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鬼和尚に聞いてみるスレ part9

550543:2017/09/14(木) 00:56:37 ID:FocWw5K20
>>549
鬼和尚さん、ありがとうございます。
そうか、この状態は自分が、何をどう感じどのように反応するかがわかっていない状態なのですね。
そう思って今回のことを捉え直してみると、自分で些細なことと決めつけていたことは、本心にとってはとても重要なことだったということになります。
自分の価値観や性格はそこに強く影響されるものだったわけです。

私は自分のことがわかっていなかったせいで、その些細だと決めつけていたことが大きな苦の原因になることが推測できませんでした。
自分のことをわかっていれば、すんなり今の苦の原因がわかって解決も早かったはずです。
自分の知らなかった面を知ることができたことに、今ようやく気づきました。

たぶん他にも自分で気づいていない自分の本心があるはずなので、探っていきます。
今回は自分でも意外でした。
鬼和尚さんに質問しなければ、苦がなくなってそれで終わってしまっていたと思います。
ありがとうございました。

551そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/09/14(木) 01:45:54 ID:F20GGGvA0
鬼和尚
世間には、人が生まれてから死ぬまで、あらゆるしくみや決まり事があり、自由などほとんどないのですね。
そして大抵の人は、しくみや決まり事に見事に従っているのですね。
従うかどうかは、自主的に選択しているのかと私は思っていたのですが、そういうわけでもなさそうで、わりと盲目的なのですね。
そういうことが私の思っていることとは全く逆なんです。

私はこれまでずっと世の中に対して違和感を感じていましたが、それは私の考えとは違うからだとわかってはいたんですが、実はわかっていなかったと言いますか、ようやく気付いた感じです。
うまく認識出来ず、ギャップばかりを感じていました。
何かあると「信じられない」と思っていました。日常的にです。
それをスルーし他人を見ず自分を見るのが修行と思ってやってきました。

しかし、ようやくギャップ=苦の元は私の考えだということもわかりました。

いつどうやってその考えを持ったのかはわからないので、前世と関係あるのかなと思ったりもしていました。

違和感の正体は、土居健郎著「甘えの構造」とか山本七平著「空気の研究」とかルース・ベネディクト著「菊と刀」などに書いてあることはあてはまるなと思っていましたが、なんの解決にもなりませんでした。
むしろ、あれも違う、これも違う、ということを考える材料にしていました。

552避難民のマジレスさん:2017/09/14(木) 05:58:57 ID:YUVcWBgU0
>>551
山本七平はいかがわしい人物だから信用してはいかんのじゃ。

553541:2017/09/14(木) 18:01:55 ID:o7TfOr0I0
ありがとうございます。
確かに、我々と言うのは、思考的な表現ですね。
全ては解釈です。
我々が経験する世界は全て現象です。
「区別」は人間の思考の働きで、本当にうごいて居るのは無と言う全体です。
椅子が倒れたと認識しますが、本来は椅子もなければ倒れることもなく、なにも動いてない。
何かが動いているように見えるのは心の働きです。
無門関に出てくる、旗が動いているのか、風邪が動いているのか、いや、心が動いているのだと言う結論は、本当にその通りです。
全ては自分の心です。鬼和尚も私も心の反映で、有の世界は自分の心の世界です。

554541:2017/09/14(木) 18:08:39 ID:o7TfOr0I0
こうやって、会話していても、自分の心からレスポンスを貰っている訳で、自分の理解力以上のものは認識できない。
だから、相手から何かを得ようとしても無駄なのだ。洞窟の壁の絵と会話しているようなもの。
本当に欲しいものは壁の絵からは受け取れない。
全ては無から流出した仮象である。

555541:2017/09/14(木) 18:14:03 ID:o7TfOr0I0
かといって、流出を留めることはできるのだろうか。
例えば、完全性の象徴として、鬼和尚を生み出したが、、
無から不完全なる私が生まれ、私が生れたことにより、完全性を説く鬼和尚が生まれる。

556541:2017/09/14(木) 18:50:00 ID:o7TfOr0I0
何故、無は安定しないのか、どうして有を生み出すのか
その本性が無だと解っていながら、有を生きるしかないのか

557541:2017/09/14(木) 19:58:46 ID:o7TfOr0I0
有を滅ぼす事ができるようになった。
有はまた立ち上ってくるだろうけれど、
その都度、滅する事が出来る

558避難民のマジレスさん:2017/09/14(木) 20:09:20 ID:czRftzgI0
思うに公案は問の中に思考を回させるような種が仕込んである。例えば、達磨はなぜ中国に来たかは、なぜという言葉によって理由を懸命に探させるよう誘導する。しかし、達磨が来たことをありのままに見ればそこには理由も何もなく来たという行為があるのみである。こうした公案はトンチ問答のようなもので、いきすぎると本来の悟りから離れてしまうだろう。
と最近考えた次第です。

559541:2017/09/14(木) 20:46:26 ID:o7TfOr0I0
有を滅ぼすと、無と言うストレスゼロの最高に幸せな境地に立てるのですが、それは、人々が、大抵、悪夢の中に居るからで、滅ぼす事が出来ると言うことは作り出す事も出来る訳で、
有を宝物のように磨きあげる事も出来る。
有は素材に過ぎないからね。
だけど、子煩悩と言うように、最高の宝が苦しみを生み出す場合もありますね。
鬼和尚が「人に親切にするのじゃ」と言うのは、有を愛に変えることで、愛の世界に包まれることが出来ると言う事なんでしょうね。

560541:2017/09/14(木) 21:06:04 ID:o7TfOr0I0
ただ、有に囚われた状態で親切にしても、恨みつらみも増えていく事が多いし、振り回されて消耗したりする。
やはり、無と言う自他未分離の境地での自然なふるまいが愛に繋がるのかなと思います。

561541:2017/09/14(木) 21:17:22 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。無認識と言うのは、認識が無の基盤に立っていると理解していることとは違うのですよね?
鬼和尚も、鬼和尚と名乗っている認識はあると思うのですが、その認識が虚構であると、知っている状態を無認識としていますか?
認識を認識している状態の事でしょうか?

562鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/14(木) 21:23:36 ID:1d4drIFg0
>>550 そうじゃ、些細なことでも本心を受け入れてこそ変化は起こるのじゃ。
 本心を認めなければいつまでもそのままなのじゃ。
 本心を見つめて進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>551 それはむしろ家族などから条件付けされた考えじゃろう。
 友人なども同じ価値観を共有するのじゃ。
 自分の本心を真摯に見るのじゃ。

>>553 善かったのじゃ。
 後は実践あるのみなにのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

>>558 そうじゃろう。
 それもまた本来は必要無いものじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

563鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/14(木) 21:24:23 ID:1d4drIFg0
>>561 そのような理解でよいのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

564541:2017/09/14(木) 21:33:48 ID:o7TfOr0I0
全くの無認識だと、車の運転が出来なくなります。鬼和尚さんは運送業だと聞きましたが、道路標識は認識しないのですか?

565541:2017/09/14(木) 21:39:36 ID:o7TfOr0I0
実践とは何の実践になりますか?
あえて言えば今、認識に囚われずに生きると言うことを実践しています。
たまに、現象を実体化してしまうことがありますが、「色は私を離れてあるだろうか」「形は私を離れてあるだろうか」「臭いは私を離れてあるだろうか」「やっぱり無があるだけだ」と気が付きます。これを、ある種、仏法の実践ととらえてよろしいでしょうか?

566そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/09/14(木) 22:00:17 ID:F20GGGvA0
>>562
ありがとうございます。
家族の行動を見ていると私と逆なので家族ではないと思います。
幼いころ親から言われたことに疑問を持ったことは記憶しています。
友人はいますが、同じ価値観を共有できたと思える人はいません。
もし同じ価値観を持ったなら、私と同じように苦悩を持つのではないかと思います。

567避難民のマジレスさん:2017/09/15(金) 00:23:41 ID:vd1QzfGM0
>>549
ありがとうございました。

568避難民のマジレスさん:2017/09/15(金) 18:51:42 ID:.d4fjvgs0
鬼和尚さま

微細身やサトルボディとは何なのでしょうか
鬼和尚さまが気と言っているのと同じようなものですか?

ヴォパッサナーでも微細身を感じられるようにするといいなど言う人がいますが、
観察と関係ありますか?
観察が繊細になっていくと自然と感じされるものなのでしょうか?

自我や認識を滅したり悟りの修行になりますでしょうか?

569鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/15(金) 22:40:47 ID:1d4drIFg0
>>564 認識も無認識も使えるのじゃ。
 自在なのじゃ。

>>565 止観をすると善いのじゃ。
 集中し、自らの本心を観察するのじゃ。
 
 本心を観察していないと無意味なのじゃ。
 本心を観るのが仏法の実践なのじゃ。

>>566 常に真摯に本心を観察していれば原因にも気付くじゃろう。
 体験によって作られたものかもしれん。
 本心を観るのじゃ。

>>567 どういたしまして、またおいでなさい。

>>568 それらもまた妄想なのじゃ。
 気とは違うものなのじゃ。
 観察によって真実に気付けば妄想と知れるのじゃ。
 修業にはならないのじゃ。
 囚われれば煩悩にもなるものじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

570541:2017/09/15(金) 23:28:54 ID:o7TfOr0I0
例えば、「女の子にもてたーい」みたいな本心があったとして、観察して、理解したら、どうしたらよいでしょうか

571避難民のマジレスさん:2017/09/16(土) 00:56:15 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
観察するのが辛いのですが、苦が無く観察し続ける方法はないのでしょうか?

572568:2017/09/16(土) 06:20:50 ID:88jKuaRs0
>>569

そうなんですね。
自分は凡夫でも判断しやすいる修行の方法では無執着が一番だと思ってまして、
何であれそれに囚われないように気をつけています。

これからも囚われないように気を付けていきたいと思います。
ありがとうございました。

573鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/16(土) 21:48:38 ID:1d4drIFg0
>>570 それはおぬしの人生の目的によって異なるのじゃ。
 悟りを得たいと想い、そのために邪魔になるならば原因から観察して滅すると善いのじゃ。
 邪魔にならないならば放って置いて善いのじゃ。
 特に悟りを求めていないならばもてもてになるように努力すればよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>571 集中が深くなれば苦は無く観察できるじゃろう。
 自分を忘れられるからのう。
 上から自分を見ている感じになるのじゃ。
 肉体の反応はあるがそれはもはや自分の苦ではないのじゃ。
 そこまで至るのに精進あるのみなのじゃ。

>>572 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

574541:2017/09/17(日) 04:44:42 ID:o7TfOr0I0
女の子とやりたいと言う本心の原因が、結局のところキンタマ(睾丸)だとしたら、悟りを得るために睾丸除去手術をしなくてはならないのでしょうか?

575鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/17(日) 21:45:52 ID:1d4drIFg0
>>574 それが修業の妨げになっているならば観察すると善いのじゃ。
 そうでなければ何もしなくて善いのじゃ。
 悟りを得るのでないならばナンパでもするとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

576541:2017/09/17(日) 21:53:11 ID:o7TfOr0I0
観察してもキンタマは無くならないかと。

577避難民のマジレスさん:2017/09/18(月) 06:09:50 ID:fpGbb5P20
>>530ご教授ありがとうございました。
活動量計を購入してみました。計測しているのは心拍数と体の動きのようです。
不安や興奮があるとき、心拍数が上がるのが数値でわかり面白いです。
止の行のとき、心拍数が下がるかと思いましたが、むしろ少し高いようです。
行が上達すると心拍数は下がりますか?

578避難民のマジレスさん:2017/09/18(月) 07:49:58 ID:DAY232aw0
>>571ご回答ありがとうます。
質問ですが、新しい何かに気づくまで観察し続ければ良いのでしょうか?

579避難民のマジレスさん:2017/09/18(月) 09:16:07 ID:DAY232aw0
>>578ご回答ありがとうございますです。
すいません。

580避難民のマジレスさん:2017/09/18(月) 12:31:28 ID:rIFRVnQI0
感情と身体反応は同じものでしょうか?

観察していると、身体反応→感情となっている時もあるようです。

身体的にお腹の辺りが重たい・窮屈・熱い 感じだと、怒りが生まれやすいようです。
反応として、怒りに変換されやすいといいますか…。

恐怖は身の毛がよだつような背筋がゾワゾワっというような感覚です。

可笑しい事があれば腹がゆれますし、
悲しいは胸が苦しく涙が出たりします。

安らぎや安心は暖かく身体に力の入っていない状態です。

緊張や不安は身体の特に肩あたりに力が入っているし 呼吸も浅くなります。
(普段はこの状態が多いです)

感情を、
このような身体反応として観察するのですが、その反応に飲み込まれないようにするのが、感情と離れる事なのでしょうか?

それとも、それが起こる原因を観察し、身体反応そのものが出来るだけ起きないようにすることでしょうか?

581避難民のマジレスさん:2017/09/18(月) 21:06:56 ID:Jw3dzeXk0
鬼和尚さん

子供の頃、狡いことをしてはいけないと厳しく教えられてきたことが原因で、他人が狡いことをすると必要以上に怒ってしまいます。
そして、自分も狡いことをすることを許せないので、他人が狡いことをすることを許せません。
でも、それが苦を生んでしまう場合があるし、よく考えれば誰しも狡さを隠しているだけです。
他人を許せるようになるには、どうしたら良いですか?
上手くいかないので教えてください。

582鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/18(月) 21:25:32 ID:1d4drIFg0
>>576 百年すればなくなるじゃろう。

>>577 下がるじゃろう。
 神経が落ち着くからのう。
 さらにどんどん試してみるのじゃ。

>>578>>579 そうじゃ、続けるのじゃ。
 注意して心を観察するのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>580 同じではなくそれらは連携して起こるものじゃ。
 そうじゃ、反応をも飲み込まれないように観察するのじゃ。
 反応は起こるままにしておくがよいのじゃ。
 それは起こっては消えていく性質のものと気付くじゃろう。

>>581 そのように原因がわかっていれば全て観察して滅することも出来るのじゃ。
 親に教えられたから狡いことが許せず怒りが起こり、それがなければ怒りも無いと観察するのじゃ。
 何度も観察すれば消えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

583避難民のマジレスさん:2017/09/19(火) 18:51:50 ID:czRftzgI0
通常、感覚→認識→分別→感情という反応のところを、トラウマは感覚→認識→感情と反応すると聞きました。悪口などを聞いたときの苦の感情の記憶が強すぎて思考を飛ばしていきなり反応が出てしまうからだと思います。そうなのですか?
そうだとしたら、トラウマを滅するときは感覚から感情が起きる過程を観察するのがいいのですか?

584避難民のマジレスさん:2017/09/19(火) 19:12:28 ID:sVk/xi5.0
>>582
鬼和尚さん、ありがとうございます。

狡さについては少しずつ洗脳が解けてきたような感じですが、今度は自己イメージとの同一化が止まりません。
自己イメージを汚されて、被害を被ったという怒りが止まりません。
以前は、自己イメージは自分の肉体でも財産でもない、と思っただけで苦がなくなったのですが、今回はそう思ってもやっぱり被害を受けたという気持ちが起きてきます。

苦を観察してみると、相手に同じだけの被害を与えるか、弁償させたいというような、自分の財産を奪われたのと同じ気持ちです。
さらにどう観察したらいいのでしょうか?
昨日からずっと怒っていて、それでも怒りが止まらないので疲れました。

585鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/19(火) 21:42:21 ID:1d4drIFg0
>>580 全てそのような反応なのじゃ。
 分別を思考と思っているようじゃのう。
 分別は思考ではないのじゃ。
 パターンによって認識する作用の一部なのじゃ。
 ものごとをあれこれと分けて記憶と合わせる働きなのじゃ。
 思考は感情の反応の後に起こるものじゃ。
 全てを固定観念がない状態でありのままに観察するのじゃ。
 
>>584 それは思っているからなのじゃ。
 記憶を観てしまっているのじゃ。
 以前に成功した記憶を思い起こして観察と思っているのじゃ。

 自己イメージを自分としてみている働きそのものを受けいれ、観察するのじゃ。
 そこから怒りも起こると観察するのじゃ。
 観察と思うことを明確にわけるのじゃ。

586避難民のマジレスさん:2017/09/20(水) 07:00:00 ID:czRftzgI0
分別は思考ではなく脳の反応ということですか?
感情後の思考は、あんな事言いやがってとかなんて嫌なやつだとか思うことですか?

587避難民のマジレスさん:2017/09/20(水) 12:52:05 ID:DAY232aw0
>>578ご回答ありがとうございます。
質問ですが、真の観察とは一体何のでしょうか?

588避難民のマジレスさん:2017/09/20(水) 20:34:13 ID:t8PlW.qA0
>>585
鬼和尚さん、ありがとうございます。
思考と観察を区別できるようにしてみます。
悪戦苦闘していたら、自己イメージについての苦がなくなってきてしまいました。
観察できたというはっきりした感覚があれば良いのですが、自己イメージがそもそもはっきりしないものなので、何となく苦が消えてしまった感じです。
これでも観察できたのでしょうか?

それから、さらに観察していたら、狡いということよりもさらに、卑怯な人間に対する怒りがあることに気づきました。
狡いというのは、自己の利益のために動物でもそう動くと思えますが、卑怯というのは、動物でもあることなんでしょうか?
弱い者に対しては苛めていいとか、弱そうと見ると反射的に苛めているとか、そういう反応が許せません。
すぐに反撃しにくい場面だったのが悔しくて、怒りが湧きます。
もっとコテンパンにやり返したかったです。逃げられたのがムカつきます。
こんなに怒っているのはやはり原因があるのでしょうか?
どんなことが原因になり得ますか?

589鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/20(水) 22:26:06 ID:1d4drIFg0
>>586 そうじゃ、思考は認識や感情の後に起こるものじゃ。
 よく観察してみればわかるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>587 自らの心の働きをありのままに認め、認識することなのじゃ。
 それに何か働きかけようとしてはいかんのじゃ。
 好悪とかも起きればありのままに認めるだけでよいのじゃ。

>>588 苦が無くなったのならば出来ているのじゃ。
 思考できなくても気にしなくてよいのじゃ。

 あるかもしれん。
 肉食動物は子供とか病気のものとか弱いものから食べていくのじゃ。
 おぬしの心の中に原因があるじゃろう。
 親とかが弱いものをいじめる者には攻撃してよいと思っているものであったとか。
 自分の攻撃欲を満たすために卑怯な者を攻撃してよいと言ったとかじゃな。
 そのような原因を自らの心の中に探すのじゃ。

590避難民のマジレスさん:2017/09/20(水) 23:29:40 ID:czRftzgI0
続けてお願いします。
ある嫌なことを思い出して嫌な気分になった時、嫌な記憶で自分のイメージが傷ついたと自我は感じます。でも、記憶から嫌な気分になるのは自動で起こっていること。その過程には主体がないのにあると勘違いして主体像を投射し、自分が嫌な気分を感じていると思ってしまう。だから、自分が嫌な気分を起こしているわけではないことを観察して、結果そこに投射する主体がない事に気付き、自我を投射する作用をなくす。
これが無我の観察ですか?

591避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 02:28:37 ID:DAY232aw0
>>587ご回答ありがとうございます。
質問ですが、新しい何かに気付く事が大事なのでしょうか?

592避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 12:44:09 ID:ydE4b1w.0
質問です、例えば右足に対して強く自己同一化の観念を持っている人がいるとします、
その人は右足に対する観察だけ忘れていましたがその他の身体部位のほとんどを観察し、それにより
厭離し、最終的には観照が起きて無我に至ったとします。

しかし、右足に対する自己同一化の観念を観察するのを
忘れていたのであれば何か機会があれば自分を右足だと思ってしまうことになる右足に対する自己同一化の観念は残存したままなんでしょうか?

つまり観照が起き、無我になったとしても自己同一化の観念の残りかすみたいなものは個別に観察されない限り残り続けるということでしょうか?
そしてそのような観察しそこなった自己同一化の観念も認識を滅してしまえばその他のすべての観念と一緒に
消滅するんでしょうか?

593避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 12:50:31 ID:ydE4b1w.0
訂正です

× つまり観照が起き、無我になったとしても自己同一化の観念の残りかすみたいなものは個別に観察されない限り残り続けるということでしょうか?
そしてそのような観察しそこなった自己同一化の観念も認識を滅してしまえばその他のすべての観念と一緒に
消滅するんでしょうか?

◎つまり観照が起き、無我になったとしてもそれまでの過程で観察し忘れてしまった自己同一化の観念の残りかすみたいなものは個別に観察されない限り無我に至ったとしても残り続けるということでしょうか?
しかし、そのような観察しそこなった自己同一化の観念も認識を滅してしまえばその他のすべての観念と一緒に
消滅するんでしょうか?

594541:2017/09/21(木) 18:46:06 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。5年前鬼和尚に宣言した通り、生活を楽にする為に資産を作りました。また、好きなことも片っ端から始めました。哲学も極めた、法学も、宗教も、音楽も、科学も、瞑想も、だが、私は退屈なのです!

595541:2017/09/21(木) 18:51:36 ID:o7TfOr0I0
あとは、女かな。ハイデガーもアーレントと言う恋人に狂ったそうだが、俺も狂いたい。

596541:2017/09/21(木) 19:55:00 ID:o7TfOr0I0
でもね。本音を言うと疲れたから寝たいんだよ。
疲れることはしたくないと言うのも本音、美女をつれ回したいのも本音

597避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 19:55:09 ID:DAY232aw0
>>591スルーしてください。すいません。ありがとうございます。

598避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 20:00:29 ID:t8PlW.qA0
>>589
鬼和尚さん、ありがとうございます。
観察の状況を思考できなくても良いのですね。
観察できているかどうかがいまいちわからなくて試行錯誤なのですが、何となく気づいて、何となく厭離されていくということでも良いのでしょうか?

卑怯な人に対する怒りも、何となく消えてきてしまいました。
親など周りの人の考えもあるし、子供の頃に卑怯な人に出会って恐怖を感じたりしたことなど、いくつかの複合的なものが原因のようで、それらの原因について思い出していたら何だか怒りがなくなってきました。
それに、卑怯さというのも縁による自動的なものだと思えてきました。

でも、苦の場合は、苦が消えることで観察できているかがわかるかもしれませんが、自分を観察するときも、こんなに曖昧で良いのですか?
何だか心許ない感じです。

599鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/21(木) 21:13:15 ID:1d4drIFg0
>>590 そのような理解でよいのじゃ。
 それが十二因縁の正確な理解なのじゃ。
 苦から自我の観念まで完全に観察する事で全て厭離できるのじゃ。
 後は実践在るのみなのじゃ。

>>591 そうじゃ、その心構えが大事なのじゃ。
 一日で気付けなくとも日々続けることで自我にも気付くのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>592 そのようなことはないのじゃ。
 一度、厭離が起こってしまえばもはや戻らないのじゃ。
 自我が観念であると気付いたのであるからのう。
 もはや何を観ても無我なのじゃ。
 その後に無認識にも至るのじゃ。

>>594->>596 寝たらよいのじゃ。
 女子もナンパしたらよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

600鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/21(木) 21:17:00 ID:1d4drIFg0
>>598 それでよいのじゃ。
 観察は知識を固定することが目的ではなく、厭離を起こすことが目的であるからのう。
 苦が厭離されればそれでよいのじゃ。
 気付くことによる厭離の過程は自動的に素早く起こる故に、それ自体を認識するのは困難なのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

601避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 21:32:04 ID:czRftzgI0
>590
どうやら理論的な理解はこれでいいようで安心しました。所詮頭でわかっただけなので、実感できるよう瞑想に励みたいと思います。
面倒な質問にお付き合い頂きありがとうございました

602避難民のマジレスさん:2017/09/21(木) 21:44:01 ID:DAY232aw0
>591.>597ご回答ありがとうありがとうございます。わざわざすいません。実践して行きます。

603避難民のマジレスさん:2017/09/22(金) 00:28:50 ID:ydE4b1w.0
592です

ということは「自分は〜である」といった自分が何者であるかということに関する観念は消えるが、
それ以外の観念((例)これはパソコンだ)は残るということでしょうか?

前者のたぐいの観念は無我の段階で消えて、後者の様な観念は認識を滅したときに消えるということ?

604541:2017/09/22(金) 05:03:42 ID:o7TfOr0I0
女子をナンパすることと悟りは矛盾しませんか?
ナンパしつつ事業も成功させ悟ることもできますでしょうか?
或いはナンパしたいと言う本心を観察して滅却することもできるのでしょうか?

605541:2017/09/22(金) 18:59:24 ID:o7TfOr0I0
ひとり部屋の中で心を観察している時に、欲望が現れなくても、生活空間に女が現れた時に連動して欲望も生じる事があるよね
逆に、現れを深く観察すると、欲望が消えてしまう事もある。
さて、どうしたものか。

606避難民のマジレスさん:2017/09/22(金) 20:27:07 ID:FocWw5K20
>>600
鬼和尚さん、ありがとうございます。
囚われずに進んでみます。

ところで、進むというのは、自分だと思っているものは何かということを探っていけば良いのですよね?
そして、自分だと思っているものを観察して厭離していくことが、進むということで良いですか?

607鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/22(金) 22:09:59 ID:1d4drIFg0
>>601 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>602 どういたしまして、またおいでなさい。

>>603 そのような理解でよいのじゃ。
 後は実践で確めるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>604 悟りを求めていない者はナンパするとよいのじゃ。
 悟りを求めるならば止観を修業するとよいのじゃ。
 全部は無理じゃろう。
 一つ一つ実現するとよいのじゃ。
 それも観察によって滅することが出来るじゃろう。

608鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/22(金) 22:12:34 ID:1d4drIFg0
>>605 自分が本当はなにをしたいのか本心を明らかにするとよいのじゃ。
 それによって道も決まるのじゃ。
 本心を観るのじゃ。

>>606 そのような理解でよいのじゃ。
 後は実践あるのみなのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

609避難民のマジレスさん:2017/09/23(土) 10:05:20 ID:zvPsXPv60
お尻が痛いので立禅でもよいでしょうか?

610避難民のマジレスさん:2017/09/23(土) 11:49:53 ID:ydE4b1w.0
>>607

ありがとうございました。

611避難民のマジレスさん:2017/09/23(土) 19:08:27 ID:4r9Nyxn.0
>>608
鬼和尚さん、ありがとうございます。
改めて自分を見ようとしたんですが、苦を感じていることが多くて、苦の観察ばかりになってしまいます。
苦の観察だけで悟ることはできますか?
それとも、苦の観察以外の自分についての観察もした方が良いですか?

612541:2017/09/23(土) 19:10:04 ID:o7TfOr0I0
本心からなにもしたくないですね。
この詰まらない結論。もう少し大恋愛したいとか、悟りを得たいとか、政治家になりたいとか、無いのかと思うが、なにもしたくないと言う糞みたいな本心

613避難民のマジレスさん:2017/09/23(土) 19:36:28 ID:4r9Nyxn.0
すみません、もう1つ質問させてください。

鬼和尚さんの以前のブログに、執着の原因がまた執着である例として、
「例えば子供の頃におもちゃを買えなかったから、今、いろいろなものを集めているが求めても得られない苦が起こるとかなのじゃ。」
と書かれているんですが、この話の場合は、実際どうしたら執着がなくなるのですか?
子供の頃に得られなかったものを今手に入れても苦がなくならないのなら、その気持ちはどうしたら収まるのでしょうか?
過去に戻れないと取り返せないと思ってしまうような執着心などは、どうしたら良いのでしょうか?

614541:2017/09/23(土) 20:06:26 ID:o7TfOr0I0
やりたいことをやりつくしてしまった。
鬼和尚。困った。

615鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/23(土) 21:07:22 ID:1d4drIFg0
>>609 善いのじゃ。
 いろいろ試してみるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>610 どういたしまして、またおいでなさい。

>>611 苦の原因を次々に追求していけば自我に行き当たるじゃろう。
 全ての苦の根本は自分があるという観念なのじゃ。
 その観念によって苦があると気付けば無我になり、悟りも訪れるじゃろう。
 ただひたすらに本心を観察し続けるのじゃ。

616鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/23(土) 21:10:11 ID:1d4drIFg0
>>612>>614 それは善かったのじゃ。
 何もせずただ座り続けるがよいのじゃ。
 自然に悟りも訪れるじゃろう。
 
>>613 元になった執着の原因を追究するのじゃ。
 それが孤独感であり、自分があるという観念が更にその原因であると気付けばなくなるのじゃ。
 原因から起こる事を観察していけば収まるじゃろう。
 それも原因がわかり、観察すれば無くなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

617避難民のマジレスさん:2017/09/24(日) 09:29:51 ID:czRftzgI0
自己探求を続けてついに自分があることが苦の原因であることに気付きました。これで無我瞑想に専念できます。
和尚さんを疑ったこともありましたが、ここは本物だと思いますよ、皆さん。苦を気にしなくする他のスピ系と違ってここは根本的に苦を滅却するところだと思います。

618541:2017/09/24(日) 16:06:41 ID:G2RHzlNw0
鬼和尚。例えば、フェイスブックを見たら、元カノが結婚しており、凄いショックを受けたんですね。このショックは何だろうか?
じゃあ、その女と結婚したかったのかと言うと全くそんなことはなかったのですよ。
要は、私は、女と言うものを、自分を称える道具かなにかだと思っているのかもしれない。
つまり道具が意思を持ち、自分以外の者を支えている、その事実に不快を感じる。愛とは全く正反対の感情ですね。
これは、異性関係一般に関する本心に近いと思う。

619541:2017/09/24(日) 17:40:51 ID:o7TfOr0I0
本心と言うか本能ですかね。
他者を養分として自己を拡張しようというのは自然界でもよく見られる活動です。
ただ、他者も、全く同じ本能を持っているので、この欲求は必ずしも満たされない。
女も男も、自分を幸せにしてくれるパートナーを探している。
あれ?これって、悪いことじゃないよね。
つまり、貴方を食べさせておくれ、私を食べていいからと言う関係性だよね。

620541:2017/09/24(日) 17:55:27 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。本心には本能由来のものと、理性由来のものが有りませんか?
中世ならば悪魔の囁きと天使の囁きとも言えますが。
本能由来の本心は「みんな俺の奴隷になれ」でしょう。
しかし、人間はそう言う生き方が最悪であり、教官も得られず、自分も他人も傷つけて、地獄行きだと言うことを経験的にも直観的にも分かっている。

621541:2017/09/24(日) 18:05:44 ID:o7TfOr0I0
もはや、本心ではないんだよな(笑)
本心ではなくて、幾度もの反省を経て鍛えられた良心なんだよ。
良心は、恋人の幸せを祝ってやりなさいと言っている。ただ、それは社会的仮面で、本心では、悔しー!!俺の女取りやがって、ボケが!ぶん殴ったろか
と言う訳だ。

622541:2017/09/24(日) 18:14:39 ID:o7TfOr0I0
じゃあ、本心に従って、女を取り戻したらいいじゃないか?と言う話もあるだろうが、別にそこまでして取り戻したい女でもないと言う本心(最低だな)女そのものを愛しているのではなく、女に愛されている自分と言うイメージを愛している。さらに、女に袖にされた自分と言うイメージを嫌っている。

623541:2017/09/24(日) 18:33:02 ID:o7TfOr0I0
仏教的に不思議な話ではなくて、お釈迦様も「私は、東西南北探し回ったが、己以上に愛しい存在を見つけられなかった」と言っている。これこそ、まさに本心の告白ですよ。自分の生存を不利にすることが嫌だから、恋人と結婚するのも嫌だが別れるのも嫌なわけだ。

624541:2017/09/24(日) 18:42:49 ID:o7TfOr0I0
何故悟りを求めるかと言うと、これら矛盾や分裂を止揚する究極の答えがあると思うからなのだ。
だらか、本心が「女の娘とセックスしたい」であったとしても、突き詰めて行くと「そう言うことも含めて、苦しみから解放されたい」でしょう。
だから、「女とセックスしたい」と「悟りを得たい」は表裏一体なんですよ。「煩悩」があるから、その滅却もありえるわけで、煩悩が強いほど、悟りへの希求も強くなる。心のシステム上、どっちかだけ削ると言うわけにはいかないのです。

625541:2017/09/24(日) 18:50:09 ID:o7TfOr0I0
所で、何故私が元カノが結婚してショックなのかと言うと、「アイツら俺にたいして優越感に浸ってやがるな」と考えるからなのです。それは、私がそう言うことを通して優越感に浸りたいからそう思う訳です。つまり、自分の邪な心が自分を傷付け陥れている。釈迦は清い心を持ちなさいと言った、イエスも邪な心で女を見るなと言った。
それは、全部自分に反ってくるから。もし、私が結婚と言う現象と優越感を結び付けなければ、誰が結婚しようと劣等感に苛まれたりしないはずだ。

626541:2017/09/24(日) 19:06:03 ID:o7TfOr0I0
よく、幸せになりたいと言うが、幸せと不幸せの対立概念だから、幸せなろうとすると、不幸せが襲ってくる事になる。
幸せと言う概念と金持ち、結婚、悟り、地位や名誉と結び付いているから、それらの欠如が不幸せとして襲ってくる。幸せを滅却しないと不幸せも消えない事になる。
もし、この世に幸せと言う現象が無ければ、不幸せもない。順観、逆観してみる。

627避難民のマジレスさん:2017/09/24(日) 19:41:12 ID:r3AdvIzY0
>>615
>>616
鬼和尚さん、ありがとうございます。
苦の観察でも悟れるなら、とりあえず苦の観察だけを続けてみます。

そこでまた質問なのですが、私の苦の半分以上は劣等感なのですが、これも最終的には自分があるという観念から起こるということですか?

私の劣等感は、とくに誰と比べて劣っているということはないのですが、自分は劣っているという気持ちがどこかにあって、人と関わるときに苦を感じることが多いという感じのものです。
大体いつも子供の頃の経験がその苦の原因だったりするので、その記憶を思い出すと苦が減るのですが、自分があるという観念から、それが起こっていると感じたことはあまりない気がします。
劣等感が自分という観念から起きているというのは、どうしたら実感できるでしょうか?

628鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/24(日) 21:22:14 ID:1d4drIFg0
>>617 善いことじゃ。
 おぬしも本物じゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>618->>626 そうじゃ、愛と執着は違うものじゃ。
 それがわかってよかったのじゃ。
 執着しなければ苦は無いのじゃ。

>>627 そうじゃ、自分という観念から劣等感も在るじゃろう。
 劣った自分という観念があるのは自分があるからなのじゃ。
 自分の観念とは自分の名前とイメージなのじゃ。
 心の中に自分の名前や顔かたちなどのイメージがなかったら劣等感はないじゃろう。
 心の中に自分の名前やイメージがある時、劣等感もあるじゃろう。
 そのように観じてみるのじゃ。
 実はそれは劣等感でもなく恐れとか不安かも知れん。
 自らの本心を観ることで全て明らかになるじゃろう。

629541:2017/09/25(月) 07:40:05 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚、人は本心では、別に金も欲しくないし、余計なことはしたくないんですよ
ねっころがってゴロゴロしていたいのが、大多数の人の本心だし、私の本心でもあります。
猫や犬でも、腹が減ってなければ、ゴロゴロしています。人間も基本的には同じはずですが、
これ重要ですが、人間は他者と共に生きると言う側面が大きい。犬猫よりも、個体生存性が弱い。
だから、犬猫に比べると、他者の目を意識する存在と言える。本心はゴロゴロしていたいのだけど、他者に嫌われたくないから、勤勉なふりをしたり、金を稼いだり、様々な努力をする。

630そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/09/25(月) 07:48:37 ID:HSM21ZvE0
鬼和尚
思考と本心は別ですか?

631541:2017/09/25(月) 07:51:31 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚、聞いてますか?
この本心と言うのが、結構、しょうもないもので、昨日と同じようにゴロゴロできればいいやと言うのが、殆どの人間の本心なんですよ
人間と言うか殆どの動物が、本心はこんなところにあります。
本心はゴロゴロしたいのに、他人に見栄を張るために、残業して高い車を買ったり、海外旅行して、自分を納得させている。

632541:2017/09/25(月) 08:00:00 ID:o7TfOr0I0
困ったことに、他人に見栄を張りたいのも本心なんですよ。ゴロゴロしたいのも本心だし、見栄を張りたいのも本心。
だからインスタグラムでリア充アピールされると誰しも内心穏やかじゃないんだよね
だがよ、この悔しー!と言う嫉妬のエネルギーを含めて本心なのかもしれないよ。

633541:2017/09/25(月) 08:07:15 ID:o7TfOr0I0
あと、人間の本心は「死にたい」と言うこともある。人間関係で八方塞がりになると、死にたいと思うよね。
ご破算願望ね。だから本心と言っても意外とろくなもんじゃないんだよ。

634541:2017/09/25(月) 08:13:21 ID:o7TfOr0I0
しかも、本心と言うのは現状を破壊する何の力も持っていないんだよ。
むしろ、現状を強化する方向に働く事が多い。
ただ、人間には「退屈」と言う気分がある。
これが襲ってくると、人間は、「あー、彼女欲しい!」とか「仕事辞めて独立しよう!」とかマジで思う事がある。つまり一定ではない。
さっきまで「ゴロゴロしたい」だったのに「彼女欲しい」に本心が移り変わりつつあるからね。
それは、太陽の動きとか気候の変化とも関係があるよな。

635541:2017/09/25(月) 08:21:31 ID:o7TfOr0I0
これはとある哲学者の人間存在の分析だけど、まず気分がやってくる、それを退屈と認識する(了解性)そして、「あー暇だ!」と「語る」
それを受けて「彼女欲しい!」などと可能性を見て、「ナンパしにいこう」などと、己を企投する訳だ。

636541:2017/09/25(月) 08:36:07 ID:o7TfOr0I0
俺は、三島由紀夫と言う人は、全部解っていた人だと思うんだよ。
彼は仏教に対する深い理解もあったし、当時最先端だった実存哲学なども理解していたと思う。
彼の絶筆は仏教の唯識論をテーマにしている訳だからね。
何かと言うと、彼は信念に身を捧げたと言うことだよ。誰かに作られた世界観ではなくて、自分の本心からの善、或いは究極の美のために身を捧げた。全身が信念の人なんだよ。どこをとっても信念しかない。だから、異質すぎるし、どこか気持ちが悪いようにも見える。

637541:2017/09/25(月) 08:41:39 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚なども、そうじゃないですか、自分でキャラクターを作り、その通りに生きている。
一切、世間と関係していない。その自我は「他者の眼差し」から生じているのではなくて、自分の意志や信念から生じている。

638541:2017/09/25(月) 08:48:15 ID:o7TfOr0I0
三島なんかも、エネルギーがビンビンに脈打っていたでしょう。
自分でキャラ作りをしていても、がらくたの寄せ集めで、生命が備わらない場合も多い。
ちょっと、からかわれれば、その演技は瓦解して、羞恥の渦に巻き込まれる
三島は、自衛隊に野次られても、自我崩壊したわけてわはなく、ちゃんと、古式に則り、切腹までやりとげた、これは演技で出来ることではない。
世間に一切迎合せずに、しかも血の通った信念がそこにあったのだ。
「認めてクレクレちゃん」ではないのだよ。

639541:2017/09/25(月) 08:55:27 ID:o7TfOr0I0
彼らはプッと笑われたら瓦解するような自我ではない
我々の自我は、キモーイなんて言われたら直ぐに瓦解して、世間にゴマすり始める。
多分、彼らの強さは、存在に死を内包することにある。
その信念の為に死のうと深く決意する事だ。

640541:2017/09/25(月) 09:01:47 ID:o7TfOr0I0
三島の偉いのは、あれでいて、ちゃんと家庭も持っていたと言う事だ。
一説によると、三島の家庭環境は複雑で、精神医学的にはかなり病的であったとも言われる。
三島は、あのような狂気の信念を持ちながら、ごく一般の孝行息子を望む両親の要請にもこたえているのである。
完全に全てを否定して、全てをゼロから作り上げないと出来ない芸当じゃないか?

641541:2017/09/25(月) 09:17:50 ID:o7TfOr0I0
俺は、三島のその姿が、淡々と善行を施す鬼和尚と被るんだよ(笑)

さて、このスレに来る皆さんなら気が付いているように、全ては自分の思考である。
だったら何を恐れるのだ?
全ての顛末を先駆的に受け入れる生き方をしようと思う。
つまり、クーデターが成功しようが三島由紀夫は三島由紀夫として生きる事が大事だった。
そこに、世間にちやほやされたいとか、誰かを見返してやるとか、奥さんに誉められたいみたいな意識は無いわけだ。
三島由紀夫が三島由紀夫として生きて死ぬ事だけが大事だった。
そのように、一切の後悔の無い、納得ずくの生を私も生きたい。

642541:2017/09/25(月) 11:17:37 ID:o7TfOr0I0
この一連の書きこみ、自分では意識していなかったが、現代思想の根幹に関わる問いのようでもある。つまり、いかに生きるべきか問題なのだが、
かつては、宗教や親父、天皇や世間がそれを決めていた訳だが、現代ではそれらの信用が全く無い。そこで、ハイデガーなどは「本心(良心)の声に従いなさい」と言うような事を言ったわけだ。
ただ、結果、ナチズムみたいなことになってしまい、本人も晩年はぼんやりとしたことしか言わなくなってしまったようだが、三島由紀夫がハイデガーに影響されていたことはあると思う。
ただ、死の先駆性の思想が直ちに民族主義に繋がるかと言うとそうでもないと思うし、繋がっちゃ悪いのかと言う論点もある。
それは鬼和尚を見ても解るが、生きながら死人となっている鬼和尚には民族主義も何も無い。
そこは趣味の問題だろう。
私は、そこまで、民族主義は思わないが、確かに、人間は歴史性と言うものをアイデンティティの根拠にしたがる傾向はあると思う。
ただ、死は、そう言った神話やお話を否定破壊してしまう。だから趣味の問題だと思うよ。
三島が生きる舞台装置として天皇や武士道が必要だったと言うことはあると思う。

643そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/09/25(月) 18:59:12 ID:HSM21ZvE0
鬼和尚
埋もれてしまっているかもしれませんので念のため、
>>630もお願いします。

644避難民のマジレスさん:2017/09/25(月) 19:02:04 ID:ydE4b1w.0
猫や犬のような動物にも阿頼耶識は備わっていますか?

645避難民のマジレスさん:2017/09/25(月) 20:00:19 ID:VdfIeYe.0
>>628
鬼和尚さん、ありがとうございます。
心の中に自分のイメージがなければ劣等感は起こらない、という言葉はとても分かりやすいです。
ありがとうございます。

それから、劣等感ではなく恐れや不安ではないかというのは、その通りです。
私は大人になるまで安心できる場所がなく、常に不安を抱えていました。
生きるのが不安でそれをなくすために生きてきたようなものです。
人と関わっているときも、相手が不安を感じずに、自分ばかりが怯えているので自分が劣っているように感じるのです。
鬼和尚さんに指摘されて、よく考えればこれは劣等感ではなく不安や恐れなのだなと思いました。

自分が脅かされるかもしれないという不安も、心の中に自分についてのイメージがなければ起こらないということで合っていますか?
不安がない状態を求め続けてきたので、不安がない状態が可能ならば、ぜひその状態を体験したいです。

心をよく観察すれば、心の中に必ず自分についてのイメージがあるわけではなくて、それがない時もあるということでしょうか?
それを確認することができれば、不安がない状態を体験できるのでしょうか?

646541:2017/09/25(月) 20:09:07 ID:o7TfOr0I0
話は変わるが、子供の頃、極度にボケーとすることで認識のフレームを外す方法があって、それをすると世界が突然回り出すと言う現象があったのだが、似たような経験したことある?子供の頃は出来たはずだが、大人になったら出来なくなった。鬼和尚は出来る?

647鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/09/25(月) 21:27:20 ID:1d4drIFg0
>>629 ->>646 そのように考える原因を自分の心の中に探すのじゃ。
 原因がわかればそれも消えるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>630 別と言えるじゃろう。
 本心は思考することも出来るが思考そのものではないのじゃ。
 むしろ思考によって本心を隠すこともあるのじゃ。
 本心は本当に思っていることなのじゃ。

>>644 あるのじゃ。
 ものごとを認識しているからのう。
 記憶によって行いを決めてもいるのじゃ。
 
>>645 そうじゃ、自己イメージがなければ自分が脅かされると言う不安も無いじゃろう。
 その原因を追究すれば不安も無くすことができるじゃろう。
 それは親に放置されたとか孤立したとかの原因があるのじゃ。
 原因から不安がおこり、原因が無ければ不安もないと心の中に観察するのじゃ。
 そうすれば消えるじゃろう。

648541:2017/09/25(月) 22:13:31 ID:NhrNGD3M0
鬼和尚。そのように考える原因は私がそのように考えたからで、それ以外に原因は無いですよ。
そのように考えなければ、そのような観念は生まれませんが、考えたからと言って苦痛が生まれるわけではないので、特に消そうとは思いません。

649避難民のマジレスさん:2017/09/25(月) 22:24:38 ID:ydE4b1w.0
644です、そうなんですか、
猫や犬は阿頼耶識を厭離しようと思ってもやはりできないんですかね?(猫が観察するところなんて想像つきませんから)

阿頼耶識って厭離する必要のあるものであるなら、厭離しようとしてもできない彼ら動物達がかわいそうに思えてきます。


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