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鬼和尚に聞いてみるスレ part9
603
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/22(金) 00:28:50 ID:ydE4b1w.0
592です
ということは「自分は〜である」といった自分が何者であるかということに関する観念は消えるが、
それ以外の観念((例)これはパソコンだ)は残るということでしょうか?
前者のたぐいの観念は無我の段階で消えて、後者の様な観念は認識を滅したときに消えるということ?
604
:
541
:2017/09/22(金) 05:03:42 ID:o7TfOr0I0
女子をナンパすることと悟りは矛盾しませんか?
ナンパしつつ事業も成功させ悟ることもできますでしょうか?
或いはナンパしたいと言う本心を観察して滅却することもできるのでしょうか?
605
:
541
:2017/09/22(金) 18:59:24 ID:o7TfOr0I0
ひとり部屋の中で心を観察している時に、欲望が現れなくても、生活空間に女が現れた時に連動して欲望も生じる事があるよね
逆に、現れを深く観察すると、欲望が消えてしまう事もある。
さて、どうしたものか。
606
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/22(金) 20:27:07 ID:FocWw5K20
>>600
鬼和尚さん、ありがとうございます。
囚われずに進んでみます。
ところで、進むというのは、自分だと思っているものは何かということを探っていけば良いのですよね?
そして、自分だと思っているものを観察して厭離していくことが、進むということで良いですか?
607
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/22(金) 22:09:59 ID:1d4drIFg0
>>601
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>602
どういたしまして、またおいでなさい。
>>603
そのような理解でよいのじゃ。
後は実践で確めるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>604
悟りを求めていない者はナンパするとよいのじゃ。
悟りを求めるならば止観を修業するとよいのじゃ。
全部は無理じゃろう。
一つ一つ実現するとよいのじゃ。
それも観察によって滅することが出来るじゃろう。
608
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/22(金) 22:12:34 ID:1d4drIFg0
>>605
自分が本当はなにをしたいのか本心を明らかにするとよいのじゃ。
それによって道も決まるのじゃ。
本心を観るのじゃ。
>>606
そのような理解でよいのじゃ。
後は実践あるのみなのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
609
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/23(土) 10:05:20 ID:zvPsXPv60
お尻が痛いので立禅でもよいでしょうか?
610
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/23(土) 11:49:53 ID:ydE4b1w.0
>>607
ありがとうございました。
611
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/23(土) 19:08:27 ID:4r9Nyxn.0
>>608
鬼和尚さん、ありがとうございます。
改めて自分を見ようとしたんですが、苦を感じていることが多くて、苦の観察ばかりになってしまいます。
苦の観察だけで悟ることはできますか?
それとも、苦の観察以外の自分についての観察もした方が良いですか?
612
:
541
:2017/09/23(土) 19:10:04 ID:o7TfOr0I0
本心からなにもしたくないですね。
この詰まらない結論。もう少し大恋愛したいとか、悟りを得たいとか、政治家になりたいとか、無いのかと思うが、なにもしたくないと言う糞みたいな本心
613
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/23(土) 19:36:28 ID:4r9Nyxn.0
すみません、もう1つ質問させてください。
鬼和尚さんの以前のブログに、執着の原因がまた執着である例として、
「例えば子供の頃におもちゃを買えなかったから、今、いろいろなものを集めているが求めても得られない苦が起こるとかなのじゃ。」
と書かれているんですが、この話の場合は、実際どうしたら執着がなくなるのですか?
子供の頃に得られなかったものを今手に入れても苦がなくならないのなら、その気持ちはどうしたら収まるのでしょうか?
過去に戻れないと取り返せないと思ってしまうような執着心などは、どうしたら良いのでしょうか?
614
:
541
:2017/09/23(土) 20:06:26 ID:o7TfOr0I0
やりたいことをやりつくしてしまった。
鬼和尚。困った。
615
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/23(土) 21:07:22 ID:1d4drIFg0
>>609
善いのじゃ。
いろいろ試してみるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>610
どういたしまして、またおいでなさい。
>>611
苦の原因を次々に追求していけば自我に行き当たるじゃろう。
全ての苦の根本は自分があるという観念なのじゃ。
その観念によって苦があると気付けば無我になり、悟りも訪れるじゃろう。
ただひたすらに本心を観察し続けるのじゃ。
616
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/23(土) 21:10:11 ID:1d4drIFg0
>>612
>>614
それは善かったのじゃ。
何もせずただ座り続けるがよいのじゃ。
自然に悟りも訪れるじゃろう。
>>613
元になった執着の原因を追究するのじゃ。
それが孤独感であり、自分があるという観念が更にその原因であると気付けばなくなるのじゃ。
原因から起こる事を観察していけば収まるじゃろう。
それも原因がわかり、観察すれば無くなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
617
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/24(日) 09:29:51 ID:czRftzgI0
自己探求を続けてついに自分があることが苦の原因であることに気付きました。これで無我瞑想に専念できます。
和尚さんを疑ったこともありましたが、ここは本物だと思いますよ、皆さん。苦を気にしなくする他のスピ系と違ってここは根本的に苦を滅却するところだと思います。
618
:
541
:2017/09/24(日) 16:06:41 ID:G2RHzlNw0
鬼和尚。例えば、フェイスブックを見たら、元カノが結婚しており、凄いショックを受けたんですね。このショックは何だろうか?
じゃあ、その女と結婚したかったのかと言うと全くそんなことはなかったのですよ。
要は、私は、女と言うものを、自分を称える道具かなにかだと思っているのかもしれない。
つまり道具が意思を持ち、自分以外の者を支えている、その事実に不快を感じる。愛とは全く正反対の感情ですね。
これは、異性関係一般に関する本心に近いと思う。
619
:
541
:2017/09/24(日) 17:40:51 ID:o7TfOr0I0
本心と言うか本能ですかね。
他者を養分として自己を拡張しようというのは自然界でもよく見られる活動です。
ただ、他者も、全く同じ本能を持っているので、この欲求は必ずしも満たされない。
女も男も、自分を幸せにしてくれるパートナーを探している。
あれ?これって、悪いことじゃないよね。
つまり、貴方を食べさせておくれ、私を食べていいからと言う関係性だよね。
620
:
541
:2017/09/24(日) 17:55:27 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。本心には本能由来のものと、理性由来のものが有りませんか?
中世ならば悪魔の囁きと天使の囁きとも言えますが。
本能由来の本心は「みんな俺の奴隷になれ」でしょう。
しかし、人間はそう言う生き方が最悪であり、教官も得られず、自分も他人も傷つけて、地獄行きだと言うことを経験的にも直観的にも分かっている。
621
:
541
:2017/09/24(日) 18:05:44 ID:o7TfOr0I0
もはや、本心ではないんだよな(笑)
本心ではなくて、幾度もの反省を経て鍛えられた良心なんだよ。
良心は、恋人の幸せを祝ってやりなさいと言っている。ただ、それは社会的仮面で、本心では、悔しー!!俺の女取りやがって、ボケが!ぶん殴ったろか
と言う訳だ。
622
:
541
:2017/09/24(日) 18:14:39 ID:o7TfOr0I0
じゃあ、本心に従って、女を取り戻したらいいじゃないか?と言う話もあるだろうが、別にそこまでして取り戻したい女でもないと言う本心(最低だな)女そのものを愛しているのではなく、女に愛されている自分と言うイメージを愛している。さらに、女に袖にされた自分と言うイメージを嫌っている。
623
:
541
:2017/09/24(日) 18:33:02 ID:o7TfOr0I0
仏教的に不思議な話ではなくて、お釈迦様も「私は、東西南北探し回ったが、己以上に愛しい存在を見つけられなかった」と言っている。これこそ、まさに本心の告白ですよ。自分の生存を不利にすることが嫌だから、恋人と結婚するのも嫌だが別れるのも嫌なわけだ。
624
:
541
:2017/09/24(日) 18:42:49 ID:o7TfOr0I0
何故悟りを求めるかと言うと、これら矛盾や分裂を止揚する究極の答えがあると思うからなのだ。
だらか、本心が「女の娘とセックスしたい」であったとしても、突き詰めて行くと「そう言うことも含めて、苦しみから解放されたい」でしょう。
だから、「女とセックスしたい」と「悟りを得たい」は表裏一体なんですよ。「煩悩」があるから、その滅却もありえるわけで、煩悩が強いほど、悟りへの希求も強くなる。心のシステム上、どっちかだけ削ると言うわけにはいかないのです。
625
:
541
:2017/09/24(日) 18:50:09 ID:o7TfOr0I0
所で、何故私が元カノが結婚してショックなのかと言うと、「アイツら俺にたいして優越感に浸ってやがるな」と考えるからなのです。それは、私がそう言うことを通して優越感に浸りたいからそう思う訳です。つまり、自分の邪な心が自分を傷付け陥れている。釈迦は清い心を持ちなさいと言った、イエスも邪な心で女を見るなと言った。
それは、全部自分に反ってくるから。もし、私が結婚と言う現象と優越感を結び付けなければ、誰が結婚しようと劣等感に苛まれたりしないはずだ。
626
:
541
:2017/09/24(日) 19:06:03 ID:o7TfOr0I0
よく、幸せになりたいと言うが、幸せと不幸せの対立概念だから、幸せなろうとすると、不幸せが襲ってくる事になる。
幸せと言う概念と金持ち、結婚、悟り、地位や名誉と結び付いているから、それらの欠如が不幸せとして襲ってくる。幸せを滅却しないと不幸せも消えない事になる。
もし、この世に幸せと言う現象が無ければ、不幸せもない。順観、逆観してみる。
627
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/24(日) 19:41:12 ID:r3AdvIzY0
>>615
>>616
鬼和尚さん、ありがとうございます。
苦の観察でも悟れるなら、とりあえず苦の観察だけを続けてみます。
そこでまた質問なのですが、私の苦の半分以上は劣等感なのですが、これも最終的には自分があるという観念から起こるということですか?
私の劣等感は、とくに誰と比べて劣っているということはないのですが、自分は劣っているという気持ちがどこかにあって、人と関わるときに苦を感じることが多いという感じのものです。
大体いつも子供の頃の経験がその苦の原因だったりするので、その記憶を思い出すと苦が減るのですが、自分があるという観念から、それが起こっていると感じたことはあまりない気がします。
劣等感が自分という観念から起きているというのは、どうしたら実感できるでしょうか?
628
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/24(日) 21:22:14 ID:1d4drIFg0
>>617
善いことじゃ。
おぬしも本物じゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>618
-
>>626
そうじゃ、愛と執着は違うものじゃ。
それがわかってよかったのじゃ。
執着しなければ苦は無いのじゃ。
>>627
そうじゃ、自分という観念から劣等感も在るじゃろう。
劣った自分という観念があるのは自分があるからなのじゃ。
自分の観念とは自分の名前とイメージなのじゃ。
心の中に自分の名前や顔かたちなどのイメージがなかったら劣等感はないじゃろう。
心の中に自分の名前やイメージがある時、劣等感もあるじゃろう。
そのように観じてみるのじゃ。
実はそれは劣等感でもなく恐れとか不安かも知れん。
自らの本心を観ることで全て明らかになるじゃろう。
629
:
541
:2017/09/25(月) 07:40:05 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚、人は本心では、別に金も欲しくないし、余計なことはしたくないんですよ
ねっころがってゴロゴロしていたいのが、大多数の人の本心だし、私の本心でもあります。
猫や犬でも、腹が減ってなければ、ゴロゴロしています。人間も基本的には同じはずですが、
これ重要ですが、人間は他者と共に生きると言う側面が大きい。犬猫よりも、個体生存性が弱い。
だから、犬猫に比べると、他者の目を意識する存在と言える。本心はゴロゴロしていたいのだけど、他者に嫌われたくないから、勤勉なふりをしたり、金を稼いだり、様々な努力をする。
630
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2017/09/25(月) 07:48:37 ID:HSM21ZvE0
鬼和尚
思考と本心は別ですか?
631
:
541
:2017/09/25(月) 07:51:31 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚、聞いてますか?
この本心と言うのが、結構、しょうもないもので、昨日と同じようにゴロゴロできればいいやと言うのが、殆どの人間の本心なんですよ
人間と言うか殆どの動物が、本心はこんなところにあります。
本心はゴロゴロしたいのに、他人に見栄を張るために、残業して高い車を買ったり、海外旅行して、自分を納得させている。
632
:
541
:2017/09/25(月) 08:00:00 ID:o7TfOr0I0
困ったことに、他人に見栄を張りたいのも本心なんですよ。ゴロゴロしたいのも本心だし、見栄を張りたいのも本心。
だからインスタグラムでリア充アピールされると誰しも内心穏やかじゃないんだよね
だがよ、この悔しー!と言う嫉妬のエネルギーを含めて本心なのかもしれないよ。
633
:
541
:2017/09/25(月) 08:07:15 ID:o7TfOr0I0
あと、人間の本心は「死にたい」と言うこともある。人間関係で八方塞がりになると、死にたいと思うよね。
ご破算願望ね。だから本心と言っても意外とろくなもんじゃないんだよ。
634
:
541
:2017/09/25(月) 08:13:21 ID:o7TfOr0I0
しかも、本心と言うのは現状を破壊する何の力も持っていないんだよ。
むしろ、現状を強化する方向に働く事が多い。
ただ、人間には「退屈」と言う気分がある。
これが襲ってくると、人間は、「あー、彼女欲しい!」とか「仕事辞めて独立しよう!」とかマジで思う事がある。つまり一定ではない。
さっきまで「ゴロゴロしたい」だったのに「彼女欲しい」に本心が移り変わりつつあるからね。
それは、太陽の動きとか気候の変化とも関係があるよな。
635
:
541
:2017/09/25(月) 08:21:31 ID:o7TfOr0I0
これはとある哲学者の人間存在の分析だけど、まず気分がやってくる、それを退屈と認識する(了解性)そして、「あー暇だ!」と「語る」
それを受けて「彼女欲しい!」などと可能性を見て、「ナンパしにいこう」などと、己を企投する訳だ。
636
:
541
:2017/09/25(月) 08:36:07 ID:o7TfOr0I0
俺は、三島由紀夫と言う人は、全部解っていた人だと思うんだよ。
彼は仏教に対する深い理解もあったし、当時最先端だった実存哲学なども理解していたと思う。
彼の絶筆は仏教の唯識論をテーマにしている訳だからね。
何かと言うと、彼は信念に身を捧げたと言うことだよ。誰かに作られた世界観ではなくて、自分の本心からの善、或いは究極の美のために身を捧げた。全身が信念の人なんだよ。どこをとっても信念しかない。だから、異質すぎるし、どこか気持ちが悪いようにも見える。
637
:
541
:2017/09/25(月) 08:41:39 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚なども、そうじゃないですか、自分でキャラクターを作り、その通りに生きている。
一切、世間と関係していない。その自我は「他者の眼差し」から生じているのではなくて、自分の意志や信念から生じている。
638
:
541
:2017/09/25(月) 08:48:15 ID:o7TfOr0I0
三島なんかも、エネルギーがビンビンに脈打っていたでしょう。
自分でキャラ作りをしていても、がらくたの寄せ集めで、生命が備わらない場合も多い。
ちょっと、からかわれれば、その演技は瓦解して、羞恥の渦に巻き込まれる
三島は、自衛隊に野次られても、自我崩壊したわけてわはなく、ちゃんと、古式に則り、切腹までやりとげた、これは演技で出来ることではない。
世間に一切迎合せずに、しかも血の通った信念がそこにあったのだ。
「認めてクレクレちゃん」ではないのだよ。
639
:
541
:2017/09/25(月) 08:55:27 ID:o7TfOr0I0
彼らはプッと笑われたら瓦解するような自我ではない
我々の自我は、キモーイなんて言われたら直ぐに瓦解して、世間にゴマすり始める。
多分、彼らの強さは、存在に死を内包することにある。
その信念の為に死のうと深く決意する事だ。
640
:
541
:2017/09/25(月) 09:01:47 ID:o7TfOr0I0
三島の偉いのは、あれでいて、ちゃんと家庭も持っていたと言う事だ。
一説によると、三島の家庭環境は複雑で、精神医学的にはかなり病的であったとも言われる。
三島は、あのような狂気の信念を持ちながら、ごく一般の孝行息子を望む両親の要請にもこたえているのである。
完全に全てを否定して、全てをゼロから作り上げないと出来ない芸当じゃないか?
641
:
541
:2017/09/25(月) 09:17:50 ID:o7TfOr0I0
俺は、三島のその姿が、淡々と善行を施す鬼和尚と被るんだよ(笑)
さて、このスレに来る皆さんなら気が付いているように、全ては自分の思考である。
だったら何を恐れるのだ?
全ての顛末を先駆的に受け入れる生き方をしようと思う。
つまり、クーデターが成功しようが三島由紀夫は三島由紀夫として生きる事が大事だった。
そこに、世間にちやほやされたいとか、誰かを見返してやるとか、奥さんに誉められたいみたいな意識は無いわけだ。
三島由紀夫が三島由紀夫として生きて死ぬ事だけが大事だった。
そのように、一切の後悔の無い、納得ずくの生を私も生きたい。
642
:
541
:2017/09/25(月) 11:17:37 ID:o7TfOr0I0
この一連の書きこみ、自分では意識していなかったが、現代思想の根幹に関わる問いのようでもある。つまり、いかに生きるべきか問題なのだが、
かつては、宗教や親父、天皇や世間がそれを決めていた訳だが、現代ではそれらの信用が全く無い。そこで、ハイデガーなどは「本心(良心)の声に従いなさい」と言うような事を言ったわけだ。
ただ、結果、ナチズムみたいなことになってしまい、本人も晩年はぼんやりとしたことしか言わなくなってしまったようだが、三島由紀夫がハイデガーに影響されていたことはあると思う。
ただ、死の先駆性の思想が直ちに民族主義に繋がるかと言うとそうでもないと思うし、繋がっちゃ悪いのかと言う論点もある。
それは鬼和尚を見ても解るが、生きながら死人となっている鬼和尚には民族主義も何も無い。
そこは趣味の問題だろう。
私は、そこまで、民族主義は思わないが、確かに、人間は歴史性と言うものをアイデンティティの根拠にしたがる傾向はあると思う。
ただ、死は、そう言った神話やお話を否定破壊してしまう。だから趣味の問題だと思うよ。
三島が生きる舞台装置として天皇や武士道が必要だったと言うことはあると思う。
643
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2017/09/25(月) 18:59:12 ID:HSM21ZvE0
鬼和尚
埋もれてしまっているかもしれませんので念のため、
>>630
もお願いします。
644
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/25(月) 19:02:04 ID:ydE4b1w.0
猫や犬のような動物にも阿頼耶識は備わっていますか?
645
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/25(月) 20:00:19 ID:VdfIeYe.0
>>628
鬼和尚さん、ありがとうございます。
心の中に自分のイメージがなければ劣等感は起こらない、という言葉はとても分かりやすいです。
ありがとうございます。
それから、劣等感ではなく恐れや不安ではないかというのは、その通りです。
私は大人になるまで安心できる場所がなく、常に不安を抱えていました。
生きるのが不安でそれをなくすために生きてきたようなものです。
人と関わっているときも、相手が不安を感じずに、自分ばかりが怯えているので自分が劣っているように感じるのです。
鬼和尚さんに指摘されて、よく考えればこれは劣等感ではなく不安や恐れなのだなと思いました。
自分が脅かされるかもしれないという不安も、心の中に自分についてのイメージがなければ起こらないということで合っていますか?
不安がない状態を求め続けてきたので、不安がない状態が可能ならば、ぜひその状態を体験したいです。
心をよく観察すれば、心の中に必ず自分についてのイメージがあるわけではなくて、それがない時もあるということでしょうか?
それを確認することができれば、不安がない状態を体験できるのでしょうか?
646
:
541
:2017/09/25(月) 20:09:07 ID:o7TfOr0I0
話は変わるが、子供の頃、極度にボケーとすることで認識のフレームを外す方法があって、それをすると世界が突然回り出すと言う現象があったのだが、似たような経験したことある?子供の頃は出来たはずだが、大人になったら出来なくなった。鬼和尚は出来る?
647
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/25(月) 21:27:20 ID:1d4drIFg0
>>629
-
>>646
そのように考える原因を自分の心の中に探すのじゃ。
原因がわかればそれも消えるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>630
別と言えるじゃろう。
本心は思考することも出来るが思考そのものではないのじゃ。
むしろ思考によって本心を隠すこともあるのじゃ。
本心は本当に思っていることなのじゃ。
>>644
あるのじゃ。
ものごとを認識しているからのう。
記憶によって行いを決めてもいるのじゃ。
>>645
そうじゃ、自己イメージがなければ自分が脅かされると言う不安も無いじゃろう。
その原因を追究すれば不安も無くすことができるじゃろう。
それは親に放置されたとか孤立したとかの原因があるのじゃ。
原因から不安がおこり、原因が無ければ不安もないと心の中に観察するのじゃ。
そうすれば消えるじゃろう。
648
:
541
:2017/09/25(月) 22:13:31 ID:NhrNGD3M0
鬼和尚。そのように考える原因は私がそのように考えたからで、それ以外に原因は無いですよ。
そのように考えなければ、そのような観念は生まれませんが、考えたからと言って苦痛が生まれるわけではないので、特に消そうとは思いません。
649
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/25(月) 22:24:38 ID:ydE4b1w.0
644です、そうなんですか、
猫や犬は阿頼耶識を厭離しようと思ってもやはりできないんですかね?(猫が観察するところなんて想像つきませんから)
阿頼耶識って厭離する必要のあるものであるなら、厭離しようとしてもできない彼ら動物達がかわいそうに思えてきます。
650
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2017/09/25(月) 22:41:17 ID:HSM21ZvE0
鬼和尚
本心がわかったり、本心にしたがったりしている時は、苦はないでしょうか。
651
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2017/09/26(火) 03:13:21 ID:HSM21ZvE0
鬼和尚
ブログにも書いてありますが苦の観察はとても難しいです。
まずそれが苦なのかそれとも苦ではないのか、単なる思考とか雑念なのか、
それがわかることが難しい。
本当にメクラです。
また、それが苦であるとわかっても、
それがどの様な苦なのかそれがわかることもとても難しいです。
それがわからないとどこに原因を探していいのかもわかりません。
652
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/26(火) 15:14:38 ID:ydE4b1w.0
鬼和尚、手を観察した場合、それが自己ではないという気づきが起こり厭離が起こる。
言ってみれば手からの厭離は簡単に起こるんですけど、
「目の裏のあたりに私がいる」という感覚がなかなか落ちません、目の裏あたりに私という感覚を
強く感じていて、そこから外界を見ているのが「私」であるという感覚が根強くあるんですが、もしかしてそれは観照が起こらないと落ちないんでしょうか?
653
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/26(火) 19:57:57 ID:uCTaZ5cc0
>>647
鬼和尚さん、ありがとうございます。
不安の原因をじっくり探してみようと思います。
自分の子供時代は自分にとっては当たり前のものだったので、それらが不安の原因になっていると、ちゃんと考えてみたことは今まであまりなかった気がします。
気づかずに抱えていた不安も整理できそうです。
ありがとうございます。
また別に質問なのですが、心の中にある自分のイメージというのは、なくすことはできるのですか?
654
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/26(火) 21:20:26 ID:czRftzgI0
和尚さんがただ観察しろというのは、原因を考えながら見るより観察しているうちに原因に気付く方がいいからですよね?
どちらにせよ苦も自我も原因に気づかないことには乖離しないのに違いがないですよね
655
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/26(火) 22:08:49 ID:1d4drIFg0
>>648
それは原因ではないのじゃ。
真の原因は本心の中にあるじゃろう。
本心を受け入れるのじゃ。
>>649
できないのじゃ。
人間だけがそれをできるのじゃ。
この幸運を活かすのじゃ。
>>650
それが完全に観察されて厭離されなければ苦はあるじゃろう。
本心は観察の基礎となるものじゃ。
本心を観なければ意味は無いが、本心を受け入れただけでも苦はあるのじゃ。
>>651
苦であるか苦ではないか見分ける必要は無いのじゃ。
ただ本心をありのままに観察すればよいのじゃ。
心の働きが観察できれば厭離は起こるのじゃ。
観察は分別とは違うものじゃ。
ただありのままに認め、観察し続けるがよいのじゃ。
656
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/26(火) 22:17:45 ID:1d4drIFg0
>>652
それが自我の感覚をもたらしているならばそれを観察できた時に観照は起こるじゃろう。
そしてなくなるじゃろう。
その感覚に自分の名前やイメージが投射されているのか観察して観るのじゃ。
目の奥が自分であり、自分の名前であるのか観察してみるのじゃ。
実践在るのみなのじゃ。
>>653
無くすことができるのじゃ。
どんなイメージも無くすことができるのじゃ。
消えるのではなく自己同一化がなくなるのであるがのう。
>>654
そうじゃ、自然に気付くほうがよいのじゃ。
推測や思考からわかっても観察にはならないからのう。
改めて観察するより、自然に気付くほうが一瞬で厭離は起こるのじゃ。
違いないのじゃ。
657
:
541
:2017/09/26(火) 23:12:11 ID:o7TfOr0I0
本心とはしょうもないものだと思う原因が本心にあると?
なるほど、本心のパワーを開放して大成功をおさめたいと言う本心があるわけですが、
本心では自分の事をしょうもないと思っているのかもしれませんね。だから、本心の力で一発逆転とか思うわけですからね。
658
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/27(水) 06:56:54 ID:czRftzgI0
>654
あ!そうかという腑に落ちる経験が大事なんですね。ありがとうがございました
659
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/27(水) 11:57:40 ID:ydE4b1w.0
652です。
そうですか、目の奥から見ている自己感覚を観察すると一時的に
「ああ、目の裏あたりに自分という感覚があるが、その感覚に今気付いているということは目の奥の自己感覚は自分自身ではないのだ」
という感じになり、一時的にその目の裏あたりの自己感覚との非同一化というか乖離が起こるんですが、
気を緩めて何かしようとパッと動いて観察をやめるとまたその目の奥の自己感覚が自分だと思ってしまい、一体になってしまいます。
これはその自己感覚を維持させる何かがあり、それがまだ観察されていないという質的な問題でしょうか?
それとも目の裏の自己感覚は根強い習慣的なものであり、それゆえに何回も観察をしないと厭離し切れないという量的な問題でしょうか?
660
:
541
:2017/09/27(水) 17:57:50 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚の普段の精神状態ってどんな感じなんですか?
①いつもウキウキ、ハッピー
②退屈だなあ
③しーん・・
④それ以外だとすると、どんな感じでしょうか?
661
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2017/09/27(水) 18:45:47 ID:cZ2RhCWA0
鬼和尚
今ここ、であればそれは本心ですか?
662
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/27(水) 20:37:21 ID:dpLRfrSw0
>>656
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自分とか自分の不安が見えてきた気がします。
今まで当たり前過ぎて見えていなかったのですが、見通しがよくなったというか、見えてきました。
自分のイメージも見えたら不安がなくなることも、何となくわかる気がしてきました。
観察を続けてみます。
また質問させてください。
ありがとうございました。
663
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/27(水) 21:42:58 ID:1d4drIFg0
>>657
そうじゃろう。
更に本心を受け入れるがよいのじゃ。
>>658
どういたしまして、またおいでなさい。
>>659
ただひたすらに観察を続けるのじゃ。
そのうちに原因もわかり、習慣も途切れるのじゃ。
日々続けることが大事なのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>660
三ぐらいじゃな。
>>661
そうじゃ、瞬時もなく認識されたならばそれが本心なのじゃ。
少しでも経てば思考や感情による解釈が起こってしまうのじゃ。
今ここにある心をありのままに見続けるのじゃ。
>>662
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
664
:
541
:2017/09/27(水) 22:16:52 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚、しーん・・ですか?
その境地を目指すために頑張る意味があるのでしょうか?
665
:
541
:2017/09/28(木) 00:25:58 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚は退屈を感じませんか?
その世界には楽しみとかは在るのでしょいか?
666
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/28(木) 05:51:37 ID:fpGbb5P20
>>582
活動量計による瞑想時の心拍数ですが、
安静に座っている時、60回/分
横になっての睡眠時、50回/分
のところ、瞑想時、70回/分
と現在ざっくりとこんな感じです。
姿勢の維持に余計な筋力を使っているのかもしれません。
さらに続けてみます。ありがとうございました。
667
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/28(木) 19:58:08 ID:1d4drIFg0
>>664
>>665
頑張らないでよいのじゃ。
何もしなければ自然に没入するのじゃ。
退屈するものも無いのじゃ。
全てが楽しいのじゃ。
>>666
そうじゃ、続けるとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
668
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/28(木) 20:25:26 ID:IOMLtO8.0
鬼和尚さん質問ですが、
注意深く観察すれば良いのでしょうか?
669
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/29(金) 13:00:25 ID:ydE4b1w.0
>>659
そうですか、ちなみに鬼和尚には目の裏あたりに自分がいて、そこから外界を見てる
という感覚もないんですよね?
670
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/29(金) 13:01:50 ID:ydE4b1w.0
間違えました。
>>663
です。
671
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/29(金) 21:13:35 ID:czRftzgI0
体が勝手に動いているとは、例えば本を読む時、意識は本を読むと考えるだけで、手を動かして本を取ってもう一方の手でページを捲ってなどといちいち動作を考えていないで行動していることですか?
そして、身体の乖離は、思考は目的を考えるだけで体は無意識に動いていることに気づくことですか?
672
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/29(金) 22:39:27 ID:1d4drIFg0
>>668
そうじゃ、注意深く観察するのじゃ。
何も見落とさないように、些細な事こそ大事に観察するのじゃ。
そうすれば気付くことも多くなるものじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>669
そのような感覚は無いのじゃ。
おぬしは見るものが自分であると言う観念が強いのかもしれん。
それをよく観察してみるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>671
そのようなものじゃ。
気付くことができれば厭離は自然にできるのじゃ。
それが自分ではないと気付くのであるからのう。
実践あるのみなのじゃ。
673
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/30(土) 05:56:02 ID:czRftzgI0
>>671
おおそうですか。何かもっと難しいことをしなければならないのかと勘違いしておりました
ありがとうございました
674
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/30(土) 12:46:53 ID:DAY232aw0
>>672
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、大いに楽しく生きたら良いのでしょうか?
675
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/30(土) 13:21:00 ID:ydE4b1w.0
>>672
ありがとうございます。
それから一応確認なんですが「観察する」っていうのは
「思考を挟まずに対象をただ見る」
ってだけでいいんでしょうか?対象をただ見れれば
それが自己ではないという気づきとそれによる厭離は後からおのずとついてくるからという理由で。
また、ただ見ててもすぐ気づきが起こらない場合でも、ずっと見てればいつかは対象が自己ではないという
気づきが起こるはずであるから、すぐ気づきが起こらなくても焦らずにもっと対象をただ見続けていれば
いつかは気づきが起き厭離される、そしてそれが「観察」であるという理解でいいでしょうか、、
676
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/09/30(土) 22:28:54 ID:1d4drIFg0
>>673
どういたしまして、またおいでなさい。
>>674
それは自由なのじゃ。
おぬしが大いに楽しく生きていたいと思えばそうしたらよいのじゃ。
鬼のように修行して悟りを得た後も鬼のように学びたいと思えばそうしたらよいのじゃ。
おぬし次第なのじゃ。
>>675
そのような理解でよいのじゃ。
ただ観察するだけと言うのも難しいのであるがのう。
ただひたすら実践あるのみなのじゃ。
677
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/01(日) 06:49:40 ID:YWyUsy120
いつも教えていただきありがとうございます。
試験勉強のため、コーヒーを使って眠らずに無理していたら躁鬱病を発症した人がいます。
今は、睡眠薬を含む向精神薬で、副作用は多々あるものの症状そのものは抑えられています。
しかし、睡眠薬がないと眠れない体になっています。
私は向精神薬は、このように依存性があり、毒でもあるため、将来認知症などを招くと危惧しています。
また、睡眠薬による眠りはニセの眠りであるとも考えています。
以下のことを教えてください。
1.向精神薬は減薬していくべきでしょうか?
2.人にはなぜ眠りが必要なのでしょうか?
678
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/01(日) 14:03:22 ID:DAY232aw0
>>676
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、注意深くなれば良いのでしょうか?
何度も同じ様な質問申し訳ないです。
679
:
541
:2017/10/01(日) 19:42:45 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。実はいつも通っている牛丼屋のバイトの男が昔の会社の上司の息子で、しかも中学の同級生だったのですが、こう言う不思議な偶然はなぜ起きるのでしょうか?
しかも、私は長年その男と会いたいと思っていたのですが、不幸な別れ方をしたので長年連絡を取れなかったのに、そうとは知らずその親と長年交流していたのです!!
どうみても、自分の心の状態が現象世界と関連している。まあ、現象世界と言うのは元々心の世界と言う意味ですが、そうは言ってもこのような偶然が重なると驚きます。
実は一週間くらい前も、五年間会わなかった人と二日連続で離れた場所で出会ったりしているのです。そのようなことがあるのは、何か精神に根元的な変化があるときに限られます。
鬼和尚も、瞑想を深めると、それに連動して不思議なことが起きたりしませんでしたか?
680
:
541
:2017/10/01(日) 19:50:33 ID:o7TfOr0I0
これは瞑想になっているか分かりませんが、最近私は、現象としての自分の背後にあるものを感じようとしています。
その過程において、現象世界への自我の執着が緩んできて、自我がストップをかけてきた出来事がどんどん現象化するのかなと思っています。
要するに、私は、その友人が嫌いではなかったが、嫌な思い出があったので、会いたくないと思っており、本心は会いたいと思っているが、自我がストップをかけていたのかと思います。
しかし、現象の背後にあるものに意識を移していくと、自我が弱まり、抑圧が消えて、無意識が解放され、友人と再会したりするのかなと思います。
681
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/10/01(日) 21:45:16 ID:1d4drIFg0
>>677
1 そうじゃ、減らしたほうがよいのじゃ。
肝臓もおかしくなるからのう。
2 休めることで肉体も成長したり、修復したりできるのじゃ。
細胞の修復は微小の働きであるから身動きを最小にする時間が必要なのじゃ。
>>678
そうじゃ、注意深く観察するのじゃ。
今そのように何度も聞いているようにのう。
わからないことがあればわかるまで何度も聞くように、自分の心もわかるまで何度も注意深く観察するのじゃ。
>>679
>>680
そのようなことは留意していなかったからわからんのじゃ。
外の世界は何も感知しないようにしていたからのう。
自分の本心だけを観るがよいのじゃ。
682
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/01(日) 22:37:39 ID:DAY232aw0
>>681
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、自我は自分なのでしょうか?
683
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/02(月) 00:22:56 ID:ydE4b1w.0
>>676
わかりました、ありがとうございます。
あと、間違ってたらすいませんが、以前、鬼和尚は「観察」という修行法を知ったのは悟った後だ、というようなことを
おっしゃっていたと思うのですが(記憶違いでしたらすいません)、悟った後にはもちろん観察されるべき自我はもういない状態ですよね、
つまり観察する対象がもうすでにないなら、鬼和尚は実際に何かを観察して厭離したという経験はないんですか?
また、それにもかかわらずなぜここまで「観察」について実践的な指導やアドバイスをできるくらい観察に対する理解が深いんですか?
何度も質問して申し訳ないです。
684
:
541
:2017/10/02(月) 02:19:33 ID:o7TfOr0I0
!鬼和尚。
「外の世界」などあるのですか?
人間は自分の心の純粋な外側の世界を見ることは出来ないと思いますが。
685
:
541
:2017/10/02(月) 02:28:21 ID:o7TfOr0I0
言語を使ってコミュニケーションしているので、お互いに話の焦点があっていない気がしますね。
単語に対する理解が人それぞれ違うので、同じことを話していても話が見えなくなってしまう。
686
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/02(月) 02:47:21 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さんは、確か、お経を読んでいたとき、観照が起こったと書かれていたと思うのですが
どうしてそうなったと思いますか?
また、他の人にそれを勧めないのは、どうしてですか?
687
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/02(月) 07:00:28 ID:DAY232aw0
連投すいません。質問ですが、厭離が起きるまで観察し続ければ良いのでしょうか?
688
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/02(月) 12:06:16 ID:DAY232aw0
>>687
厭離できるまででお願いします。すいません。
689
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/10/02(月) 22:15:42 ID:1d4drIFg0
>>682
違うのじゃ。
自分があるという観念も誤謬なのじゃ。
自分はなく、自我も無い自分に投射された名前とイメージなのじゃ。
>>683
観照は自我を観察して起こるものなのじゃ。
わしも観察によって自我を厭離したのじゃ。
それが観察による厭離であると言葉によって表すことができたのは悟った後なのじゃ。
全ての悟りは何らかの形で自我が観察され、厭離されて起こるものじゃ。
そうであるから指導するには実践と智慧によって観察を知るべきであり、そうしたのじゃ。
>>684
おぬしのために仮にそう語るのじゃ。
>>685
わからなくてよいのじゃ。
実践在るのみなのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
690
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/10/02(月) 22:21:02 ID:1d4drIFg0
>>686
それは何度も多くの経を読み、追求していたからじゃろう。
他人はそんなに多くの経を何度も読めないじゃろう。
面白いものではないからのう。
>>687
そうじゃ、何度も観察すればそれは自然に起こるじゃろう。
実践によって確めるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
691
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/02(月) 23:05:34 ID:DAY232aw0
>>682
ご回答ありがとうございます。
自分はなく、自我も無い自分とは何なのでしょうか?
692
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/03(火) 01:57:39 ID:Y5LPInQE0
>>690
ご回答ありがとうございます。
お経を読むことで何を追求されていたのでしょうか?
693
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/03(火) 05:48:22 ID:YWyUsy120
>>681
ご教授ありがとうございました。
私は精神科医を信用できません。薬漬けにするだけだからです。
一生なおらない、といいますが、一生なおさせない療法と思います。
しかし、自己診断で減薬するのも危険に思います。
どうしたらよいのでしょうか?
694
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/03(火) 19:28:19 ID:ydE4b1w.0
683です。
ありがとうございます。私が誤解していたようです。申し訳ございません。
悟るときは何らかの形で観察が行われる、とおっしゃっていますが、常に能動的な観察の際中
でなくても悟りが起こることはありますか?
例えば四六時中観察をしている人が、さて今日は疲れたから寝よう思って、寝室に向かう途中のふとした瞬間に自分という感覚が消えて
いわゆる観照が起こる、ということはあるんでしょうか?
695
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/10/03(火) 20:52:08 ID:1d4drIFg0
>>691
謬見なのじゃ。
誤ってあるものと認識されたものなのじゃ。
本来無いものをあると認識してしまっている妄想とも言えるのじゃ。
>>692
不死の境地なのじゃ。
わしもお釈迦様と同じく昔は死を恐れていたものじゃ。
不死の境地への道がないかと追求していたのじゃ。
そしてそれを見つけることが出来たのじゃ。
おぬしも精進あるのみなのじゃ。
>>693
西式健康法などを学び実践して腸の大掃除をすると善いのじゃ。
脳の不調は腸の故障によるものなのじゃ。
腸によって各種のホルモンや免疫物質などが作られるから腸が弱ると脳もおかしくなるのじゃ。
それを腸脳相関と呼ぶのじゃ。
腸を大掃除して不調を直せば脳も大抵よくなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>694
そのようなこともあるじゃろう。
マハリシは寝ていたときに起きたのじゃ。
常に自分を追求していればどこでも頓悟が起こる可能性はあるものじゃ。
精進在るのみなのじゃ。
696
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/04(水) 15:17:08 ID:DAY232aw0
>>695
ご回答ありがとうございます。
質問ですが、自分を追求した方が良いのでしょうか?
それとも、自分とは何か追求した方が良いのでしょうか?
697
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/10/04(水) 20:50:31 ID:1d4drIFg0
>>696
それはおぬし自身が興味を持てるほうでよいのじゃ。
自分に興味があるならば自分を追及するとよいのじゃ。
自分とは何かに興味があるならばそれを追求するとよいのじゃ。
おぬし次第なのじゃ。
698
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/04(水) 21:34:31 ID:DAY232aw0
>>697
ありがとうございます。
質問ですが、自我に気付くとはどう言う事なのでしょうか?
699
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/04(水) 23:16:11 ID:DAY232aw0
>>698
スルーしてください。すいません。
質問ですが自分を追求したり、自分とは何か追求したりするのは、自我に気付く為でしょうか?それとも自分に気付く為でしょうか?
700
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/05(木) 00:30:39 ID:ydE4b1w.0
>>695
なるほど、必ずしも能動的に観察の作業を行っている時じゃなくても観照が起こる可能性は
ある、ということでしょうか?
それから、認識を観察することについてはっきりさせたいというか、確認させていただきたいんですが、
認識(阿頼耶識)を観察するっていうのは、
「認識(阿頼耶識)が目の前の対象物に膨大な記憶の中からその対象物に適したラベルやイメージを投影し、
そのラベルやイメージを対象物に当てはめて認識している過程」
を捉えてただ見ることが認識を観察するということなんですか?
わかりやすく言うと、目の前の名もないありのままの「それ」に対し過去の記憶から勝手に「観念A」を投影して
「名もないそれ」を「観念A」であると認識する[過程]を捉えてその過程をただ見るということが「認識を観察する」ということなのか、ということです。
そして、その過程を捉えてただ見ることができれば、それは過去の記憶を見ているだけでありありのままを見ていなかったんだ、
と気づけばそれによって厭離が起こる そんな感じでしょうか?
少しでも違っていたら指摘していただけると助かります。
701
:
避難民のマジレスさん
:2017/10/05(木) 18:41:43 ID:czRftzgI0
「何かものを見ればそれがりんごだとか石だとか分類し別けるのが分別なのじゃ。そしてそれがりんごであると認め、知るという働きが認識なのじゃ。」について質問します。
Q1.分類と認めるの違いがわかりません。記憶と照合してりんごと分類している時点で認め、知ることになっていませんか?それとも赤くて丸い物と記憶抜きで分類し、その後記憶を元にりんごと認めるという意味ですか?
Q2.2行目はりんごが既知であればりんごと認め、未知であれば知るのが認識という意味ですか?
702
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2017/10/05(木) 20:47:39 ID:1d4drIFg0
>>698
それが何であるかに気付くのじゃ。
それが物としてあるものなのか。
あるいは物としてはないものなのか。
寝ていてもあるものなのか。
寝ているときは無いものなのか。
などに気付くことなのじゃ。
>>699
どちらでもないのじゃ。
自我が何であるかに気付くためなのじゃ。
自分とは何であるかに気付くためなのじゃ。
>>700
そうじゃ。
そうじゃ。
そうではないのじゃ。
ただそれが記憶に依存した認識であると気付くのじゃ。
>>701
1 それは分類される前にはりんごとしては認められず、知られていないのじゃ。
りんごを認めるとは第三者の視点であるからそのようにいうのじゃ。
分類され、記憶と照合される前にはあかくてまるい物体なのじゃ。
2 分類されて記憶と照合されてりんごとして認め知るといことなのじゃ。
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