したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚に聞いてみるスレ part9

786避難民のマジレスさん:2017/10/17(火) 05:29:05 ID:ydE4b1w.0
>>785

783です、ということは頭だったり心臓、背中、顔のように目に見えないところの観察は
実際に目に見える状態で観察する必要はなく、その部位がある場所の「感覚」を見て(感じて?)
その感覚にひっついている自己同一化を観察する、そういう理解でいいですか?

また質問なんですが、日常で生活を送っているとエゴからの欲が沸いてくる時が多々あります。
例えば美味しいものが食べたいとか、タバコを吸いたいとか、めんどくさいから風呂に入りたくない、とかの
快楽に対する執着と不快に対しての拒否心です。

それらの欲や執着心が沸いたまさにその時、私は下記のうちのどのような対処を行うべきでしょうか?
①「〜したい、〜したくない」という執着心や拒否感が沸いたとき、その執着心や拒否心を観察によって手放す
②「〜したい、〜したくない」という執着心や拒否感が沸いたとき、その欲に従ってその欲望を満たす行動をする(美味しいものが食べたいなら食べるという行動に移す)

しかし、②の行動を行うと、「自分は今、エゴからの欲を行動に移している、悟りの道とは正反対の方向に向かっている」という感じがして大きな違和感を感じます、
さらに罪悪感も感じます、その罪悪感は「悟りを目指しているものはエゴの差し出す快楽に向かうべきではない」
という観念からのものなのですが、その観念が正しくない、間違っている、とはどうしても思えなくて、したがって
その観念は外れないまま残存しています。

また①の行動を移した場合、それは以前もやったことがあるんですが、沸くたびにこの執着はどこから沸くのだろう
とかその場で色々やって手放そうとして生活できないくらいに身動きが取れなくなり、沸くたびに手放そう手放そう
というのが忙しすぎてほかのことがほとんどできなくなる、最終的にその執着心は弱まるんですが、自分の理解だと
「私」という観念が生じさせる根本的不足感を何とかしないと執着心はそこからまたどんどんとわいてくる、と思うと
「自分の手放そう手放そうとやってることって結局うわずみをすくってるだけだよなぁ」と思えてきます。


それゆえ、別にそういう欲が沸いてもその場では放っておいてもいいんじゃないか?
どっちにしろこれから私が行っていくワークによって「私」という観念が消えれば不足感も消え、それに
伴い欲も消えるのであれば別に今そうした執着心をなんとかしようとしなくてもいいのでは?
とも思っています。

だからと言ってそうした欲が沸いたときに欲望を満たす方向に向かうというのも大きな違和感があり、
「これじゃまずいよなぁ」と思えてしまうので結局のところ自分はその時どうしたらいいんだという
感覚になります。どうしたらいいのでしょうか?

その欲望が沸いたということに気づいたらただそれに気づいていさえすれば美味しいものを食べてもいいんでしょうか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板