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鬼和尚に聞いてみるスレ part9

966541:2017/11/11(土) 11:45:29 ID:o7TfOr0I0
「全てが認識じゃない」

例えば、マムシの中にも「毒の無いマムシ」も居るかもしれませんね。
しかし「マムシ=毒をもって危険な蛇」と言う知識や認識があれば、その存在者は「毒蛇」に見える訳だ。
また、現代では、精巧に作られた蛇のロボットもあるかもしれません。
そう思えば、蛇と縄を区別するのは、そう簡単ではない。
いや、区別不可能なこともあるかもしれません。
かつては、白人と黒人(有色人種)は明確に「区別」されていた訳ですからね。
白人と黒人で生物学的に何かが変ったわけではなく、これは単に「認識」が変ったのです。
白人と有色人種は別人種と思われ、殺しても罪にならず、人権は存在しなかったのです。
これは、縄と蛇が「実は同じものだった」と言う事例です。
しかし、黒人と白人とが「同じである」と言う根拠も特に無く、結局は「その時代の人間がそう思うからそうする」と言うもの以上のものではない。
時代が変り、新しい分類学が生まれれば、「何で、これらを一緒のものと考えていたのだろう」と言う話になりえる。

つまりですよ。蛇と縄の区別にしても、現在の分類学が生物と非生物で分類しているので区別されるが(学問的区別)
「ほそ長いもの」の集合を一つの種類とするという新たな分類学が生まれれば、蛇と縄は学術的に同じ種族であるなどと言う話にもなりえる。
いやいやいやと、学術が生まれる前から人々は蛇と縄を区別しているよと言う主張もあるだろう。これを情動的区別としよう。
つまり、生命に危険があるか、無いかの区別である。すると、毒の無い蛇は、太いミミズとか別の名称が与えられているかもしれない。
という訳で、蛇と縄の区別は意外と「一筋縄ではいかない」のではなかろうか。
結局は、背後にある、文化的秩序を見ているのであって、本来自然に区別は無い。

そもそも、何故、我々は、これを蛇と呼び、これを縄とするのか
何故これが「蛇」に見えるのか。
それは「私とは何か」の追求とリンクするものが在ると思う。

悟りを得ようとする人が自我が生まれる瞬間を観察するように、蛇と縄が分別される瞬間も「観る」必要があるのではないでしょうか?


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