かもしれないが、
伝統的に西洋哲学より東洋哲学の方が優越していると考えがちだが、そう単純な話ではないと私は思う。
謙虚に、西洋哲学からも学ぶべきである。
183
:
541
:2018/01/19(金) 20:08:35 ID:o7TfOr0I0
ところで、最近では経営論に道教の考えを取り入れるものも多い。
これは最近の話ではなく、本家中国でも、帝王学を説いた『韓非子』は道教の哲学が根拠になっている。
もっとも、道教の思想を参考にしてはいるが、そのものではなく、基本的には統治理論なので、二律背反する部分も多いと思う。
私も、禅者でありながらも経営もしているので、この点に関しては思うところもある。
六波羅蜜を取り入れた経営理論と言うものがあっても良いかと思う。
六波羅蜜は自利・利他・解脱と言う三つの要素があると言われるが
「いかに儲けるか」と言う一方の側面に立つと、経営自体も上手く行かないものだと思う。
しかし、利他だけを追求すると、他の二柱も倒壊する。
このバランスが大事だと思う。
184
:
541
:2018/01/19(金) 20:31:18 ID:o7TfOr0I0
気分は構造的成立基盤を持っていると述べた。
それが、六波羅蜜で言う「自利・利他・解脱」の三要素であると思う。
これは非常に使える理論である。
自利を善くし、利他を善くし、解脱への修行を善くすると言うことが、「気分」の性質を大変換させると言える。
この三要素が、バランスよく実践された時に、「ハッピーな気分」が持続する訳である。(永続する訳ではない)
ただし、ある程度、行が深まると、鉄を鍛えて鋼(はがね)になるように、不可逆的、「金剛」と比喩されるような段階にいたるということもあるだろう。
私などは、仏教のパラダイムからすると「外道」に当たる訳で、善根が円満に具足しているわけではないが、ちょうど、六波羅蜜を無理なく自然に実践できる程度の境地ではあると思う。
185
:
素人A
:2018/01/19(金) 22:21:02 ID:wVAiAl6o0
まあ迷路の仲でも明朗な人は頭色々にぶつけながらジリジリと前に進むのかも
物借るのを恐れるひとはなかなか前にすすめない根我底部を彷徨う野鴨
186
:
541
:2018/01/19(金) 23:49:44 ID:o7TfOr0I0
六波羅蜜の五戒などは割りと守るのに難しくは無い戒である。
酒飲むな、不倫するな、嘘つくな、盗むな、殺すな、である。
殆ど、素で守っている。と言うか、あえて守ろうとするまでもなく、普段から六波羅蜜に近い生き方をしていると言えよう。
しかし、まぁ、無意識でやっていたことを、意識的に、細部にわたって実践する良い、契機であるといえる。
187
:
541
:2018/01/20(土) 00:02:56 ID:o7TfOr0I0
実は十年前も鬼和尚に「六波羅蜜が守れません!出来たら苦労しねーよ!」と言う相談をしていたのでした。
それから十年して、六波羅蜜が意識せずともほぼ、当たり前のように守られている段階にいる訳で、
意外と修行が進んでいたのかもしれません。
188
:
541
:2018/01/20(土) 00:21:18 ID:o7TfOr0I0
ちょっと整理しよう。
実践六波羅蜜
自利の実践
・忍辱・・・私は侮辱や中傷、陰口を叩かれても一切心を動かしません。
・精進・・・私は自分が心置きなく禅定できる環境を作るために全力を尽くします。(日々の雑用の光速遂行)
利他の実践
・布施・・・私は人々の幸せの為に財産や身体を使います。
・持戒・・・私は盗まず、殺さず、嘘つかず、不倫せず、付き合いで飲む酒以外は飲みません。
解脱の実践
・禅定・・・私は、日々、真実の私の追究をしていきます。
・智慧・・・私は、真実の探求によって、開放された心から生じる純粋な智慧を素直に受け取り、世の中に還元してまいります。
189
:
素人A
:2018/01/20(土) 09:37:04 ID:gOqWUDAs0
正法眼蔵 霞眼「自然成」の自というのは、己の事である。己というのは、すなわち汝のことである。つまり四大・五蘊
からできているそのものを指している。それは結局、私とも人間の位の決めようのない真人を使いこなしているので
あるから、我でもなく、誰でもない。それゆえに、定まってないところを自というのである。「自然成」の然という
のは、「ゆるす(聴許)」という事である。「自然成」というのは、すなわち「華開き果を結ぶ」の時節であり、言い換
えれば、「法を伝えて迷いを救う」の時節である。たとえば青蓮華の開く時は、火の燃える時であり、開く所は火の中
であるようなものである。火をつけるところも、焔が立つ所も、みな青蓮華の開く場所であり、開く時節である。もし
青蓮華の時節と場所でなければ、「般若(智慧)のひらめき<一星火>」が生まれることはないし、ままたそのひらめきの
働きはないのである。良く知るがよい、般若の閃きによって、百千の青蓮華が大空に開き、大地に開く、過去に開き、
現在に開くのである。火の現れる時節、現れる場所を見聞するのは、青蓮華を見聞することである。青蓮華の時節と場所
を見過すことなく見聞すべきである。
?山下清さんは見た風景をそのままに描くことが出来るこれは現実画見えるという事で覚つている野鴨。凡人の私でも
まず制感で真っ白なキャンパスに凝念やジョウロで描く訓練をすれば三昧の現実の絵を描くこと画出来るのだろうか
190
:
123師
:2018/01/20(土) 11:17:23 ID:dj.UlUx.0
179.
その存在は宗教の問題ではないよ。
宗教は存在の問題ではない。
191
:
123師
:2018/01/20(土) 11:19:48 ID:dj.UlUx.0
188.
それは生活の問題である。
それは宗教の問題ではないよ。
192
:
541
:2018/01/20(土) 17:26:15 ID:/AieE0vM0
1234
君の考える宗教の形とは違うのだろうね
193
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/20(土) 21:39:56 ID:1d4drIFg0
実践あるのみなのじゃ。
194
:
素人A
:2018/01/21(日) 10:30:16 ID:gOqWUDAs0
同業者のお母さんが亡くなった。この頃テレビの有名な人も毎日あの人も亡くなったこの人も亡くなったけど死ぬのは
別れは悲しいけど個の身と心が分かれるだけなのかも知れない。死んだら新世界を観にっけるてそのあと新しい個の身を
身につけて大法輪中法輪小法輪で輪廻は回るのかも、死んだらまず妄想力いや瞑総力が問われる閻魔大王はほんとは
自分の瞑想力の試験問題で自分で正解を観な選ぶだけなのかも。生前頼りない嘗てな自己流妄想しかしない人はへぼ将棋
の人とかわらず下手な考えしか無く選べるのは生前と同じような正解を選ぶしかないもうそうなっている野鴨。瞑想力
の基礎は制感・凝念・状慮?で三昧を観にっけるという事か私はヨーガ根本経典の本読んだだけで修行はおろそかで
今の心は脅しに弱く頼りなくさまようだけで九級しているけど死んでも頼りになる阿弥陀さんの性格もわからずまあ
今と同じレベルならまあ良いかで向上心も無く良くもない。何とか書き込み出来た永遠に相変わらずの世界ならまあ
良いか ずっと
https://www.youtube.com/watch?v=U7I5DVFViRM
195
:
541
:2018/01/21(日) 19:03:22 ID:o7TfOr0I0
しかし、まぁ、究極の悟りを得ているわけではないにせよ、毎日、毎瞬に幸せを感じている。
本当にありがとう。
196
:
541
:2018/01/21(日) 19:08:36 ID:o7TfOr0I0
この、怒涛の如くやってくる「力への意志」と「生きていて良かった感」「thanks あらゆる存在者」
ニーチェの言う、永劫回帰とか超人などと言うのは、私の事なんだろうなと思う。
197
:
541
:2018/01/21(日) 19:21:16 ID:o7TfOr0I0
>私の事なんだろうなと思う。
「私」と言うと、反発や反論もあろうから言いなおすと
このようなあり方と言うかな。
198
:
素人A
:2018/01/22(月) 08:49:51 ID:gOqWUDAs0
名無しさん推薦のタイム アフター タイム /シンディ・ローパー 聴いてあれと思ったのだが 孝子さんの夢をあきらめないで は
これパクったと思われても文句言えない鴨と
https://www.youtube.com/watch?v=t9q2Xr_iV1M
でも私はシンディローパー他の歌知らない。いっも夢をあきらめないでしか知らない人を馬鹿にしているけど
みんな似たようなものだと思った。でも坂本冬美さんこれでええんかと思った。飲み屋で酔っ払っている時以外聞き
たくないクダランなあと思った。でもNHKは是で良いのだ。文春や民放は小室さん虐めるしマスコミは芸能人には
不倫はだめとか厳しい。介護で疲れている小室さん、奥さんがやらしてくれなかつたのか小室さん可愛そう少しくらい
は良いと思うけど厳しく追及するのは自分たちの金のためだし何がペンは正義なのかわからんそれが民主主義だし
みな野次馬だしそういう風に時は動いていく。現実とバーチャルごちゃまぜで説きは動いて行く。相撲もなんか知らん
けど面白くなつたし、金さんも気まぐれで何かんがえているのかでも頭いい。
199
:
素人A
:2018/01/23(火) 08:56:48 ID:gOqWUDAs0
歴史的人間を動かし彼を規制する道徳制度、世界史という悪夢を生み出してきたのです。さらにそれは人間が動物と共有する
基本的衝動ーすなわち(1)他の生物を食らって生存していくこと、(2)子孫を産むこと、そして(3)征服して服従させることーの
中枢です。こういった基本衝動は、まつたく制御されないまま放置されるなら、凄まじい破壊性を示します。それれは20世紀の歴
史が明瞭に物語っているところです。ヨーガのモデルに従えば人間の意志が生命の動物水準を超える目標を目指すところまで高ま
るためには骨盤部ではなく心臓部にある第四のチャクラの覚醒が必要です。この変容中枢の名前は「アナーハタ」には「打たれな
い」という奇妙な意味がありますが、これは「二つの音がぶつかって立てるのではない音」と解釈されます。生理的な耳に聞こえ
る音はすべて、互いに擦れ合うかぶつかりあう物体によつて生み出されます。たとえば声の音は息と声帯がぶつかつて出来る音で
すしかしこのようにして作られたのではない音は、偉大な音調あるいは唸りであり、一切の事物の顕現(エピファニー)であるとこ
ろの創造的エネルギー(マーヤ、シャクティ)の音なのです。そして現象的形態の中に創造的音調を直感する事が、心を愛に向かっ
て開きます。いままで「それ」だったものが、そのときから「汝」となり、創造の音調によって生命を賦与されるのです。
?ということですが昔は宗教も信用されマスコミも発達してなく君主国家を超えた大法の神というか心の倫理があった。でも
今はテレビみれるし野次馬気分で心は偉い神の評論家気分で罪人でもない不倫の人を見下すし心はこの世に観光気分の野次馬だし
この身の不満は他人事で皆評論家で心は井戸端会議?それでは不味いのでは。心の修行しなくてはいけないのでは
200
:
素人A
:2018/01/23(火) 11:52:46 ID:gOqWUDAs0
昔の庶民のこの世の不満解消は酒や少の食物や母ちゃんとやると子沢山や
宗教の念仏アーメンでこの世を逃れ上をめざす?ある意味今より真面目に修行していたのか。テレビのワイドショウあれは何?ドラマはあれはなに?マスコミは偉いのか?
これでは人々の心はレベルが落ちる一方ではないか?じゃネツトは少しは自分の考え
があるだけ少しはましか? いま私の坐禅瞑想は反省しか無いこれでよいのか
もがいて上に飢えている 人間の逃げ場は今は頼りないけど古い宗教は必要か
アーメンでもいいし南無阿弥陀仏でもまあよいか かず数えるのも
テレビみつづけるのよりは でも面白くないつまらないと思う心我?
便利で楽な今の生活から昔の生活には戻れない。心の逃げ場は宗教よりデレ日
お菓子くいながら でも昔のテレビはまだましだったけど
201
:
素人A
:2018/01/24(水) 10:05:03 ID:gOqWUDAs0
今朝のネタは現実と妄想の違いは?心見の見る聞く以外に物理現象とうものが我が身や周りの身に起こった時は現実かも?
玄沙和尚は修行の旅にでようとして足の指を石にぶっけ血を流してこの居た身は何だ妄想であるのか現実なのかと追及し
たとか?皆で同じテレビドラマを見ても物理的には光の放射でそれを受け頭の中で情報として記号分析して何何さんだと認識する
のは現実と言えるのか?見た人はその人の情報が入っていてみな何々さんだと認識する?これは現実に同じ人と光の集まりを
同思うんだろう。?あれ何だ頭は瞑想のシステムが生まれながらにある。僧じゃないと視界は何の意味もない物理法則だけ?
情報とは光通信は光速に拘束されるのか光の速さを決めたルール制作者は光以上に速い世界に居る野鴨。その人は時間空間を
決めるとき光速が無限ではコンピューターの容量が足らず光は秒速30満メートルにきめたの鴨。私の頭の容量ははるかに
小さく妄想しても迷走するだけ目の前の身のたけを守るのに使い果たすのが利口な考えで瞑想は暇人の娯楽でもこの世の苦しみ
を少し逃れられる野鴨。まあ何とか感とか文章をひねり出し意味不明でも長くなった。私には輪から内しか解らないけど
輪の外はあるのだろうか
202
:
素人A
:2018/01/25(木) 08:51:56 ID:gOqWUDAs0
私たちの存在・意識の元というか珠死生きのもとは無職透明でも一つの元から絵だ別れ枝分かれして夢中に逆さに立つ樹なの
かもしれない。根ビューたーが元が二つ以上では世界をまとめるのは無理で元は一つで枝分かれしてこの世うになった。
実在は無一文でも夢野金の生る樹を生み出したからまあええか。?
夢中説夢・・・釈迦弁尼仏が言われた。「諸仏の身体は金色で.さまざまな福徳の姿で荘厳されていた。法を聞いてそれを
人に説こうとしてていつもすぐれた夢をみた。その夢の中で国王らなつたが.宮殿や一族を捨て.栄華をむさぼる欲望も捨て.
修行のため菩提樹のもとに行き.獅子の座に端座して.道を求めること七日.諸仏の智を会得して.最高の悟りを成就した。
ついで説法を始め多くの人びとを教化して長時間を過ごし.穢れの無いすぐれた法を説いて無数の人びとを救った。後に息を
引きとつて涅槃に入ったが.あたかも煙尽き灯消える如くであった。もし後世の悪世のなかで.この最高の法を説くならば.
その人は.さきに説いたようなさまざまな功徳を得るであろう」いま仏の説かれたことを学んで.諸仏の働きをよくよく究める
がよい。これはけつして譬えではない。諸仏のすぐれた法は.ただ仏と仏とのかかわりであるから.夢みている事も.覚めてい
る事も.ともに真実のすがたである。覚めているなかで発心・修行・菩提・涅槃があり.夢のなかの発心・修行・菩提・涅槃が
あって.夢みているのも.覚めているのも.それぞれ真実のすがたである。それには大小や優劣の区別は無い。
203
:
素人A
:2018/01/26(金) 11:06:03 ID:gOqWUDAs0
正法眼臓 弁道話 問。ある人は次のように言っている。「この生死の世界を嘆くことは無い。この迷いの世界を脱出する
のに、すぐ出来る方法がある。それは、心の本姓が常住不変であると言う道理を知る事である。その主旨というのは、
この身体は生まれたからには死滅する事はあっても、心の本性はけっして滅することは無いという事である。けっして生ずる
ことも滅することも無い心の本性が自分の身体にある事ほ知ってみれば、この心の本来の性なのであるから、身体は仮の姿で
あり、この世に死んであの世に生まれるという具合に定着する事がない。これに対して、心は常住不変であり、過去現在未来
にわたって変化のあろうはずがない。このように知る事が生死を離れたというのである。この主旨を了解ものは、これまでの
迷いの生死が永久に消滅して、この身が終わるとき、心は本性の大海に入るとき、(つづく)?そんなに簡単な事なら般若心経
読み続けるなさい。修業あまりしない私が下記写して道元さんはこのような安易で修行心の無いのは外道だと思われる。でも
殆ど普通の人は修行しないし安易でも厳しいのは避けるし簡単でも知る方が良いのかダメなのか私にはよくわからん。
心と言う言葉は意味が不明で定義も良くわからない。私は色々いぞ我しくて書き込みも大変
204
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/26(金) 23:00:55 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、本性は滅することは無いものじゃ。
そこまで達すれば死も無いのじゃ。
205
:
素人A
:2018/01/27(土) 00:20:56 ID:wVAiAl6o0
人と言う字は上は1つで下は二つに別れ私は下の一つに居る。
自分心は色々転がるばかりで、ほかの人の心もそうかなあと推論するばかり
というか何でも自分の立場でしか見る目がない。けど間接的でもでもテレビカメラで
みれば外国の風景もみれるし月の裏側も観れる。あれカメラとは何者だマイクも何者だ
でもそれ以下の嗅覚味覚しょつかく実現する道具は難しい。脳神経に電流流せば
実現できるのかどうか 人の心もある程度の考えわかるの鴨 それは不味い脳いじるのは
神様でもいじらないのに クローン猿中国作つたけど此れは?
人
人 人
人 人
206
:
素人A
:2018/01/27(土) 08:42:41 ID:gOqWUDAs0
二つの世界の導師 時間のうちにあらわれる幻影の視野から.その原因をなす深遠と背景の視野へと世界の仕切りを往復す
る自由がある。それは一方の世界の諸原理を他方の世界の諸原理で汚すのではなく手他方の世界の力で一方の世界を知る機会
を精神に与えるものである。これは導師の天分といってもよい。ニーチェが主張するように「宇宙の踊り手」はある一点に重
々しく留まるのではなく.陽気で軽やかに回転し.有る場所から他の場所へと飛び回る。〔導師は〕一つのときには一つの所
でしか語れないが.だからといって他の時点における見方が無効になる訳ではない。神話がこの迅速な以行の神秘をただ一つ
のイメージで示される場合。その瞬間たるや〔以行〕の意味の全てが篭められている貴重な象徴であるのだから.大事にしな
がらじつと想いをひそめなければならない。「山上のキリストの変容」の瞬間は.まさにこのような瞬間であつた。
私.じやあ御釈迦さんが菩提樹の下で坐った瞬間は大事が篭められているのか?ここは仏教ですから少し仏教らしくの声が?
207
:
避難民のマジレスさん
:2018/01/27(土) 19:13:36 ID:czRftzgI0
メイトーのグランカカオを食べながら、自分はつくづく感情を食べていると感じました。
人間は感情を味わうために地球いいると感じました。
208
:
素人A
:2018/01/28(日) 09:25:02 ID:gOqWUDAs0
(ラーマクリシュナ不滅の言葉)一つの貯水池に、いくつもの水のみ場がある。ヒンドウ教徒はこちらの水汲場で水をくんで
ジョルと言い、イスラム教徒はあちらの水汲み場から水をくんでバーーニーと言い。キリスト教徒はまた別の水のみ場からく
んでウオーターよんでいる。また違う水汲場からくんでアキュアと呼んでいる人もいる。名前は違っても内容は全く同じもの
である。「宇宙の大実母は、子供たちのおなかにあうように料理を作って下さる。みんなの胃袋の消化力は同じじゃないかね」
国(民族)と時代と、容器(人の理解力)に応じて、神様は色々な宗教をお作りになつた。
ラーマクリシュナ金と女嫌いでも食いしんぼう食欲の煩悩は否定しない野鴨。
ホーキンス疑がいも無く科学教の中で生きている鴨。仏教途は御釈迦さんの鴨、日蓮宗は法華経の中で有る居ている。浄土
真宗の人は世間の中にいる。キリスト経はキリストの鴨で、私は?歌外も無く孝子師匠の歌の中で生きている空安心する
文句も出ない。あれ今○○の中に居ると思う時はブラフマンの心と同行なので文句も無い、自然の中に居ると感じる説きも
同じ思いなの鴨。という事は私にとつては疑外も無く歌の中に私が居るで情けないと思う私が「」良く見える。迷い有る苦
もありで私はそんなに一真に修行していない。い加減でも、みんな私とそう違いは内用な?でもブラフマンの親心受け取ろ
う。キリストでイスラムでも幸福でも科学でも、中で生きている説きはまあ良い鴨で
209
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/01/28(日) 21:36:52 ID:1d4drIFg0
神に帰依するラーマクリシュナはキリスト教徒にわかりやすいから西洋人にもてもてなのじゃ。
キリスト教も神を信奉するからのう。
キリスト教の聖人と同じと思っているのじゃ。
210
:
素人A
:2018/01/29(月) 09:18:40 ID:gOqWUDAs0
自分の心落ち着けるだけなら頭や心臓にある思考や感情の中心というか意識をあと意いや胃も加えるか是が
意識偏りすぎて心が乱れる。この心の乱れを落ち着かせ+に向かせるには丹田に意識と言うか気もちを集中させる
と心が落ち着くのが解った。今までサボっていたがこの頃色々ストレスが多く必要により実行したら、あれ頭と心
と意の所にいた居場所が椅子禅して?念力テープも聞きながら呼吸を見続けると、あれ私は丹田に居る状態になり
心は落ち着き怖れない勇気も出るのに気が付いた。坐禅は兎に角有効だと気が付いた。でも自分だけなのは仕方
ない。兎に角私が丹田に居る是が坐禅なのかもしれない。
?それはさておき威張りやの苫小牧博士の私は何でも知っているの考えも良いとこだけ冷静にきけばためになる。
御釈迦さんより偉いけどまあ良い所はある。私もそういう所があるからこの人嫌いではない如何かしている鴨。
御釈迦さんがどうたら
https://www.youtube.com/watch?v=yP4yzZFImyI
211
:
素人A
:2018/01/31(水) 09:14:26 ID:gOqWUDAs0
まあ世界とは突き詰めれば、まあ法ゲーム鴨知れない。まあトリックというか法が支配するのは輪から内で、輪空
外は魔法を言葉というか言語でつたえなきゃで、頭がコンピューターがらつて居るなあ、意味不明?この世界
ソフトと思うのは物理の相対性理論30万メートル以上は無い。これは多分宇宙ソフト製作者の情報予算の限界が
あり無限速では制作不可能という事情があるのか?脳とコンピューター宇宙は原理は同じようで法といかルールで
我々が遊ぶのか学ぶのかマトリックスの様なものかも?ヨーガゲーム思ってともばかにしてる麻原さんは本性が
地獄の様な心見だし警察権力の中牢屋の身だし心は地獄の中にいるのかも。あんまり害のない大川さんは能天気
な空威張りの心でこの世はバーチャルだと思ってもこの世馬鹿にしすぎで、世界も心がけしだいで目的の違う
ゲームとなる。この世は色とりどりの心が咲き乱れ党一もなくバランバランで咲き乱れる情報の世界なのかも
学ぶひともいるし、酒飲むひともいるし、あくどいひともいる。御釈迦さん信じる鬼さんは瞑想完成させ世界に
頼らず一人の世界で思うようにあそべというのか、でもこの身にかき回され色々はなければ、金ないと家族も
文句いうし、何もしないと詰まらんし将棋か?ごみは分別しに頭使うし、ニュースは今相撲のごちゃごちゃみないと
その前は阿部さん北朝鮮に暇な時間頭つかうし、色々ありすぎて今朝も書き込み長くなつた
実践はいまホットして缶コーヒーのみだした。だめだこりゃ
212
:
素人A
:2018/01/31(水) 21:18:44 ID:wVAiAl6o0
我々がこの世のドラマの出演者として出ているとき、あの世の仲良し霊団の代表として
この世で修行の演技しているのかも、あのようの仲間たちはハラハラドラマ観客として見ているのかも
向こうは同じよな考えの人ばかりで修行場として厳しくないし、まあこのような色々な修行も有り難い
のかも、またデタラメで適当な思いつきですが。そういえば昔ぽ師匠が似たような事いってた?
無意識にぱくつたのか
213
:
素人A
:2018/02/01(木) 08:37:41 ID:gOqWUDAs0
虹と水晶 ・・・ミラレバはこう言っている。「心もそらも空虚だから、心の本性はそらのようだと言う事はできる。だが、
心は知性を持っているのに対し、空はそうではない」と。悟りとは宇宙に関する知識ではなく、宇宙の本質を生きる経験に外
ならない。そういう生きた経験を味わうまでは、色んなたとえを頼りにするほかならない。だがそのおかげで、そのたとえが
持っている限界にしばられる事になる。土台は、これから説明する不思議な物体のようなものだ、と言ってもよいだろう。
その物体が白くまるみを帯びている、と言えば、それについてのイメージが得られる。だが翌日になつて、それを見た
別のひとが説明するのを聞いて色も白というよりは真珠貝の色をしていると言えばそう考えるようになる。そんな説明を五十回
聴いたところでその物体に関して少しでも考えが深まるわけではない。だがいつたん自分で見ればどんなものかはっきりわかる。
・・要するに百聞は一見にしかずか?百文は瞳にしかず?要するに今朝は心も体も疲れている
過去メモの○鬱しで元気んも無くでも月末はなんとか越えた
214
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/01(木) 21:26:17 ID:1d4drIFg0
なにやら前に見たようなきがするのう。
同じところを回っているのじゃ。
215
:
素人A
:2018/02/02(金) 09:33:04 ID:gOqWUDAs0
私よりだいぶ高齢従兄が亡くなられた。私は冷たいひとなのかいつもこういう時あまり悲しまない。この世からいなくなって
寂しいけど魂がバーチャル洋服着た者は洋服を一枚脱いで○○階に今いるのだろうか?スピリチァルの人は肉体から同じ姿の
霊体が抜け出し今近くにいて葬式を眺めてあれ自分が死んだ事になってる。私はここに居るのにその人たちにそう言っても
みなきがつかない。触れない。自分の視覚は健在で心も生きている知恵も知識も生きている野鴨。そのうち画面が変わり
前死んだ仲間や親戚が迎えにきて大歓迎パーティをうけ。そのあと生前からその人を指導した霊が顕れて色々指導して
霊前の世界でまず幽界であきるまで観光して、新しい着物を付けて新世界に行くのか?元にもどる例もいるのかもよく
わからんいずれにせよ皆世界はつながっているのか?何でつながっているのか知恵というか法というか世界は情報場なのか
たしか苫米地さんがコンピューターから脳科学にいったひとだが霊とか気功とかも情報で世界も情報場だと私はユーチューブ
で見た。この人は金儲けの手段はセミナーで他に知恵ないのだろうか?私は無料のユーチューブしかみないでもカンで有料
ぶんも解る、兎に角世界は重なる次元の縁起空なりたつているのだろう。大世界の中で自分に必要な位置でひっ様な働きを
築きながらしているのだろう。大宇宙全体でもいま描いている筆先の働きがないとまあ良いアートとは言えないのだろうか
ただだらだら書きたいだけなので纏まりも無く長くなった
216
:
素人A
:2018/02/02(金) 12:58:28 ID:wVAiAl6o0
悟りとは? 今は私も皆も悟りという一つの山の頂上を目指して登っていなあと確信することか?
でも今の現実は苦しみや少しのたのしみがあるし一歩一歩登るしか仕方ない、疲れたら一休みも
から悟りわからんでもまあ良いかと有る苦のを素直に見つめられればまあよいんだけど
厳しい苦しいけどなんとかにはなる。後ろに歩くのもあるのか?まあいずれもまあ良いか
217
:
素人A
:2018/02/03(土) 10:27:12 ID:gOqWUDAs0
最近毎朝の書き込みはノルマに追われあー面倒だなあ忙しいのにでも習慣だからで、今朝もネタも用意してないし書くので
とりあえずやる気が無いのは新鮮もなくマンネリだからか。でも太陽は飽きる事も無く廻り続けている。あ天動説は間違い。
私の心の無意識がやる気なく、感動が無く書き込み書き込み申し上げます。私に宗教心あるのか?心が年取ったのか疲弊
して何事もしらけてみて、からだが段々いかれても心も年だからとあきらめて何事もまあしょうがないですぐ諦める。
気力気力や体をうごかさなければ思っても思うように動かなく。これでは頭もぼけるのではでもボケないか。
私は書き込み人に見てもらう意識があまりなく、思い付きだらだら早く長く描くのが自慢だつたが今朝は指先も重く
前頭葉の命令の奴隷で早くかけの声が聞こえるけど、兎に角疲れているのでこれではダメだけどこの辺にするか。
218
:
素人A
:2018/02/04(日) 09:35:39 ID:gOqWUDAs0
画餅 ・・・古仏がいうに「仏道が成就するとき、それはどういう光景かというと白雪がちらちらと降り去り、あるとは青山の
数軸を描き得た。このようなものである」と。これは大悟の模様を伝えたものであり。それゆえに仏道を成就したまさにその
ときは、青山・白雪の数軸と名づける。それを描いてきたのである。しかしさらに眼を転ずると、一つ一つの動静が、すべて描
いた絵でないものは無い。我々の修業や功夫も、ただ絵から得たものである。仏の十種の名前<十号>や三種の働き<三明(宿命通・
天眼通・漏尽通)>も、一軸の絵である。また、仏道のさまざまな働きや方法である五根・五力・七覚支・八正道なども、いち軸
の絵である。もし絵は事実でないと言うならば、すべての事象はみな事実ではない。すべての事象が事実でないならば、仏道も
事実ではない。仏道が事実である場合には、絵餅はすべてすなわち事実であろう。・・・実に美味い餅を食えば満腹鴨?
219
:
素人A
:2018/02/05(月) 09:42:33 ID:gOqWUDAs0
禅語百選 把手共行 手を把って共に行く 仏の実在を信じ、そのおしえを学び、ともに手をとりあって人生を旅する仲間を
同行と呼び同朋と懐かしみます。四国遍路や西国巡礼の旅人たちは、たとい一人旅であっても「同行二人」と笠に記します。
自分以外の一人は弘法大師であり観音様です。禅者はこの同行を特に、どうあんと呼び習わしています、同行は師となり先輩
となり友となって、影と形のようによりそって修行にはげみます。つくしんぼうのように、どこか見えないところで、こころ
とこころが繋ぎあっているのです。人間と人間だけが「手を把って共に行く」のでなく、ほとけと人間、ほとけとほとけが、
ともに手を把りあって旅をつづけるのです。ほとけと修行者は、横に並んで歩くときもあり、前後になりあうときもあります。
同行は現実に同行する友だけではあのません。苦悩にあえいでいる自我の心の奥底に潜んでいるもう一人の友でもあります。
松原泰泰道さん)彼の名を自己といいます。人間とは現実の感性的自我と、本質的自己の同行の二人の存在です。
感性的自我がどのように醜悪でも、その心の奥底で清浄な同行の本来的自己が凝視していると信じるのが、禅の人間観です。
信心です。この同行に出あつた人を「さとつた人・めざめた人」といいます。ともに手をとりあう善友のあるのは幸いです。
心中に信ずる同行のあるのはさらにさいわいです。・・?どうのこうの?片手の人のどうのこうの?犬は意内のか無?
220
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/05(月) 21:18:24 ID:1d4drIFg0
死を観るとよいのじゃ。
そのほうが役に立つのじゃ。
221
:
素人A
:2018/02/06(火) 09:15:47 ID:gOqWUDAs0
朝だ朝だけどアートマンは?あと任せ現実はこの宇宙がどうなっているか物理学者は紙の上数式を求め無理やり公式に
当てはめようとしている。紐がどうしたのか見得ない次元の中に重力は逃げていくという。私の目の前はまあ来るしい
けどなるようにしかならない。きっと宇宙はゲームというか夢のソフトから出来ているのだろう。意識とは元々意識の
元はブラフマンいや一つの魂が枝分かれして枝分かれして後はアートマンに後は任せるのだろう。アートマンの所は
個の身で観える景色や意識など感覚器官と体の意識が解るけど身得ない所は無意識として魂の元と一体なんだろうか?
縁起ようわからん、我とは元めれば阿弥陀の糸が蜘蛛の糸の様に絡まってわけわからん意味不明で我々は苦しんでいる
けど編み出した人は苦しんでいるのだろえか?呑気になるようになると居直っているのだろうかさっぱりわからん。
御釈迦さんがやったびばさった瞑想。歩きながら右足・左足・見た・落ち込んだ・右足・ひだりあしこれ何の意味ある
のか、心があ軽くなるのか?思い出は重い出だからあ軽く行様が? ラベリング 右・左・右
ヴィパッサナー瞑想」でストレスに強くなろう
https://www.youtube.com/watch?v=fOtq7bhNoXU
222
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/06(火) 21:40:22 ID:1d4drIFg0
心を観るのじゃ。
歩きは見なくてよいのじゃ。
223
:
素人A
:2018/02/07(水) 08:37:18 ID:gOqWUDAs0
英雄とは生成中のものの庇護者であって生成し終わったものの庇護者でないのは、かれが常に現在のうちに存在しているからで
ある。「アブラハムが存在する以前に、わたしは存在している」。英雄とは永遠なる存在と時間におけるうわべの無変化をとを
けつして取り違えたりせず、またつぎのようなる瞬間(ないしは「べつなるもの」)をその変化〔の要素〕によって永遠を損なう
ものとして恐れたりはしない。「いかなる事物といえども、その形体を何時までも保持しているわけでは無い。万物を絶えず更
新する自然は、一つの形から新しい形を創り出す。まことにこの世界中に、滅び去るものは何一つないのだ。全ては流転し、そ
の形を変えるだけである」。こうして次なる瞬間が実現を許されるー「永遠という名の王子」が「世界という名の王女」に唇を
かさねると、かの女の抵抗はしずまつた。「かのおんなはぱつちりと目をあけた。そして眠りから醒めて、よにもなつかしそう
に王子を眺めた。二人はつれだつて塔をおりた。すると王が目を醒まし、王妃が目をさまし、それから家臣すべて目をさまして
、みんなおおきい目をしてお互いを眺あった。広場にいた馬が起きあがつてぶるぶると胴震いすれば、猟犬は飛びあがつて尻尾
を振る・・・料理番は小僧の横面を張り飛ばしたので小僧は大声で泣きわめき、下女は鶏の毛をむしり終わったのだつた。」
?キャンベルさん英事言う師。ぼ師匠は無をくどく師。でも今暗い時は何とかあ軽くしたいのがさあとりあえずは必要
鬼さんは試見よと今此処有る苦か
224
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/07(水) 22:36:27 ID:1d4drIFg0
ただひたすらに観るがよいのじゃ。
そうすれば目覚めるのじゃ。
225
:
素人A
:2018/02/08(木) 09:34:18 ID:gOqWUDAs0
ヨーガ根本教典 二・五四〔制感〕制感とは諸感覚がそれぞれの対象と結びつかない結果、まるで心自体の模造品のようになった
状態をいう。 佐保多さん解説 制感とは諸感覚をその対象から手元に引き戻す。或いは感覚が対象に向かって動こうとするのを
引き止めるという意味である。感覚がその対象に結びつこうとする動きを引き止められて自分独りの状態に取り残されると、諸感
覚はあらゆる心理状態の実体である心の模造品のようになる。各感覚がそれぞれ独立に外界の色、声などの対象と結びつくことを
やめ、器官と心の一体になっているのが制感である。と 一体ぜんたいなにが始まりかそれはヨーガ有る世界?色即是空?
二・五五 制感の行法を修習していくならばついには諸感覚に最高の従順さが生ずる。 佐保多さん・・・特に最高の従順ささと
言うときには、心が専念状態である時に感覚もまた外部の知覚を受け付けないことを意味している。そして最後に心の働きもこれ
に追従して消滅する事になる。? こからヨーガの用が端◎と基本は大切だ空 宇宙もビックバンがあり ブラフマン妄想竹刀
鬼さんが目覚めるの蛇とか言っているから今はヘビーな夢の中に居るのか?
226
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/08(木) 21:49:24 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、感覚を制するのじゃ。
そうすれば夢も消えるのじゃ。
227
:
素人A
:2018/02/09(金) 11:05:27 ID:gOqWUDAs0
最近私は能天気な天国からな闇な世界に活かされて、試行錯誤のこの世の学校でまあ何だかんだ大変だなあでも心くだけ
ないぞでネットも瞑想から迷走して、苫米地さんから丹波さんから出口を求め出口仁三郎さんの霊の大本の講義を学ぶ。
死んでも心と魂は生きている当たり前だ。今この世の学校で学んであの世の霊の世界を自分の心が選んでいるという
事なのか。宇宙飛行士は宇宙に出だだけで心が広くなって国に捕らわれない心が広くなるのは何故か?日本に生まれたら
日本の生き方や宗教になるしアメリカなら自動的にプロテスタントになるし北朝鮮学校は金さんの言う事聞くようになる
しで心にもちずがある野鴨。兎に角我々は試見ると肉体環境が一体難題でこの世の学校で楽し苦苦し苦で学んで行く。
この世で学ぶあの世の話
https://www.youtube.com/watch?v=gM-CQ_kyoJg
臨死体験気功瞑想サイト
http://www.geocities.co.jp/noboish/case/index-c.html
228
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/09(金) 22:20:06 ID:1d4drIFg0
善い事をして良いところにいくとよいのじや。
229
:
素人A
:2018/02/10(土) 09:01:52 ID:gOqWUDAs0
宗教とは?現代の人々が認める宗教は?とりあえずの心の安心を得られるのは金儲け?金があれば煩悩とか物質的安心は得ら
れる鴨。でもこんな物は生きている時だけ通用し、死んだら通用しない死、一安心できない宗教としては死んでからも安心の
保障が無いとまあ宗教とは認められるか?嘘でも一安心があれば宗教か?誠があれば嘘でも方便になるからまあ最低宗教は
宗教といえるのか?とにかく門を広く開かなきゃ誰も宗教門には入らないから、キリスト教や浄土真宗などあの世で阿弥陀
さんの処手で修業すれば良いと有今は煩悩にまみれて向上心もなくてもそんな人があの世で真面目に修業するのだろうか?
まあ夢が最低でも続けば宗教かも?昔のエジプトでは珠死生が三周半のレベルより低いと魂が合成動物に食われて消滅する
という脅しもあるけど、まあ文句があると寂れた宗教しか残らないしまあこの世を越えた大法輪もあると教義があれば
さあとりあえずでも宗教と認められる野鴨?まあそのうちレベルをあげれば゛まあよいか。?苦しい時は低いレベルの煩悩
に一時的に逃げるて逃れるのもあるけど根本的に苦しいを消すのはレベルの高い瞑想や坐禅しか無いのかでもそれは現実
としての夢が終わって死なんと今を身るのはしかたない。でもコツコツと修行を重ねる野鴨レベルの高いさあ鳥な野鴨
唯物論は宗教では人安心が無い
230
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2018/02/10(土) 22:10:39 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、日々実践あるのみなのじゃ。
231
:
素人A
:2018/02/11(日) 10:15:10 ID:gOqWUDAs0
梅華 玉城さん解説・・「釈尊の眼の玉が瞑れるときも、雪の中で梅の一枝は花開いている、今や見渡す限りのいばらや
刺ばかり、それを笑うように春風は華の咲き乱れるなかを吹きわたつているが如しである」このいばらや棘ばかりを、
道元はどう処理しようとしているのであろうか。もし魔がさして眼の玉が見えなくなったとき、「今日はわたしの今日
である、大家の今日なり。直に梅華眼晴なるべし、さらにもとむることやみぬ」もとめればもとめるほど、眼の玉は
見えなくなる。もとめてはならない、そして今日ではなく大家の今日だと気づくべきである。・・・
?来るしくて悟りもとめても求めては絡まりばかり、霊界物語で地獄で救われる呪文は神様このままたすけて修行します。
唱えると。たぶんファイナルファンタジーの呪文はこれのパクリなのか?で修行の旅は続く。
今は修行中の身だしまあ良いか出口王仁三郎の霊界探検〜『霊界物語』
https://www.youtube.com/watch?v=Ze_7XIc-M44
232
:
素人A
:2018/02/12(月) 09:15:05 ID:gOqWUDAs0
神話の力集合的無意識の元型・・・これらのモナドは当該の文化における「民族的観念」の集合の地域的な組織であり、
これは人類共通の根源的エネルギーと無意識の衝動を、その時々の必要と関心に応じてさまざまに配列しています。
このエネルギーは生命の本質に属する生物エネルギーであり、もし制御されないなら、恐るべき姿で現われ、
凄まじい破壊性を示すのです。もっとも原始的かっ恐ろしいものは、生命の無心な貪欲さです。生命は他を食らって
生きます。母親の乳房に吸い付く乳児の関心もこれとおなじようなものです。こうしてやすらかな眠りが、悪夢に変じ、
人食い鬼、人食い巨人、じりじり近寄る鰐などが姿を表すことになります。・・・第二の根源的な強制力は第一のものと
密接に結びついており殆ど見分けがつかないほどです。それは性衝動ないし生殖衝動です。これは子供時代から抜け出る
移行期数年間に知られるようになりますが、そのときには先の第一の要求さえも凌駕するほど切迫したものとして現われます
。なぜなら此処で語られるのは種だからです。種が固体を凌駕してしまうのです。・・・人間を動かしている第三の動機は、
略奪の衝動です。これはよほど抑えがたいものであるらしく、世界という舞台の上でーおよそ紀元前二千年以来ー世界史
という芝居の筋書きを作ってきたのはもつぱらこの衝動だといえましょう。これはおそらく食いつくし消費しつくそうと
する生物エネルギー的な延長にあるものとして解釈されるかもしれません。しかしここにみられる動機づけは、そうした
根本的な生物的衝動とは全く異なっています。それは目に由来する衝動であり、消費するのではなく所有しようとする衝動
なのです。このことを典型的に示している文章は聖書の中にもふんだんにみいだされます。(もうすこし続くのか)
233
:
素人A
:2018/02/13(火) 09:04:29 ID:gOqWUDAs0
法華転法華(つづき)・・いわゆる「法華に転ぜられる」と言うのは、心が迷う事である。心が迷うというのは、とりも
なおさず「法華に転ぜられる」という事である。要するに、心の迷うことは「法華に転ぜられる」に外ならない。その意味は万
事悉く心の迷いであるとしても、そのありのままの相(すがた)は法華に転ぜられているのである。この転ぜられているという事
は、喜ぶべきことでもなく、期待するべきことでもなく、得るのでもなく、来るのでもない。その外には ありようが無いのだ
から、二もなく三もないのであって、ただ一仏乗あるのみである。ただひたすら 真心の一片 があるのみである。そういう訳
で、心の迷いを悔やんではならない。汝等の振舞うところがそのまま菩薩道なのである。もともと菩薩道は、このようにして諸
仏にまみえてきたのである。衆生が開示され、悟入するのはひとりひとりが法華に転ぜられているのである。火宅にも心の迷い
があり、門にも心の迷いがあり、門の外にも心の迷いがあり、門の内にも心の迷いがある。心の迷うままに門内門外、ないし門
や火宅などが現われているのであろうから、白牛車の上の開示悟入となるのであろう。?まあそれはそうであるけど我々は僧
ではないし色々な此処路の修行使用。物がないと心は彷徨いまとめられないし心が迷走するから心を収めるためには良い行いを
し人の言う事も聴こう。私の方が正しいとか言い張るのは何の勝ちもない
虹を追いかけて
https://www.youtube.com/watch?v=FdLY3GBYXOw
234
:
素人A
:2018/02/14(水) 09:09:20 ID:gOqWUDAs0
・・ひとりで菩提樹へ歩み寄りそこで<不動の地点>に身をおき東に向きました。そのとき彼の前に時間を働かす力の神が姿を現
しました。その三つの名前は「欲望」、「死」、「社会的義務」です。この神はその最初の様相たるカーマとして三人の華やか
な娘たち<欲望><歓喜><恋慕>を見せましたが゛祝福されたものはいささかも心を動かしませんでした。次に神は恐れを呼び起こ
す姿をとりました。たちまち食人鬼の軍勢が現われて、武器や火や山までも祝福された者の上に投げつけたのですが、釈尊はま
ったく動じませんでした。すると飛んできた武器は空中で花の捧げ者に変容したのです。最後に<地上の義務>の神ダルマ、この
世を支配する神が出てきて、詰問しました。自らの王国にまつたく無関心にそこに座っている権利がおまえにあるのか。と。す
ると未来の仏陀はただ右手を動かし指先で大地にふれただけでした。そのとき一つの声が天地に響き渡りました。汝のよこしま
な試みを止めるがよい。おとなしく去るがよい。その徳によってこの中央の場所に到達した<偉大なる存在>がその決心を捨てる
ことはけつしてないであろう。するとその神は、娘たちと軍勢とともにすがたを消しました。そしてその夜<祝福されたる者>は
(1)超越的なビジョンの眼(2)諸生の彼方にある生の智(3)万物が相互依存において生成するという縁起の法、という三つの
理解を得たのです。それゆえ彼はいまや「覚者」つまり仏陀の根源となりました。それから釈尊は世界の中にあつて目覚めた
ままとどまり神秘的な道の教師となつたのです。?写したけど私の書く行が詰まつている仏と蛇で仏陀あれ字が違う
詰まり下りいにクダラナイ ?私は書く別の思いや悩みや遊びや煩悩に取り組まれて仕事は?適当に暇で5ちやんは暇を見つけて
今まで書いたメモをコピーした
235
:
素人A
:2018/02/15(木) 10:08:24 ID:gOqWUDAs0
ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ
ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内
的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。
ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ
ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で
はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ
いて」の中で次の問いをだしています。(続く)?後はアートマンに私ても申告な問題で忙しく何も考える余裕はありません
さあいいかげんな棚卸棚卸
236
:
素人A
:2018/02/16(金) 08:36:52 ID:gOqWUDAs0
道とは何は〔76〕上堂「何かしゃべつたものかどうか、道を体得した上での発言なら、一日中
しゃべつてもみな道にかなつているが、道を体得しないままでの発言なら、一日中みな俗物である、
まあ言ってみよう、道と物とは一体か別か」。 ゾクゾクして答えるのは落とし穴に嵌るのか?
出口さんの霊界物語ネタは聖書やキリスト関係や日本の神神や霊界天国地獄の話だけどどんな
出鱈目でも道にかないなるほどになるけど。さあとってない他の人が正しい話語っても何か道に
かなっていないのはなぜか?この世の身という衣とったらその人の心しだいの世界という。
いまは身に守られて修行しているとして、心だけでは世界はこころもとない。心が何も思わない
ときはみなシーンとして平等に聖者句の静寂の正解鴨 今朝はこれから色々急がされるぞう
霊界物語
https://www.youtube.com/watch?v=AUczeiBEMWA
237
:
素人A
:2018/02/16(金) 22:25:07 ID:wVAiAl6o0
ひとは心という珠しい号を自在に運転できる世うに
この世うという自動車教習所で心の運転技術を学ぶんだろえなあ
心とはエネルギーだから免許のない心我道路に飛び出したら
こころの衝突だらけ交通事故の地獄の世界なの鴨 心もルールと
技術を身に付ける必要がある
238
:
素人A
:2018/02/17(土) 09:27:32 ID:wVAiAl6o0
「父母誕生境地前の一句をもって来い。有名な人の本の丸写しではだめだ。」と言われた香厳さんは再三努力して何か
をひねり出そうとしたがどうても出来無い。深く我が身をうらみこれまで蓄えてきた本を開いてさがしたけれども、
ただ茫然とするだけである。ついに彼は本を焼き。「絵に書いた餅は腹の足しにはならない。私は誓うこの世で仏法を
会得しようしは望まないただ食事の給仕僧になろう」と。あるとき彼は大いにもうした「私は心が暗くてとても体得
する事はできません。和尚どうか私に教えてください。」大い「教えてやっても良いがそうしたらお前は後で私を恨む
だろう」と。このようにして年月をへて大証国士の庵のあった草庵に住むことになり竹を植え友としていた。あるとき
道路を掃除した折に小石を箒で飛ばして竹にあたった。カーンと響きをたてた。同時にかれは、かつねんとして大悟
したという・・・・?長いので写すの疲れた
239
:
素人A
:2018/02/18(日) 10:08:08 ID:gOqWUDAs0
・・精神は経験のさまざまな中心ないし元型的な段階を通じて向上する、という考えがありますね。人は餓えと貧欲という元初的
動物としての経験から出発し、性的な情熱を経て、色々な種類の肉体的・物理的な熟達や支配に至る。これらはすべて経験能力を強
める段階です。しかしそのあと、経験が心臓の中心に達して、他人や他の動物に対する慈愛の念が目覚め、自分と相手とがある意味
では同じ生命を共有している存在だと自覚するとき、精神のうちに全く新しい生命の段階が展開します。こうやって心が世界に開か
れる。処女降誕はまさしくそのことを神話的に象徴しているのです。それは健康、生殖、力、そして少しの楽しみといった単なる肉
体的な目的を追求する原初的な動物的存在でしかなかった人間のなかに、精神的生活が生まれたことを意味します。だがここでまた
別のものにぶつかる。こうした思いやり、他者との調和、さらに進んで他者との一体感を抱くということ、心のなかに新たに宿った
原理ー私たちが尊重し、それ仕えるべき善としての、エゴを越えた原理ーとの合一を経験することは、まさしく疑いも無く、宗教的
な生命や経験の初まりです。そしてそれがあらゆる時間的な存在などその影にすぎない、一者としての存在を十分に経験したいとい
う、命をすりへらすような探求へと人を導くかもしれません。さてあらゆる存在の究極的な基礎は二つの意味で経験できます。一つ
は形象の経験であり、もうひとつは、形の無い、あるいは形を越えたものの経験です。あなたは神を形のあるものとして経験すると
き、その結果として神を見る。まず主題があって対象ができる。ところが究極的な神秘の目標は、自分と神との合一体験です。そう
なると二元性は超越され、形象は消えてしまう。もはやそこには誰もいない。ーあなたも神もあらゆる観念を超えたあなたの心は、
あなた自身の存在の基礎にとの合一によつて消滅してしまう。?本の書き移しで藤井六段の手は見えない
240
:
素人A
:2018/02/19(月) 09:06:58 ID:gOqWUDAs0
大川劉邦さん霊の本で勉強しても、呼び出された御釈迦さんやビートたけしさんの霊呼び出されても劉邦さんの頭の中
の考えの本の少しだしまるで釈迦意から相手にされず笑いものになるのは恥ずかしくないのか?でも幸福の科学の本が
売れなければ教団は成り立たないし商売は上手なひとなんだろう。本人は世界を馬鹿にしてバーチャルで遊んで飯食える
しほんとはなさけないと思いつつ生活のために役だつている野鴨。ま信者も都合の良いとこだけ利用して夢の世界で
遊んでいるだけなのかもしれない。まオウムの様に集団の本能に本気で心までコントロールされるよりましか。国や集団
は輪から内は心の魔法が使える。北朝鮮の国の中では金の魔法には逆らえない。日本人は日本のま法まもらなきゃ逮捕
される。心の表面は頭の思いに縛られるというか頭悪いのでいい知恵は出れない。私は最近朝になると無い知恵を絞りだ
して書くねたは大川さんとたいして変わらない例なのかもしれない
241
:
素人A
:2018/02/19(月) 23:11:55 ID:wVAiAl6o0
鬼さん物理学は時間空間のルールがあるけど?心や魂は物理学に縛られる必要
は無いと思いました。出口さんが霊界はたしか時空が濃茶ゴチャになつている
といっていた。だから未来見るだけは可能何だとおもう
242
:
素人A
:2018/02/20(火) 08:35:40 ID:gOqWUDAs0
現実は此処路の物理学質的宇宙盤は時間を含めて四次元いや今では11次元で成り立つていると物理学者は騒いでいる
けど心はその中に含まれるのか含まれない次元に属するのか。苫米地博士は元々コンピューターの学者から脳にきた
ので情報というか知恵の次元があって物理はその中に属するルールというか法で守られている世界で?御釈迦さんと
博士と私の意見がごちゃまぜでいま適当な書き込みになり自分でも何言いたいのか何書きたいのかデタラメなのか
まともなのか?出口さんは霊界は時間というものがごちゃごちゃでも必ず現界に実現すると言う師?要するに心とか
霊とかコンピューターは同じで知恵は同じ次元で。物理的には言葉は音声ならば波動で光も物理的に粒子と波動で?
要するにこころの情報はタイムマシンが可能で物理学の法則を破らないで可能と言いたいだけで長くなっただけ
243
:
素人A
:2018/02/21(水) 09:45:31 ID:gOqWUDAs0
兎に角早く書かなきゃ時間が足りない、ひも理論利用して人間というか動物を書く?紐の次元は細いけどある。
我々人間が生きるためには、太い食う次元が絶対ひっ様。やる次元は突然太く長くなる次元で、人間は一人では
生きていけない共同のお付き合いの集団次元がある。脳内にはうまく生きるために色んな心の情報作業場で忙しく
働く。動物は生存の外界環境が厳しいため思考情報のエネルギーは生きるためにひっ様な事につかられる。
人間はそれより少し間しで社会で生命を守りあう、でもお付き愛でエネルギーはこき使われ余りがあまりない。
外界を遮断する人は統合のひとや薬で妄想で暴れるひとやカルトで脳内がいかれた人は社会に適合出来ない。
外界の生物次元のエネルギーを紐の用に細い次元にしてまともというか生きるだけにするには坐禅や瞑想を使う
僧の脳内に心の身えない脳内に太い次元の作業場を作り動物次元を細々と生きられる僧いう名僧の悟りの生き方もある。
要するに我々そうでないひとびとは生きるのに迷走する場仮で心が不安で生きるのかひもでは生きられない。
脳内瞑想の基礎はまず脳内心の作業場で考えを無にして瞑想のぎょうねんから静慮三昧の基礎学習せよでも私は
そんな余裕ないし毎日食うために頭の中は色んな心配が空回りするばかり。高い情報場味わえる余裕は無いし
瞑想しようとしても瞑想が細い紐で生きるための次元は肥満している場仮。私の自由次元は心細いなあ
244
:
素人A
:2018/02/22(木) 09:01:09 ID:gOqWUDAs0
海印三昧 ・・「この法が滅するときは、我が滅するとは言わない。まさしく「不言我滅」の時は、すなわち「此法滅時」
である。滅とは言つても、それは法なのである。法であるから対照的な物では無い。対照的なものでは無いから、汚される無
い<不染汚>。この汚されていないという事が、すなわち諸仏・諸祖である。「汝もまたこのとおりである」と言われる。誰が
吾でないものが一人でもあろうか。前念後念みな吾であるから。この滅はさまざまな見方が伴っている。例えば滅は、仏から
言えば無上の大涅槃である。凡夫から言えば死である。外道から言えば断と言う執見である。また二乗(声聞・縁覚)から言え
ば安住所である。このようにさまざまな見方はあるけれれども、その全てが滅の功徳である。・・・
?法であるから守る法則は何かが決めて守る。国の法は今は多数決いや安倍さんと国会議員の多数決で決める。宇宙の法則も
似たようなシステムで決めたのか?じゃ心は私の心でも色々なエネルギー情報で心は心摸を着ていて何が何だかわけわからん
夢の思いの無い心は無心というのかも、今はこの世に出かけて心と心がぶつかり合い仲良く姓かっするには多数決か?
これでは法という言葉は方法の低で逃げている。でも何とかながくなつたし
245
:
素人A
:2018/02/23(金) 08:24:10 ID:gOqWUDAs0
第四章消滅 1小宇宙の終末 尋常ならぬ力を持つ田た無双の英雄ーゴーヴァルナダ山を一本の指で支えあげられ、宇宙の
荘厳なる光輝で己を満たしうる英雄ーとはわれわれ一人びとなのである。鏡に映ずる可視的な肉体をもった自己ではなく、内
なる王なのである。クリシュナは宣言するー「予は万物の心臓に住む自己〔霊魂〕である。予は万物の始原であり、中間であ
り、またじつに終末である」。この宣言こそまさしく、固体の消滅の瞬間に死者に捧げる祈祷の真意を語っている。ーすなわち
個人はいまこそ、生きているときに心のうちに写されていた世界創造成神について太古の無垢な知へと帰っていくのだと。「彼
が衰弱するときー老齢によってであろうと病気によつてであろうと衰弱するときーさながらマンゴーや無花果や苺が熟してがく
から離れるように、この人物は己の四肢から解き放される。そして逆行してその出発点に向かうにしたがつて、再び人間は生命
へあわただしくもとつていく。王者が近ずいてくると、代官たち、警史たち、御者や村長たちが食料や飲み物や幕舎を用意して
待ち、『彼が来る、彼が来る』と叫びをあげるのと同様に、じつさい生きとし生けるものはこの知識を会得したものを待ちうけ
て叫ぶ。『かの不滅の者が来る、不滅の者が来る』と。」こうした発想は、すでに古代エジプトの『コフィン・テクスト』に
?している。そこでは死者が神と一体なる者として己についてうたつている。・・?まあすべての宗教ネタはこれ言いたい野鴨
246
:
素人A
:2018/02/24(土) 08:28:38 ID:gOqWUDAs0
神話と社会2神話・儀式・瞑想の機能 生命の形態からすれば、個人とは人間像のたんなる一断片、湾曲された形態に留まら
ざるをえない。個人とは、男女両性のいずれかでしかありえない。また人生のある時期にあっては、個人は幼児か、青年か、成
人か、あるいは老人でしかありえない。さらに人生の役割という点からみても、かならず職人、商人、召使いとして、あるいは
盗人、聖職者、指導者、妻、尼僧、娼婦として、特定機能を果たすものになる。つまり一人の人間が、以上すべてでは有り得な
い。したがつて全体性ー人間の完全性ーとは個々の成員のうちに存在するのではなく全体としての社会構成体のうちに存在する。
個人はその一つの器官でしかありえない。個人はかれの属する集団からさまざまな生きる手段、思索に用いる言語、己を陶治し
てくれる物の見方を受け継いできている。個人の身体を形成する遺伝子は、こうした社会のもつ過去の歴史を経て伝えられた
ものである。個人が行為においてであれ、思想や感情においてであれ、〔社会との関係から〕敢えて己を断ち切ろうとすれば、
結局のところ己の己の存在の根源との関係を断ち切るはめに陥る。
247
:
素人A
:2018/02/25(日) 10:32:25 ID:wVAiAl6o0
(つづき)生誕、イニエーション、結婚、埋葬、など部族固有のセレモニーは、個人として体験する人生の危機や人生を
決定する行為を、習慣的な個人を越えた〔共同体〕形態へと翻訳するのに役立つている。こうしたセレモーションは個人をあ
れこれのパーソナリティとしてあらわすのではなく、戦士や花嫁や聖職者として目覚めさせるのであり、同時に共同体の他の
人々に、元型的諸段階の昔ながらの教えを復唱して伝えるのである。すべての人がその地位と機能とに応じてこのセレモーシ
ョンに列席する。それによつて社会全体が、不滅な生きた統一体としてその真意を浮かびあがらせる。個人の世代は、生命体
の名も無い多くの細胞のように何代にもわたつてつづく。だか〔その背景には〕世代を支える、永遠の原型が持続している。
この個人を超えたものを包容するまでにウィジョンを拡大するならば、個人は己を強め、豊かにし、支え、たくましくなるの
が解るだろう。個人の役割はたとへどんな目立たぬものであろうと、人間の壮麗な祝祭イメージにとつては欠かすことの出来
ないものであるようにみえるーこうしたイメージはよしんば抑圧されていようともかならずや
個人体内部に潜在しているのだ。(つづく)
248
:
素人A
:2018/02/26(月) 09:29:06 ID:gOqWUDAs0
霊界物語超訳ダイジェスト
https://www.youtube.com/watch?v=cbL_pyTmguI
で?霊界とは今心の例ではないか
よく考えると御釈迦さんでもキリストでもカントでも心と今此処の織りなす世界の問題をたれも彼もに取り組んで
いる野鴨。世界に心が溺れている人や、世界という海出されたものを泳ぐ人、世界から飛び出そうと心みる人
まあ何だかんだあるんだなあで?出口さんも申そうだし御釈迦さんやキリストも同じか?皆その時の環境世界を
役目として行っているだけで、我々もみな役者として今行っているのかも?でも泳ぎ方覚えてないと苦しいし
泳いでも泳ぎ着かれるし何言いたいのだろうかよくわからん。今此処を体験するしかない野鴨。心が逃げても
今此処にしか行けない。ため息ついて今此処を文句言いながら行くしかない野鴨
249
:
素人A
:2018/02/27(火) 08:24:07 ID:gOqWUDAs0
法華転法華何時か?野つづき 法達「私は法華経を三千部も読じゅしました」慧能「たとい一万部読じゅしても、経の意味を
理解しなければ、自分の過ちさえ知ることは出来ないだろう」法達が答えた。「私はまことに愚鈍です。これまでただ文字の
意味にまかせて読んできただけです。どうしてその意味がわかりましょう」慧能が言った「では一度読んでみなさい。おまえ
に解説してあげよう」そこで法達は『法華経』を読み始めたが「方便品」まできたとき慧能が言った。「そこでやめなさい。
仏がこの世にお出ましになるいわれ、これがこの経典の中心である。多くの喩えがこの経には説かれているけれども、これに
勝るものはない。ではそのいわれとは何かといえば、ただ一大事という事である。一大事とは何かといえば、仏の知見である。
仏の知見とは何かと言えば。開示悟入である。それが自ずから仏の知見になっているのである。すでに知見が備わっているの
であり、衆生の一人一人が、すなわち仏であると言うことである。おまえはいままさに信じるがよい。仏の知見とはお前自身
の心である事を」(つづけるか?)一番大事なのはこの世うにして来たのが位置盤大事な仕事なのか?でも我々は悟って無いの
でどんな良い本事をよんでも悉く読み間違うし、悟ったひとは降らない事からも悉く学し?何でだろうなあ
250
:
素人A
:2018/02/28(水) 08:40:37 ID:gOqWUDAs0
今の人は理屈で考える習慣が身に憑いているからなかなかこうすれば良い事も納得しないし、神や仏も科学的理性では
居るのやらすないのやら良くわからないし、自分の解決できない事は国や社会や科学に心の問題を解決してもらおうとしても
お薬を飲まされるだけで、結局自分で解決するしかない。心の問題は昔なら熱心なキリスト教信者ならアーメンで神に任せて
速解決で浄土真宗は南無阿弥陀仏で他力本願で悩みは神や仏が引き受けたけど、ガリレイのおかげで神も信用が無くなって
頼れる信頼がいまは無くなった。嘘でも信じる者は救われるの魔法が今は使えない。今の人はストレスのはけ口は金で
美味いもの食いまくり、飲み屋で酒飲んで不満を解消するしかないか五チャンネルで自分勝手な妄想を書き込むんのは
少しは心も解消できるのかも。私は今日もかーちゃんに人が話しかけると勘違いで同時に返すので人の話はよく聞いてから
答えないと会話にならない。明日ベルガーと言われるし反省が無いから会話は続かなくてもストレスはたまらない。早く書ける
のが自慢であちこちに文が飛ぶ。でも思い付きで書いているので理屈も無いしまあ良いか。親を信じられない子供は可哀想な
様に信じられる神が現代の人にもひっ様なのだという事。今の人はある意味心の迷える羊なのかもしれない。
251
:
素人A
:2018/03/01(木) 08:30:39 ID:gOqWUDAs0
千の眼をもつ英雄 社会と神話 3現代の英雄 じつさいこれまで述べてきた見解は、現代の視点からすればひどく現実ばな
れしたものにみえる。なぜなら自己決定を行う個人という名の民主主義的理念、動力機械の発明、さらに科学的探究法の発達は人
間生活をあまりにも変えてしまつたので、長い間受け継がれてきた永遠なる象徴的宇宙は崩壊してしまつているからである。運命
を決し、新時代を告知するニーチェのツァンストラの言葉であらわせば「あらゆる神々は死んだ」のである。この話は人口に○○
されていて、千にも及ぶ仕方で語られてきた。それは近・現代の英雄たんであり、人類成熟の奇跡物語である。過去の呪縛、伝統
の絆は、確実で強力な打撃によつて粉砕された。神話という夢の織物はは衰微した。心は完全に覚醒した意識にむかつて開かれた
。さながら蝶が繭から出てきたように、暁の太陽が母なる夜の体内から上昇するように、現代人は太古の無知から出現した。
望遠鏡や顕微鏡の探求の手から神々を隠す場所がいまではまつたく存在しないばかりでなく。かつて神々が支えになっていたよう
な社会は、もう完全に消滅してしまっている。社会的単位は宗教内容の搬送者ではなくなり、経済・政治組織となっている。現代
社会のさまざまな理念は天上のありさまを地上に視せる聖職者黙劇に示される理念ではなく、支配と資源を求めて、苛烈な競争に
参加する世俗国家の理念である。神話に満ちている地平内の幻想的境界をもつた孤立している社会は、今までは未開発地域を除い
てはもう存在しなくなつている。そして高度産業社会自体の内部では、儀礼・道徳・芸術といった古代人の遺産の最後の痕跡さえ
も、悉く衰退してしまつている。(つづく)?現代は崇高な目的を持つ修行ではなく、個人真理とした
民衆の修行だしそれが民主主義だしまあ良いか?なんか欲求不満
252
:
素人A
:2018/03/02(金) 09:17:43 ID:gOqWUDAs0
ヨハネの何とかパクリ最初に文字ありき文字は紙と友に有り適当な妄想始まるのか?真実なんて聖書?に指名されて
いてこの世の氏名も役所の台帳に登録されているし是は本は二次元の世界と言える野鴨。今は個人情報はコンピューター
で二次元コードで保管されているように?我々の我の氏名は世界の二次元の我コードに情報として指名されて保管されて
居る野鴨。私もコード番号がついている。宇宙のあらゆるものがコードが付けられて世界が展開されて居るのかも。
昔は本者だったけど今は情報コードとして明石家サンマ保管されているのか?物理世界は11次元何手言っていても
情報の本は二次元なのかも。過去現在未来の有様が工事玄にはごちゃごちゃに書き込まれて世界DVDに収められている野鴨
私はレーザー光線が当たったところが今と現れているからまあ良い化。大法輪と国法輪と私法輪は互いにパクリ愛で成り
立ついるので皆原理は同じなのか、情報と知恵と法則とまあ色々あるカラー。さあこれからあべまにA級順位戦見に行こう
253
:
素人A
:2018/03/03(土) 09:43:55 ID:gOqWUDAs0
心とは一つであるのか、沢山であるのか?私から見れば私の心我あり、他沢山の人や動物の心がある様に見える。その他山や
川地球にも心があるのだろうか?何れにしても私が中心にしか見えないけど、他の人の様子を見れば他の人も自分中心に試み
ているのだろう。山や川もたぶん自分中心に見ている野鴨疑問。原子もたぶん心があるのだろうそれは物理法則わ守る知恵か
あるし宇宙も同じ。我々の心を集めた全ぶもたぶん一心だと思う。全体を一つの絵だと思えばブラフマンの絵で絵の一部に
心の眼が付いているのが我々の心の絵多なのかも。我々の心は町々でお互いに分かり合えず5チャンネルでは争っている説き
もあるけどまあ絵画化で説き続いていく。でもブラフマンいや御釈迦さんが華差し出した説き迦葉が笑い出したのは心我通
じた野鴨以心伝心ネタ。我々の身が死んでも心細くならない様色んな妄想が夢の様についていて我々の心が成長するまで
見守る野鴨。地獄に行くのは心我うまく使われなく運転ぎ術を学ばないから鴨。まあ何だかんだ会つてもこの世も心の修行
使用よ。何か鬼さんが心の数数えから修業せよの声がまあ初心者だし息を数えるか123
254
:
素人A
:2018/03/04(日) 09:05:48 ID:gOqWUDAs0
今の時代は自然がないがしろにされている合成なものばかり、だれかさんが言つたように食い物は美味く料理して、子作り作業も
色々ソフトを合性して他の楽しみになつて、そうや社会も複雑な頭使わ無いとボケと人間扱いされん社会に、まちまちには不自然が
あふれているし、でも元々の素朴さより不自然な豪勢な合成ソフトが刺激は強いし楽しいし寂しさや苦しさ忘れられるし?素朴な
自然に親しんでいた仏さんは今のこの世に学びに来たのか遊びに来たのか?仏さんは遊びに夢中になりまあなんだを忘れてシマッタ
の鴨、そういえば鬼さんが死ぬ前に泣くことになると言っていた、わけはわからんけど、せめてほんのひと時だけでも修行しよう。
この社会は死んでからは面倒見ない死仏教のおもちゃは古いし?。と宇宙人が観光ヒーを飲みながら佛佛つぶやいていた。宇宙人の
視点で見てみれば?色々に夢中な仏だけでは小○。私も修行さぼつて困り者だけど反省は猿。でも元々は自然なエネルギー空。
それにマンネリでも毎日コツコツと続ければ何か解らんけど何にも鳴らないものでも楽しく鳴る。
毎日コツコツの正しい修行を行う、つまり私の中に寺院をこんりゅうして修行するればよいのかコツはコツコツ?これはクンダリー
ニについての文だけど禅でも瞑想でも強引に当てはめられる鴨で。合成は遺憾と言つたばかりだけど、煩悩もコツコツで出来ている
し、みんな同じエネルギー何だろうかで
意識を奉る瞑想神社を心の中に作るには?外界情報を遮断して、心の中で凝念しそれをジョウロのように建て増しして神社作る?
255
:
素人A
:2018/03/05(月) 09:58:14 ID:gOqWUDAs0
もろもろの社会的責務は、こうした祝祭の教訓をありきたりの日常生活に結びつけていて、社会的責務と結びつ
けられた個人がつねにその存在をみとめられる。これとは逆に無関心や反抗ーあるいは流浪ーは、日常を活性化する接着剤〔=
社会的責務〕を破壊する。社会的単位という視点からすれば、社会から切り離された個人は、率直にいつて何者でもない。ーつ
まり不要のものである。これに反して男であれ女であれ、己れの社会にしめる役割ーそれが聖職者、娼婦、女王、奴隷のなんで
あろうとーを生きてきたと嘘偽りなく名言できる者は、であるという動詞の十全な意味において何者のかである。つぎにイニシ
ェーションと叙任の儀式が本質的に同じものであるという教訓を示しているし、四季の祭礼はこれよのもつと広大な地平を開示
している。個人が社会の一器官であるように、部族や都市もーしたがって人類全体もー宇宙という強力な有機体の一つの相にす
ぎない。通例いわゆる土着民の四季の祭礼は、自然を支配する努力として説明されるが、これは誤った説明である。支配せんと
する意思は、人間のあらゆる行為に多々存在する。とくに雨風を呼ぶとか、病気を癒すとか、洪水を防ぐのに考案された呪術を
使ったセレモニーがこの種の例となる。それにもかかわらず(黒魔術的儀式に対立するものとしての)真に宗教的なあらゆるセレ
モニーにおける支配的動機は、運命の不可避性を甘受しようとする動機なのであり、この動機は土着民の四季の祭礼に特に謙虚
にみとめられる。(つづくのかどうか?やめようか?)今の社会は金に支配されているし自然では無く人工的だしヤル気無い朝だし
256
:
素人A
:2018/03/06(火) 08:53:52 ID:gOqWUDAs0
私は寂しい人駄空、孤独の寂しさ、辛さ、気楽さ良く解るのだけど?永遠に何も無くても別に死何の技をもつ元空孤独な人我?
次元です世次元と思う空難しく考えるけど.重元?重幻と考えれば自由幻になるし時限次元に囚われない鴨.つまり色々な光を
重ねて身得る鴨.どうせ私の言うことは出たら目です世適当です余。非公式です世この世の宇宙法則が光中心と言う事は?
きっとインターネット見たいに情報が光通信なのか?だから光以上に早く宇宙情報は伝えるにはインチキしなけりゃ無利かも、
まともな情報は光が基準なので光より遅いか、私は光化学いや非科学的出た眼思考だからみんなに信用がなく相手にされない用。
創世記では初めに闇と光があつた二進法かコンピューターか?チベット仏教でもはじめに光が現われたし?闇ばかりでは
光通信闇てくれ。頭が悪ければ法則は守れないし原子も物質も頭悪くないし要するに良く解らんけど私は頭良いのだ像と自慢したい
けど、言っている事が思いつきの出鱈目で論争の相手にもされないけど何かそう思う。そうたいそうたいと頷くひともうほつとけ。
でもすべてこの世は法ほけきょで法便利ばかりが身得るし、私は経典よまないのでお経についていけないし、仏教用語も意味不明
で法なに?南なに?蓮華なに?浄土真宗のお経はなんなんだろう?たまにはネット検索して勉強するか?でもそんな暇ないし
やめるか?宇宙の法則で光の速さ以上が身得ないのは神様のソフトの都合で光とはルールとか情報伝えるために有るとしたら
阿弥陀のネットもインターネットとか社会も情報ネットで人々は会話の音速ネットで張り巡らされて管理されて個人情報は守
られているようでほんとは守られて居ないのか?たぶん警察はこつそりネットのぞき見しているのかもテロもあるしそれも
まあしょうがないか。監視カメラもこれから増えるだろうなでもまあそのような世界に我々はいるし、これからAIてが主人公に
成る世だし
257
:
素人A
:2018/03/07(水) 09:27:21 ID:gOqWUDAs0
心の三界?だいたい天上界・地上現実界・地獄界として分ければ。心の使い道をマスターしている人の心は天上に行く。
地上や中有界は心のまあ良い所でうろうろ。地獄に行けば心くるしく度々我々の限界に助けを求めて上がってゆく。地上
迷惑だ。でも心が上部でないので助けられず心我混乱するのに、天上の人はそれを見ているのか見ていないのか知らん不利?
それはこの世の修行だからと役目を我々に押し付けるのか。心の道理ではあまり下に同情すると心が下に下がると思って
楽な心が暗くなると思う野鴨。下の人は助かりたい這い上がりたいと必死だが、上界の面倒見はおざなり。それは我々
現実界でも同じで金の無い人を助けようとして身金を恵めば自分が落ちぶれる原理がある。ある程度は下は見てない振り
したり足で蹴落とさないと自分が助からない厳しい世界なのかも。自分の事は自分でやれと言っても。どこでも足の
引っ張り合いと見て見ぬふりしないと迷惑かけられる。原因と結果の縁起の絡み合い。諸法無我なんで無責任な人でないと
悟りの世界も涼しく生きられない。世界の正解なんで無なら矛盾もなく静かとか言うけど僧でない我々の心は何処絵転がる
のだろうか。金さんのお絵かきも気まぐれで先はどうなるのだろうか
258
:
素人A
:2018/03/08(木) 07:58:43 ID:gOqWUDAs0
さあとりあえずの私にはさつぱり解らないけど?一の如しの山の頂上から見た眺めは一望に皆見えるし町々の人々は何と小さい
事くよくよしてと思えるのかも、でも損な事は下らないと思っても人休みしたら下らないに下らなきゃいけません。位置の仕事
が待つ町々に下って行くのがさあとりあえずまあええか。
我々の各々個人の心は個人真理として世界がばらばらとして身得るのだろう。そのうえの国の心もあるし考えが雪詰まっている?
一 趙州と犬 趙州さまに、ひら坊がたずねた。「犬にも仏の性質がありますかね?」 趙州がいう、「無じゃ!」
無門がいう---------禅には開祖このかたの関所があり、悟るためには行きづまらねばならぬ。関所も通らず、行きづまりもせね
ば、まったく草木同然のたましいだ。 ところで、その関所とは何かというに、ただこの[無]ということ、これがこの宗の関所
だ。だからその名も[禅宗無門関]通りぬけた者は、趙州に会えるばかりか、代々の祖師がたと手をとって行き、まゆ毛がくっつ
き、同じ目で見、おなじ耳できく。すばらしいではないか! 通ろうとするものはないか? 三百六十の骨ぶし、八万四千の毛穴
、全身をもって疑い、[無]の意味を知れ、よるひるひきしめて、[虚無]にも落ちいらず、[有無]にもかかわるな。焼けた鉄
のたまをのんだようなぐあいに、はき出すこともならず、これまでの無分別をとろかし、だんだん練れてくると、しぜんに内もそ
とも一つになる。オシが夢を見たようで、ひとには知れないが、パッと打ち出せば、えらい事になる。まるで関羽さまの刀を手に
入れたようで、仏も開祖も、みんななで斬りにし、生も死もないまったくの自由、どこにどう生きるにせよノンビリしたもの。
259
:
素人A
:2018/03/09(金) 08:29:12 ID:gOqWUDAs0
将棋や囲碁や麻雀で待ったは出来ないルールになつているけどヘボなら少しはある?コンピューターの勝負にはマツタ昨日が
付いているから私はポカが多く一二度は使う機能それでも囲碁将棋は勝てない麻雀なら勝つ足りまけたり。この世うでは私は
本来では無く駒だから困る。本来の面目がマッタしても全く良くわからない。適当でいい加減で自由な本来の面も空にマツタ
しても全く反省は有るのか?輪廻転生も緩されている死でもそれはマツタではしていない。真面目な本来の面目はマツタ竹刀
のか我々には良くわからない。難でわれわれが駒なのか自由は我々にあるのか?本来も我々もルール守っている空損な二ーに
変わらないのか?じゃ10回暗いマツタすれば価値はある野鴨。それでは全く勝負として面白くなくプライドも傷つくし底まで
はやる気も無い。でも本来目目にマツタ機能あり鴨適当に出たら目書いただけ鴨.まあなんだかんだこの世ウニある師
何でこんなのが出たのか?きつと昨日テレビでモノマネの人が長渕剛さんの幸せになろうよという詩を詩まねしていた空か?
https://www.youtube.com/watch?v=NkM-bdglKAg
よく聞いてみると無い用が無い
260
:
素人A
:2018/03/09(金) 12:20:07 ID:gxsfDx0o0
ブラフマンはこの世に一人で現れた時輝かしい幸福な光の存在として現れたとして
何か不満を感じる? キット幸福は不幸が会って比較的喜びは倍増する事に気がついた。
幸福な光が主人なら闇もひっよう。天国には地獄か必要。善と悪。男と女でドパミンドハットだして
子孫反映。動物は食うものと食われるもの。で人間論が世界に開けていって何画なにやら
混乱の世界がいまこんなになつたので、まあ良い化
261
:
素人A
:2018/03/10(土) 09:57:18 ID:gOqWUDAs0
般若心境を読むと何も死無いでも永遠に良いと夢の様な言葉ばかりまあ僧なんでしょうけど、現実は面倒身たり観今日に面倒見る
らけたり私とあなたが絡み合いごちゃごちゃで何がなんだか大変。兎に角身や家族を守る責任我あるし、国の法律はまもらないと
警察に逮捕されるし?私は身軽な僧でない現実ため息も出る。?
何が自由で平等なのか。鬼和尚さんみたいに冷静に観察すれば、誰もこの世は自分も周りの人も自分の身を守る事で背いいっぱい
で自由と平等の理屈も無い。人の身になつて観察すれば自分の身がもたず家族の生活も持たず。家族の無い鬼さんは気楽。食う
心配の無い空や雲は気楽。いやそれぞれ観んな困難な問題を抱えている。気楽になろうと私は同意を求めるけど苦楽なるより楽な
ほうが良いのでいい加減な性格で正義は行えずなるようになる。私は悪いやつ皆も同じでもいいところもあると認めまきゃ世界は
無いほうがましと鬼発言になるし、鬼さんも人のよいところがあつて何とかしようとして世界にいるのか。結局ブラフマンの孤独
を何とかまぎらせば良いも悪いも在家。今だけ楽になつた後は知らんけど何のために我々は生まれたのか?孝子師匠に文句無く
同意の今は楽。後は色々な蟻のまんま矛盾自分を含めての自分かってに苦しんでも。世界は肯定される。私でも時々ハムレットに
なる時はある。自分の事だけ守ればよいのが世界だけど、社会的に僧では無い我々は家族も守る義務があるし国という共同体で
戦争も肯定されるし、駒つた敵の立場もわかるし位置盤大切な王さまは心配場仮だけで、でも北朝鮮の金さんは今は勇者と認め
られるのか
262
:
素人A
:2018/03/11(日) 10:29:15 ID:gxsfDx0o0
片手の人の拍手の音を聞きなさい。?私は毎朝の習慣になり書き込みなさい。別に他の誰にも強制されていない
しあまり私の書き込み見るひともいない。少しは義理でみるぽ師匠や鬼さんが相手にしてくれるけど無駄な時間なのか
無駄ではないのか?また適当な事ネタにして、私は才能がないのでだらだら書き込みしかないので時間の暇をみつけて
無駄なかきこみして早く長く書き込み自慢したいのか?長いのはこじさんも同じでか?皆も忙しい時もあるけど無駄な
時間ネットやテレビや将棋囲碁やエロいDVDや普通の映画みて過ごすけど皆音無しい。あ公案の答えなのか適当不正解
僧の人は汗水流しながら公案する努力して何とか音声になり聞く耳の無い人を救い上げようとして苦労して説教する
大人しい仏の声はきこえず?また雑念に横道にそれた。もう時間が無駄にすぎた時間が無い書き込み少し短いけど
しかた無い切り上げるか少し残念な思い残るけど急げ急げでも仕事ひま?頭が次次と急がせるけど時間の無駄でも
交感神経が交換できなくて今は忙しい時と思えば自己満足で仕事したなあそれも申そうだ
忙しい私を見守るもう一人の私が居るきっと可笑し食いながらコーヒーも飲みながら
テレビの中の私を見ている人が苦しんでいるときにもうほっとけしか出来ない役立たず。
何か最後のは昔孝子さんがラジオで言っていたもう一人自分が見ているのパクリか
長い時間
https://www.youtube.com/watch?v=_uJQ-XnScno
263
:
避難民のマジレスさん
:2018/03/11(日) 11:51:39 ID:X5XF4fo.0
>>262
このスレも開けてよく読んでます。
でもAさんの文章を読み解くのにパワーが要ります笑
鴨?なぜに鴨?あ、かもか…みたいな。
それでなかなか概要を掴めず閉じてしまうことがままあります。
率直な意見ですみません笑
264
:
避難民のマジレスさん
:2018/03/12(月) 04:44:04 ID:lAIPzPY60
自分で書いた文章を後から自分で読めば良いのとか思う。
そうすれば主題から外れた事柄ばかり扱って能のリソース無駄にして損してるが判るのに。
例えるならパソコン仕事で一つ重い処理をしている最中なのに余計なアプリ複数立ち上げて暇潰しして本来一時間で終わる作業が高負荷架けまくりで七時間経っても終わらない的な状況みたいな?
265
:
素人A
:2018/03/12(月) 09:38:09 ID:gOqWUDAs0
モイヤー「科学が人の現実認識を決定するような文化社会に生きてそこにおける神観念に縛りつけられている人の場合、シャーマ
ンたちの語る究極の場をどうすれば体験できるのでしょう」キャンベル「でも人々はげんに体験しています。中世のその体験した
人々はたいてい異端者として焼き殺されました。西洋で最大の異端のひとつはキリストが「私と父なる神は一体である」と言明し
た事です。キリストはこう言ったために十字架にかけられました。・・・また別のスーフィー神秘家は「正統派の使命は屈辱と死
を通して神と一体化したいという神秘家の願望を満たすことだ」と。モイヤー「いまこの経験の根本を崩しているのはなんでしょ
う。」キャンベル「多数決のルールは政治ばかりでなく思考の領域においても有効だ、と決めつけているデモクラシーの性格です
ね。言うまでもなく思考に関しては多数派はいっも間違っています。この種の事柄では、精神に関しては多数派がなすべき事は衣
食住や子供や財産なんかを超越した体験をした人の言葉に耳を傾け、心を開くように努力することなのに」」
?今は世う日曜日には教会にも行かず坐禅もせずお経をとなえずネットで将棋みてかあちやんはどらまで気晴らし
神は日曜日もおやすみで、でもぽ師匠は日曜日は仲良く春競馬に出かけたのか。それは科学的でシャーマン我ない
266
:
素人A
:2018/03/12(月) 09:48:21 ID:gOqWUDAs0
私は書き込みは習慣だけど考えるのは面倒。思い付いたことや本の少し書き移して
あとは出鱈目でも早く気ままに書き移して長くする、自分の書き込み見直して
改めもしない。適当な蟻の飯の書き込み人に見てもらえるとしても、うまく加工としても
それはありのままではないし気ままが楽。人の思いなんて言葉でつたえる意識があまりなく
それがありのままの私だし とにかく朝が来たら書き込みのノルマに追われている
267
:
素人A
:2018/03/13(火) 08:56:40 ID:gOqWUDAs0
憲法で保障された満足な自由我ないので平等だけどそんなもの現実に有るわけない。何故なんだろうそれは我々は
人間も動物だからか?この世では心だけではまず生きられない体を養うために色々はたらかないと頭も使わないと
不味いきられない。資本主義の中では金の多少の不平等は許されるのか、共産主義では平等に拘束されるけど
金も不自由でこれも不味いし。でも体が無いと心はころころと転がるけど修業していな我々では妄想使い切れず
性格が良くないので自由に使える地獄の毎日になる野鴨。妄想つかつて瞑想という基本を身につけるために体という
ソフトがひっ様なのか不自由な環境で心使いしてくれる世界に感謝しなければいけないのか、文句ばかりでは不味い。
我々小市民は自分が不幸なとき人も不幸だと喜ぶ心があるけど、人の幸福は喜べない。平等に不幸だと少し安心する。
ニュースとかワイド商はそれで飯くさている馬鹿馬鹿しいけどテレビみつづける何の意味があるのだろうか。時間の
消費以外はない。いまは周りみまわしても自由なんで何処にも存在しない。何か今朝は心も暗いなあまあ損な日もあるか
268
:
素人A
:2018/03/14(水) 08:59:05 ID:gOqWUDAs0
虹と水晶 ・・・ミラレバはこう言っている。「心もそらも空虚だから、心の本性はそらのようだと言う事はできる。だが、
心は知性を持っているのに対し、空はそうではない」と。悟りとは宇宙に関する知識ではなく、宇宙の本質を生きる経験に外
ならない。そういう生きた経験を味わうまでは、色んなたとえを頼りにするほかならない。だがそのおかげで、そのたとえが
持っている限界にしばられる事になる。土台は、これから説明する不思議な物体のようなものだ、と言ってもよいだろう。
その物体が白くまるみを帯びている、と言えば、それについてのイメージが得られる。だが翌日になつて、それを見た
別のひとが説明するのを聞いて色も白というよりは真珠貝の色をしていると言えばそう考えるようになる。そんな説明を五十回
聴いたところでその物体に関して少しでも考えが深まるわけではない。だがいつたん自分で見ればどんなものかはっきりわかる。
・・要するに百聞は一見にしかずか?百文は瞳にしかず?さあとりあえずはまあ良いか。自分のパソコンのソフト使えない
機能の最近のテレビ説明書よめと言われても理解できない。平等に与えられた法で自由に使えるとしても極楽と地獄の不平等。
269
:
素人A
:2018/03/15(木) 08:25:27 ID:gOqWUDAs0
宝石の網・・・もし究極の<現実>が゛あらゆる形態からの<開放>の中での静穏な自己の享受と客体の活動的な享受ーすなわち
純粋な「精神」としての享受と物質の中での「精神」としての享受ーという二つの様相において存在するものであるならば、
<現実>としての完全な結合のためには、その両方の様相における統一が要求される。それは「此岸」し「彼岸」の両方で知ら
れねばならない。「・・・・」至高の祝福的な経験も、快楽と苦痛の混じりあった生活を送る人間という形をとつて現れるもの
も、同じシヴァなのだ。もしこれらのシウァがすべて同一であるという事が、一切の人間的行為の中で認識されるならば、あり
とあらゆる人間機能を、犠牲と祭礼という宗教行為とすることによつて達成できる。
〔・・・〕たとえばタントラのサーダカ(修行者)は食べるときも飲むときも、あるいはその他の身体的自然機能を充足
させるとき、常に実行しており、つぎのように言いかつ思うー我はシヴァである、我はバイララヴァで゛我は彼女であると。この
ように行為し享受するのは、単独の個人ではない。彼の中で、彼を通じて、行為し享受しているのはシヴァなのである。伝説的な
アシュヴァクラは言います。「すべての中に自己を、自己の中にすべてを認識し利己主義と「わがもの」の感覚から開放された者
は、幸福であれ汝は快適で゛あるべし」。苦しゆむ内近こうよれと言われても、近寄りすぎると身我苦しいし、適当に近寄る暗い
が良い聖者なのかも、真面目な人は一心に悟ろうとしている、私の今はこの様に縁があるし仏も大切にしなければいけないけれど
も、煩悩にも一期一会で出会いも大切にしなければいけない適当な努力?してさあとりあえずになるようになるくらいがみんな楽
な旅なのかなあ、工場心無い?まあよいか
270
:
素人A
:2018/03/16(金) 08:56:06 ID:gOqWUDAs0
宇宙意識・・なぜなら世界の中の生の諸要素を代表すること、すはわち、形而上学に対して倫理を擁護すること
超越を認識しつつ、しかも自己陶酔への耽溺のうちに溶解せずに生きるすべを提示することは、僧侶の役目だからで
す。カールユングはどこかで、宗教の役割は私たちを神の経験から保護することだ、と書いています。オヴィデウス
の「変身物語」に収録された神話の五十パーセントは神と遭遇したがその光の圧倒的な力を受容するだけの備えがな
かつた為に、不幸な変身をさせられた人々の物語です。僧侶の実際的な格言と隠喩的な儀式は、超越的な光を世俗の
ものにやわらげ、混乱と溶解ではなく、生活の調和と充実をもたらすものとします。これらと対照的に、神秘家は意
図的に己をその力の前に差し出します。そして彼が粉々に砕け散ることもありうるのです。僧侶と同様に芸術家も隠
喩的言語の専門的な使い手です。ただ僧侶はじゅ像済みの語彙と職業的に関わっていてその語彙的言語を
体表する者なのです。僧侶は完全に仕上げられた台本を上演する演技者であり、かれれの芸術はその芸術の
中にあります。創造的芸術家が創造的であるのは彼らが革新的な洞察で゛ある限りにおいてのみです。芸術家と神秘
家が直面している自在は同一のものです。つまりそれは意識へもたらされた彼ら自身の最奥の真実なのです。神秘家
はそれと直接的に対面し、芸術家は芸術作品に反映された形でそれと出会います。(小宇宙としての)芸術家の本体と
(大宇宙としの)宇宙の本性が同一の実在の二つの様相であるということ(前者は内面から経験された全体の微小な部
分として、後者は外から見られた全体として。あるいは観念としての世界」の等価物です。)
271
:
素人A
:2018/03/17(土) 10:05:37 ID:gOqWUDAs0
宗教の出鱈目?話を冷たい冷静な冷めた眼でみても、そんなのあつたかいと温かい眼で見られれば良いねで、べつに
本とでも嘘でもう過ぎた事、例えばキリストの復活、キリスト、マリヤ、エリア?は肉体を持つたまま天国に昇天した
のような伝説?物理的に冷たい眼でみれば冷たい。温かく見れば何かの信者夢なのか希望がある。キャンベルさんは
民族的観念の見方は温かい眼で見られる人だ。もしここになんらかの価値を見出すことが出来るとすれば、明らかに
彼らの肉体は外的世界へと旅立ったのではなく、内的世界へと赴いたのなければなりません。すなわちこういった比喩的
な旅が暗に意味しているのは、精神が自らの根源に帰還することが出来るという可能性なのです。生命がそこから生まれ
出て、此の世の時間と空間の場に出現し、やがてはまた還ってゆくあの超越的な源泉ー精神は、肉体をそなえたままで、
その源泉の完全な知識に到達する事ができるという事です。これは神話の中では大昔から述べられていることであり、す
べての存在の根底、そしてαでありΩであるものを我々の生命の始めと終わりに位置づけることを意味します。イメージ
としては具象的にならざるをえない、・・ ので解りやすい方便で具体的にそうなんだ長いので写すの疲れたけど温かい
眼で観て星意 ?私は年取った分知識は色々仕入れているけど修業はまるで打つ手無い
272
:
素人A
:2018/03/18(日) 11:35:40 ID:gOqWUDAs0
私のは修業は普段の生活の法がきびしくて、私は僧でないし別に毎ん度の修行はやる気も無く成果つに役立たないし
坐禅でも無にしてと頭に力入り考えを無理して無にしょうとしても時間のむだなんだろうか?坐禅は我々の忙しい
生活には人休みにしかならない。時間に追われて無理に坐禅の時間使ってもまだ5分しかたっていない後どれくらい
坐れば今日のノルマは達成できるのか辛い焦る時間ばかりで兎に角ノルマの奴隷だった。後は書き込みだけど書かされ
かん満載ではやくしろ。あそうか頭だけでは泣く手もつかえで無い用が泣く書き進む、手は何も考えて以内でも
書き進むし長くできる。兎に書く出鱈目でも頭だけでは辛い書き込みも、人間には四足の歩きから手が解放されて
ボクシングも出来る様になった。あペットの猫も猫パンチ出来る高等な凄い技がある。気功では手から凄い気が出ている
というし坐禅は何故手を使わないのだろう。静かに座るだけでは兎に角頭が空回りするばかりで現実では何の役にも
たたない。はたと気が付いたはたヨーガ。坐禅は片手落ちだつた両手でもたたてけない頭だけでは手も足も役立たず
水泳クロールのポーズで坐禅すればトライ明日論になるのかも。手だけで書いたらこのようになつた私はいつも手だけ
ではないか。少し反省でもアパート人が出るはかりで人も金も入らないで日曜日も掃除に追われて早くしろの声が
是が僧でない人の毎日の修行なのかも
273
:
素人A
:2018/03/19(月) 08:50:59 ID:gOqWUDAs0
毎日僧でない我々は時間という歴史の中で苦しい助けてと文句言う役で縁起しているけど。坐禅や瞑想は急がされて?
なぜ瞑想なのか?元々の空?ブラフマンのやり方が世界を瞑想?して出来たのが今の世界なら我々がソツクリ真似するのが
瞑想になる?自分自身が自分を真似するのかオナニー蛇内かまあそうなんだけど世界はアートと思えば輝き何だけど、
宇宙意識 ・・・なぜなら世界の中の生の諸要素を代表すること、すはわち、形而上学に対して倫理を擁護すること、
超越を認識しつつ、しかも自己陶酔への耽溺のうちに溶解せずに生きるすべを提示することは、僧侶の役目だからで
す。カールユングはどこかで、宗教の役割は私たちを神の経験から保護することだ、と書いています。オヴィデウス
の「変身物語」に収録された神話の五十パーセントは神と遭遇したがその光の圧倒的な力を受容するだけの備えがな
かつた為に、不幸な変身をさせられた人々の物語です。僧侶の実際的な格言と隠喩的な儀式は、超越的な光を世俗の
ものにやわらげ、混乱と溶解ではなく、生活の調和と充実をもたらすものとします。これらと対照的に、神秘家は
意図的に己をその力の前に差し出します。そして彼が粉々に砕け散ることもありうるのです。僧侶と同様に芸術家も
隠喩的言語の専門的な使い手です。ただ僧侶はじゅ像済みの語彙と職業的に関わっていてその語彙的言語を体表する
者なのです。僧侶は完全に仕上げられた台本を上演する演技者であり、かれれの芸術はその芸術の中にあります
274
:
素人A
:2018/03/20(火) 09:25:24 ID:gOqWUDAs0
僧でない我々が現生とか物質否定しても不味いのではないかというか無理ではないか?我々がこの世に来たのは心とか
魂とか物質付ではないと心も修行しないのでコラされたのではないか。心の全ひていも不味いけど現生利益の無い
密の教えも仏教に認めないと妄想しない仏教は現世はバーチャルな夢とさとしても兎に角物質の石で殴られたら痛く
この身傷つく?原子仏教はこの世に着てるのに幻実から逃げている僧の人は坐禅や瞑想して素晴らしい教育ソフト
だろうけど。我々不通の人はそれでは救われない。この現実に動物の行動力しか無いせかいから、四足を二本手に
化けて口も言葉を自由に使えるようになつた。曼荼羅やマントラ唱えるヨーガの体操や気功も全部認める密教出せ〜
と言われても。今は芸術や娯楽も修業とに認めるれば全てはこの世の修業と言えるのではないか森は友達の安倍政権
の政治も修行一貫だし。物に使われなければまあ良い修行だけど物は人丁度の心の天国より煩悩の地獄のエネルギに
引かれるの不味い??でも心をうまく使えないのはまずいし心も片手落ちだし体も片手だし拍手は両手併せて叩く
のだ?どんなシステムでも我々庶民は苦労する差別の中一歩ずつ這い上がるしかないのか?私にこの世うで
歌害なく励まされるマントラが歌われる 夢をあきらめないで
https://www.youtube.com/watch?v=6rByj71yURY
275
:
避難民のマジレスさん
:2018/03/21(水) 09:55:47 ID:czRftzgI0
昔、龍安寺の有名な庭に行ったことがあります。
枯山水は、禅の世界を表しているといいますが、こうした禅の寺院の庭の目的や人々が参禅して得るのは大抵形から何か無常めいた観念を連想する(例えば、落ち葉が落ちるのを見て何かを連想するとか)のが多いように思います。
と考えただけです。
276
:
素人A
:2018/03/21(水) 20:54:03 ID:gxsfDx0o0
今朝は毎日書くべからずをまもつて書き忘れていた。今になって書き足しても
産業革命で許してほしい。ネタなんて当前ないし。あそうだ和尚さんと僧が旅した
時鴨が飛んでいった。和尚「鴨はど声いったのか」何時もカモにされている弟子は「鴨は私ですか」
和尚「僧かもね」 兎に角書き込んだ内容は無い鴨ね
277
:
素人A
:2018/03/22(木) 08:22:40 ID:gOqWUDAs0
もう全くさっぱ解らない今朝もまあ酔いのなか五里霧中で、般若心境は間違いだと言うゴマ臭い苫米地博士?御釈迦さんは
そんな事いつてないと。すべてのものは縁起している。?すべての者は我を張るけど皆無我法則を守り実行する野鴨。
ブラフマンもすべての神も宇宙やこの世あの世の物質も大法輪の中で演技している。我々は分かれている個体だけど
解れて無いけど法律は守る。無法地帯の般若の心の世界は無い苦しみの無い世界を夢見ているだけか何かの宣伝か欲わ
からない。でもたまには心静かにはらぎゃーていと唱えて心の荒らしを鎮めたいまあ僧なんて僧でしよう。要するに
一休さんでたまの茶の身で毎日働くばかりでは体も心も疲れるし白人日曜日は教会に行ってホットコーヒー飲むけど?
これからあべまで将棋の藤井6戦がある暇なので働きながらの観戦できるいっも勝つのでハラハラドキドキが無い
?般若心境は仏教という茶店で茶のんで一休みしているたけ?それもひっ様鴨
宇宙人も管ホットしたコーヒー飲みながらため息のひと時一休さん一休さん
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