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鬼和尚に聞いてみるスレ part9
517
:
避難民のマジレスさん
:2017/09/07(木) 02:30:31 ID:vd1QzfGM0
>>513
509です。そうですか、一部さえ観られればそれで大悟に至れるんですね、
しかし、自分に観照が起きて、いざ認識を滅するぞ、という段階に立った際にきちんと認識を
滅するという手順を進められるか不安です。
本来は今の段階の自分がそんなこと思案する必要もないんでしょうが、、
というのも「認識を厭離する」ということが、鬼和尚の説く教えの中で今の自分自身にとっては最も想像しづらくピンと来ないプロセスなんです。
例えば、手を観察してそこから自己同一化の観念を厭離するというのはわかります、観察する対象がきちんと
目の前にありますし、そのあとの手順も、単に手を観察して観察の作用により厭離が起きればいいだけですし、
あるいは善悪の観念のような観念であっても、その観念の真偽を突き詰めていったら最終的には滅することができる、ということも学びました。
思考に対する自己同一化の厭離の手順も手を観察する際と似たようにすればいいのだろうと思います。
しかしながら、「認識を厭離させる手順」というのがどうしてもまったくピンときません、
阿頼耶識が記憶から認識するプロセスを観察する、っていったってそのプロセスは手のようにどこかにわかりやすく置いてあるわけではないじゃないですか、、
手から自我が厭離される様は無理に図として表そうとすれば脳内にイメージが浮かびますが、認識が厭離される様は手順のイメージが浮かびませんし想像もできません、
「認識のプロセスをとらえる」という様は何となく想像がつきますが、それを観察できた後にその認識するプロセスが?阿頼耶識全体が?
どんな風にどこからどこへ(どこなんていうのもたぶんないのでしょうが)どのように厭離され本来の認識が無事にそれにとって代わるようになるのかというところが
もっとも不明瞭です。
こんな状態の自分でも、いざ観照が起きて認識を滅する段階に立って認識の働きを観察することができればどうすれば認識が厭離されるか
というのは勝手にピンとくるものなのでしょうか?後から理解がついてくるようなものなのでしょうか?
観照が起こる→阿頼耶識の認識プロセスを観察できた→自分「ああ、こんな感じで厭離されるのね」→認識を厭離できた
こんな感じで簡単で自然な流れとして進むようなもんなんでしょうか?
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