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鬼和尚に聞いてみるスレ part6

638避難民のマジレスさん:2016/03/22(火) 22:48:11 ID:LC3de7YgO
>>637
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、こんばんは。

>自分を失うことの恐れや、不安
と、「無我」に至りたいという執着と、どちらが障害として大でしょうか?

639避難民のマジレスさん:2016/03/23(水) 07:05:54 ID:czRftzgI0
>>635
3つとも回答頂きありがとうございます

640避難民のマジレスさん:2016/03/23(水) 17:53:04 ID:tHj0j65Y0
>>637
もっと自分を見つめて見たいと思います。ありがとうございます。

641鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/23(水) 21:12:06 ID:9JVC/W.c0
>>638 恐れや不安のほうが大きいじゃろう。
 心に恐れや不安があれば修業も進まないものじゃ。
 無我に至りたいと思えば修業も進むのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>639 どういたしまして、またおいでなさい。

>>640 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

642避難民のマジレスさん:2016/03/24(木) 20:34:52 ID:amws/c7g0
>>637
お答えいただきありがとうございました。
ゲームに集中することは、数息観のように集中力を高める効果がある、
という理解でまちがいないでしょうか?

643避難民のマジレスさん:2016/03/24(木) 20:47:20 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚、この人生ゲームの裏技をひとつ教えてください

644鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/24(木) 21:37:22 ID:9JVC/W.c0
>>642 そうじゃ、何でも熱心にやれば集中力は高まるのじゃ。
 適当にやっていてはいかんがのう。
 集中して行えばそれが道になるのじゃ。

>>643 常に理想の自分をイメージしていればそうなるじゃろう。
 現実の失敗などで卑小な自分のイメージを思えば卑小になるのじゃ。
 理想の自分をイメージすれば理想どおりになるじゃろう。
 善いこともすると善いのじゃ。

645437:2016/03/25(金) 23:04:16 ID:LgbIm9w20
和尚さま
最近感じたのですが、禅において取り繕ろわないというのが大事だと考え至るようになったのですが
考えや感情が浮かんでも無駄な判断をせずほっとけばいい、のですかね

それによって感情や欲に善悪問わず正直になった気がします、それ以前は思考により抑えつけていたのですが、抑えつけない=取り繕わないという面もあるかもしれません

正しいんでしょうか

646避難民のマジレスさん:2016/03/25(金) 23:05:06 ID:ctbSjlxM0
なんか、欲に走るのも禁欲するのも結局同じだよね
程ほどにっていうかさ

647437:2016/03/26(土) 01:13:39 ID:LgbIm9w20
>>646
クリシュナムルティみたいになってしまうが、取り繕い=小細工は少ないほうがよいと感じました
欲に走るのは無知だが、無理に欲を押さえつけるのも無理があると。
欲に走るのも、何かからの逃避に過ぎない、それも小細工といえば小細工。禁欲も欲からの逃避で小細工。
そういった小細工を削ぎ落としていけば本心に会えるのかなと

648避難民のマジレスさん:2016/03/26(土) 14:02:12 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚は筋肉モリモリのマッチョメンだそうですが
どうやってそのような肉体を作り上げたのですか?

649避難民のマジレスさん:2016/03/26(土) 14:16:08 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚が筋トレする上で参考にした書籍を教えてください

現在も筋トレは続けているのでしょうか?であるならば、そのメニューも教えてください

650避難民のマジレスさん:2016/03/26(土) 15:27:11 ID:ctbSjlxM0
>>647
欲に走った場合の逃避は逃避したものが逃避すべきかどうかも重要そうだけどそこはどう判断する?
欲から逃避した禁欲の場合はなぜそれが向き合うべきで逃避するべきでないかどう判断する?

651避難民のマジレスさん:2016/03/26(土) 17:38:31 ID:czRftzgI0
世の中には梅田の暴走事故や理不尽な殺人事件などが絶えません。震災もそうです
和尚さんはそういうことにいちいち動じたり、同情したりしないんですよね。
それらは誰のせいでもなく全て因果により起こるただの出来事にすぎないとお考えなんですよね。
一般人がそれに可哀想だとか衝撃的だとか適当な感情を持っているに過ぎない。

という理解でいいですか?

652437:2016/03/26(土) 21:13:10 ID:LgbIm9w20
>>650
別段欲に走るのは良くもないが悪いわけでもないし、禁欲は良くもないが悪いわけでもない

ただ本心を追求する際に邪魔になるものは捨てるし、利用できるものは利用するだけです

欲には無知とか苦しみからの逃避など欲には原因があって、その原因を見破ってもないのに下手に禁欲するのは欲からの逃避に見える
しかしながら欲は少ないほうが世間では得をするでしょう

653避難民のマジレスさん:2016/03/26(土) 21:29:46 ID:ctbSjlxM0
>>652
その答え聞いてすっきりしたわ
また来るね

654鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/26(土) 21:56:21 ID:YbzAtmTM0
>>645 そうじゃ、放って置くがよいのじゃ。
 そうすれば思考や感情が自分とは関係なく、ただ続いていくものであるとわかるじゃろう。
 そのようにして進んでいくことが出来るのじゃ。

>>646 そうじゃ、中道をいくがよいのじゃ。

>>648>>649 肥田式強健術なのじゃ。
 簡易強健術を三日に一度ぐらいやれば全身筋肉もりもりになるのじゃ。
 聖中心道肥田式強健術という本がすでに著作権切れで無料でよめるのじゃ。
 検索してみるとよいのじゃ。

>>651 わしは何も思わないのじゃ。
 苦を感じるのみなのじゃ。
 おぬしの苦もわしの苦なのじゃ。
 素早く滅したらよいのじゃ。

655避難民のマジレスさん:2016/03/26(土) 23:19:02 ID:vhqXi4pM0
>>644 いつもありがとうございます。
好きなことのほうが集中できるように思えますが、
集中力を高める修行において特に数息観が推奨されるのは、
どのような理由からなのでしょうか?

656避難民のマジレスさん:2016/03/27(日) 19:42:39 ID:ctbSjlxM0
>>654
鬼ちゃんが普段実践している中道の例をひとつ挙げて町内会

657鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/27(日) 22:08:00 ID:U1gzQZlg0
>>655 それがすぐにでも捨てられるからなのじゃ。
 最後にはどのような法も捨てられなければならんのじゃ。
 あまりに好きな道であると捨てられないこともあるのじゃ。
 呼吸に集中するだけならばすぐにでも捨てられるからそれが薦められるのじゃ。

>>656 疲れた時は瞑想を休むのじゃ。
 無理にやらなくてもよいのじゃ。
 苦行ではないからのう。

658避難民のマジレスさん:2016/03/27(日) 22:30:35 ID:ctbSjlxM0
>>657
疲れたと気付かなければずっと瞑想してしまったりしちゃう?
あと瞑想ってどんなときにやるのがいいの?
効能とか知りたいな

659そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/03/28(月) 18:41:32 ID:i5hf4kqU0
鬼和尚
ときどき主体が不在になります

660避難民のマジレスさん:2016/03/28(月) 18:43:15 ID:CLvBRh020
鬼和尚さま

昔より観念の捉われや執着が減ったせいか、多少心をコントロールできるようになってきました。
ただ、心をそういうよい状態にしていても、心をそういう風に作っているだけだなとも思います。

そう思ってあえて自分の中にあるまだ捉われている観念を見ようとしたりしてますが、
そうすると気が重くなったり心が不安定になります。
苦しい反面うまくいくと観念の捉われがとれたりもするようです。

心をいい状態にして観察していくのと、苦が生じ不調になったとしてもあえて内面を見ていくのと、
どちらがよいのでしょうか。

ちなみに心をいい状態にしておくのは単にそういう風に自分の心を作ってるだけで、
とくにいいことでもないようにも思うのですが、どうなのでしょうか。
そう思って途中でやめてしまうのが問題で、心をいい状態にし続けていけば、
修行が進む部分もあるのですかね?

661避難民のマジレスさん:2016/03/28(月) 20:16:25 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんばんは。
無我というのは死んでるのと同じでありますよね。
それは小悟だけど、肉体は生きてるので、また意識が元に戻ってしまうので、更に意識をも滅尽したら大悟でありますよね!
けど、大悟しても、衆生救済の強い意思があれば、意識、意思、自我を仮設してコミュニケーションできるのでありますよね。

この衆生救済という強い目的意識は、意識を仮設するための絶対条件なのでしょうか?

衆生救済=「善」は、「不二」に反するような気がするのですが?

662避難民のマジレスさん:2016/03/28(月) 20:26:57 ID:LC3de7YgO
>>661
(´-(ェ)-`)ゞ
ちがうでありますね!「不二」も「空」と同じで、あくまでも観念を破壊するための方法論、説明方法でありますね。
・・・んんん、けど、やっぱりむずかしいであります。

663鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/28(月) 21:04:32 ID:U1gzQZlg0
>>658 疲れていなければ続けるじゃろう。
 朝起きた時とか夜寝る前にやるとよいのじゃ。
 よく眠れるようになるじゃろう。
 心が動揺しないようになるじゃろう。
 何事も集中してできるようになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>659 善いことじゃ。
 主体が無く働く心身を観るのじゃ。
 そうすれば無我に気づくじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

>>660 どちらでも構わないのじゃ。
 おぬしのやり易いほうにするのじゃ。
 そしてただひたすらに集中し、観察し続けるのじゃ。
 
 心の状態をコントロールしているとしてもそうしている事を観察しているならば問題は無いのじゃ。
 ただひたすらに集中と観察を続けるならばどのようなやり方でも悟りは向こうからやってくるじゃろう。

664鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/28(月) 21:09:32 ID:U1gzQZlg0
>>661 絶対ではないのじゃ。
 他の理由でもできるじゃろう。
 ただ単に無理に壊すことも無いから元の自我を使うものもいるじゃろう。
 
 善悪を超えて慈悲を示すのが目覚めた者なのじゃ。
 自らの手が痛ければ庇うように衆生の苦を己のものと感じる故に法を説くのじゃ。

665避難民のマジレスさん:2016/03/28(月) 21:24:27 ID:LC3de7YgO
>>664
>善悪を超えて慈悲を示す

(´・(∀)・`)/鬼和尚、ありがとうございます。

666避難民のマジレスさん:2016/03/28(月) 21:38:36 ID:CLvBRh020
>>663
やはり自分に合った方法なんですね。
いろいろやってみます。
ありがとうございました。

667避難民のマジレスさん:2016/03/28(月) 22:22:49 ID:ctbSjlxM0
>>663
集中力が身に付くのは多分いいことだねー
ムージも言ってる通り瞑想やクンダリーニ体験は悟りとは直接関係ないよね
瞑想を意味なくただひたすら続けることで副産物的に悟っちゃうことはあるかもしんないけど

668鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/29(火) 19:46:43 ID:U1gzQZlg0
>>665 どういたしまして、またおいでなさい。

>>666 そうじゃ、自分にあった方法が一番なのじゃ。
 またおいでなさい。

>>667 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

669避難民のマジレスさん:2016/03/29(火) 22:42:44 ID:ctbSjlxM0
>>668
たった1秒でそれまでの思考から自由だね
もっと進んで所謂三昧っていう境地は科学的にはセロトニンが脳内に分泌されているそうだけど、セロトニン不足の現代人云々の宣伝文句で瞑想のすすめが近年行われててこういった謳い文句で言われる瞑想の用法が正しいんだなと思ったわ
さっきテレビでやってた便秘解消の体操とかそんな感じ
アジャシャンティも師匠に何時間も瞑想するなんてやりすぎだって言われたらしいしね
で、そこで思ったんだけど、悟るためには別に瞑想じゃなくてもいいなって思ったの
鬼ちゃんがよく言ってる観察型の瞑想だけど、一見悟れそうだけどものすごい効率悪いよねあれ
悟るだけなら別に普通に生活してても変わんないよね
そこで聞きたいんだけど、鬼ちゃんがあえて瞑想を推す理由ってなんなのかな?

670避難民のマジレスさん:2016/03/30(水) 06:01:50 ID:kRDYoR0c0
めんどくさいなとかやりたくないなとか感じるのって自我なのですか?

671鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/30(水) 20:24:10 ID:U1gzQZlg0
>>669 大抵の者は瞑想をしなければ観察も出来ないからなのじゃ。
 本当は観察だけ出来ればよいのであるがのう。
 集中力の無い大抵の人間には観察も無理なのじゃ。
 
>>670 それは自我ではないのじゃ。
 それを自我と思うのが自我の観念を投射する働きなのじゃ。
 自我は観念であるから感じたり考えたり出来ないのじゃ。

672避難民のマジレスさん:2016/03/30(水) 20:49:26 ID:LC3de7YgO
>>671
>自我は観念であるから感じたり考えたり出来ない
ふむふむ、なるほどであります!
この場合、感じたり考えたりしてるのは、自我ではなく、何であると説明されるのでありましょうか?
確かに無我なら、自我はなく、自我は観念に過ぎないでありますよね。
けど、普通の人間は考えたり思ったりしてるのが自我だと考えてますので、自我は観念にすぎない(=無我)と実感できるまでは、やっぱり考えたり思ったりしてるのが、自我であると観察し続けるのが正しい観察になりますよね。
違うのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)ゞ

673避難民のマジレスさん:2016/03/30(水) 22:19:56 ID:ctbSjlxM0
>>671
やっぱそうだよね
もっと言えば観察そのものもそんなにいらないよね
人生トライ&エラーの連続だし中道を歩もうとしたらよーし今から観察するぞー!なんて言ってる暇は多分ないよね
あとは自分のルールみたいなのに従うだけかな、なんでもかんでも無分別にトライするのもあんまり賢い選択じゃない気がするし、無分別智は垣間見るだけで充分かな
空観に囚われてたら地下鉄にサリン撒いてもなんとも思わないやつになりそうだし

674避難民のマジレスさん:2016/03/30(水) 22:32:53 ID:LC3de7YgO
>>672
感じたり考えたりしてるのは、自我ではなく、何であると説明されるのでありましょうか?
という質問は無意味でありました。
→主体も思考も感覚も全て観念。実体はない。
思いも思考も全て儚い幻想(=観念)。その幻想を思い描いている主体と感じてるものも幻想。
幻想の主体が幻想を抱いているとしか説明しようがないでありましょう。
(-(ェ)-)

675避難民のマジレスさん:2016/03/30(水) 23:43:35 ID:/XPB6Dr60
>>657ご教授ありがとうございました。
執着は、抗しがたく無意識的に対象に意識を置くことで、
集中は、意識的に対象に意識を置くことである、
と言葉を定義した場合、
執着と集中は、心の状態としては同じものを指しますか?
同じであるならば、執着を強めることは、集中力を高めることになりますか?

676437:2016/03/31(木) 08:26:14 ID:LgbIm9w20
最近試行錯誤しておりまして、マハルシのように己(真我)を追求するアプローチの場合は、
真我が思考、感覚、記憶、観念等が存在しない場合真我が成り立つのか成り立たないのか、真我にとってそれらが必要か必要ないのか、問い続けた際にだいぶ我見が破壊できたようです。

しかしながら、真我を問うことは方便的なものなので、最終的にはこれらの問いを破棄する必要がありますよね。

しかしながら集中が弱いようです(T-T)
マハルシ自体は集中の訓練はかなり積んでるようです。精進します。

677避難民のマジレスさん:2016/03/31(木) 11:18:40 ID:uGIhZuLw0
和尚さま

>自我は観念であるから感じたり考えたり出来ないのじゃ。

人から文句を言われてイラッとした時のことを観察していると、どうも相手の言葉は間接的で、
直接的な原因は体内のエネルギー変化にあると思いました。

例えば、誰かに「このバカ」と言われたとした場合、
肉体は臨戦態勢に入り身を守るために血流を変化させて、
その変化にリンクした感情がポップするという具合ですが、

観念は感じたり考えたりできないということを考えると、
臨戦態勢に入った時点ですでに投射してしまっているということでしょうか。

私は今まで感情に呑まれている状態が自我の投射だと思っていたわけですが、
イラッとする反応はずいぶん後の結果にすぎないことを考えると、
投射自体は「このバカ」と言われた刹那後に起こってしまっているということでしょうか。

678437:2016/03/31(木) 19:41:05 ID:LgbIm9w20
肉体が己の境界となっている観念を破壊するために、肉体が己でも己でないわけでもなく、肉体の外で広がる空間が己でも己でないわけでもないと問いたところ、己の境界が広がり、
周りの空間も己のように感じられました。この感覚も厳密には己ではないのですが。

679鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/31(木) 20:47:36 ID:U1gzQZlg0
>>672>>674 それはただ肉体の機能なのじゃ。
 主体も無く働くものなのじゃ。

 観察はどのような予測も無く、今ここにあるものをただありのままに観ることだけを心がけるのみなのじゃ。
 自我があるとかないとかも思うべきではないのじゃ。

>>673 そうじゃ、気づくことが必要なのじゃ。
  そのために観察が必要であり、集中も必要になるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>675 同じではないのじゃ。
 執着は連想によって苦をもたらすものじゃ。
 一つのものに集中していないのじゃ。
 執着を高めれば苦もまた高まるじゃろう。

680鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/31(木) 20:51:28 ID:U1gzQZlg0
>>676 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>677 そうじゃ、反応があれば既に投射は起こっているのじゃ。
 自分が傷ついたとか認識しているからのう。
 認識の働きは非常に素早いから観察するのは困難なのじゃ。
 それを捉えるために精進あるのみなのじゃ。

>>678 そうじゃ、それも己ではないのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

681避難民のマジレスさん:2016/03/31(木) 22:03:31 ID:LC3de7YgO
>>679
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、ありがとうございます。
>自我があるとかないとかも思うべきではない
←意識に浮かぶ思考感情の内容ではなく、浮かんでいる思考感情を認識してるのは誰だ?と思考しているその主体を観察してしまうので、堂々巡りになってしまいます?
堂々巡りしないようにするためには、取敢ず、自我があるとかないとかも思わないようにした方が先に進みやすいでありましょうか?

682避難民のマジレスさん:2016/03/31(木) 22:19:52 ID:ctbSjlxM0
>>679
目的意識を持って取り組むのがいいよね、何事も
またなんかあったらよろしくたのんます

683避難民のマジレスさん:2016/04/01(金) 11:44:21 ID:uGIhZuLw0
>>680
ありがとうございます。

むかしバイクで転んだ時に、ものすごく時間の流れがスローになった経験があるのですが、
もし集中でそういった状態が作りだせれば刹那の間を見ることができそうですね。
より精進いたします。

あと>>611の後日談ですが、
胎嚢はあるものの成長が見られなかったために流すことになりました。
時期的によくあることらしいのですが、残念でもあり、どことなくほっとしたのもありで、
何やら複雑な心境のなか、今までの生活に戻りつつあります。

あまり状況に振り回されていないと思っていたのですが、
終わってみると疲れが出たことを考えると、やはり変化に翻弄されていたようです。
まだまだ修行が足りないと気づかされました。

ありがとうございました。

684避難民のマジレスさん:2016/04/01(金) 19:19:23 ID:dvUg9tcM0
>>679
集中力を高めるには、受動的な集中ではだめで、
能動的な集中が必要であると理解しました。
ありがとうございました。

685鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/01(金) 22:30:48 ID:Cq5G0wEA0
>>681 そのように堂々巡りを観ているものをみるのじゃ。
 堂々巡りをしているとわかるということはそれを見ているものがあるからなのじゃ。
 それを認識しているものこそ観るべきなのじゃ。
 自我の有無も忘れてそこにあるものを観るのじゃ。
 そうすれば進むじゃろう。

>>682 どういたしまして、またおいでなさい。

>>682 残念なことじゃ。
 それにもめげず精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>684 どういたしまして、またおいでなさい。

686避難民のマジレスさん:2016/04/01(金) 23:18:40 ID:LC3de7YgO
>>685
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、ありがとうございます。
>堂々巡りをしているとわかるということはそれを見ているものがあるからなのじゃ。
 それを認識しているものこそ観るべきなのじゃ。
 自我の有無も忘れてそこにあるものを観るのじゃ。
 そうすれば進むじゃろう。

←思考や感情が浮かんだ瞬間にそれを見ている「もの」、認識している「もの」があると意識したとたんに、記憶に照合され、それが「自我」であるという観念に置き換えられてしまうのであります。

けど、記憶にもとづく解釈の加えられていない認識というものが成立することは間違いないはずだと思うので、「止観」により、思考や感情のコントロルが更に上達すれば、堂々巡りを見ている意識そのものになれるのかなと期待してるであります。

そのときに自我の有無を忘れていられれば、それがサマディであり、そこから自我が生じる場面を目撃できれは観照がおこり、無我の実感を得られるのでありましょう。

頑張ります!

687437:2016/04/02(土) 02:40:15 ID:LgbIm9w20
>>685
知り合いの友人が新興宗教の仏教に入団しており、なんだか金でご本尊が頂けるとか霊能力で人集めをしているような所です。

そのような人に釈迦の叡知を紹介したいものですが、神秘的なものが人生において役に立たないというような釈迦の言葉が記憶にありまして、文献や本文を探しており、お力をお借りしたく思います。
またそういった教団に囚われた方を導くような如来の叡知を是非お願いします。

688避難民のマジレスさん:2016/04/02(土) 07:02:28 ID:ctbSjlxM0
錯覚でも救われたと思うことは人間の精神衛生に大きく影響するからなぁ
君が彼(彼女?)の光になれとまでは言わないけどそれぐらいのことがないと離れられないんじゃないかな
釈尊の言葉で言うと迷いや妄想を捨てろなんてよく言うけど神秘体験とか誰かの意見に依存しちゃったりする人がそれを離れるなんて力業ではとてもじゃないけど普通の人には無理だしプロのカウンセラーでも手を焼く部分だから素人が聞きかじりの小手先テクで何かするのは逆効果になっちゃうこともある
なんでかっていうと、例えばあなたがものすごいもっともらしいことを言ったとして、そのことを宗教団体の人に聞いてまた別のもっともらしい答えをもらって勝手に安心して「悪い友人とは付き合わないように」みたいなこれまたもっともらしいことを言われてあなたと会ってくれなくなる可能性もある
大事なのは言葉じゃなくて気持ちと力量だし、もしその人のことを本当に思うんなら相応の心理カウンセラーを探して慎重にやった方が絶対いいよ
その知り合いがどういう経緯と心理で宗教やり始めたかなんて表向きの理由以外にもいろいろあるだろうしな

689437:2016/04/02(土) 11:03:20 ID:LgbIm9w20
>>688
冷静な意見をありがとうございます
まずは、その方の心の問題を調べてから、慎重な態度で臨みたいと思います

690避難民のマジレスさん:2016/04/02(土) 12:34:37 ID:ctbSjlxM0
>>689
ちなみにその新興宗教ってどこよ?
個人的に新興宗教っていう言い方はどの宗教だって最初は新興宗教だから新興じゃないのはまともだっていう意味合いが含まれててあんまり好きじゃないんだけど、創価ならうちの親が創価だからよく使う決まり文句とか知ってるからどういうこと言われるんかなーみたいなのはわかるよ
言う側のほとんどは悟ってないやつだから悪意とかじゃなくむしろ善意で言ってたりするから逆に言えば論理の穴は比較的突きやすいけど悟った超悪人とかに出会ったら最悪、泥沼必至だから個人でどうこうできるレベルじゃなくなるかもな
俺も統一教会とかモルモン教の人に勧誘されたことあるけど、結局全部仏教系なら仏教、キリスト教系ならキリスト教のそれぞれ始祖の言ったこと言ってないこととそれに対する自分達の解釈を入れて新しい宗教作りましたって言ってるだけで、まあ厳密に言えば違うけど時代の風潮とかで変わってる流行りみたいなもんの違いで宗派とか言ってるんよな
で、その知人さんはそのどっかの宗教団体の人の意見にどういうわけか賛同して宗教をやることに何かメリットを感じたわけだ
だからそういった宗教やりだすまでの団体の人達との会話の内容とかから動機の部分の心理を掘り返していけば知人さんの胸の内もわかるかもな

691避難民のマジレスさん:2016/04/02(土) 12:47:06 ID:ctbSjlxM0
2行目の「だから」は「だし」にした方がよかったな
そこ訂正

692437:2016/04/02(土) 13:11:19 ID:LgbIm9w20
>>690
ぼかしますが、霊友会から分裂したところです。法華系です。
とりあえず知り合いに探りを入れさせときます。

693避難民のマジレスさん:2016/04/02(土) 14:02:37 ID:ctbSjlxM0
>>692
それってぼかせてるんですかね・・・ww
まあその人には死んだ人より生きてる人を信じて欲しいかな

694鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/02(土) 20:06:52 ID:Cq5G0wEA0
>>686 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>687 ダンマパダを何度も読み聞かせるとよいのじゃ。
 自らの善事と心を整えることで福楽は訪れると説いているのじゃ。
 真のお釈迦様の言葉によって嘘がわかるようになるじゃろう。
 実践してみるのじゃ。

695437:2016/04/03(日) 09:06:15 ID:LgbIm9w20
>>694
ありがとうございました。
ダンマパダを見れば納得されるかと思います。そのような経典があるのに、仏教系新興宗教が蔓延っているというのがこちらにとっては謎です。

696避難民のマジレスさん:2016/04/03(日) 15:03:58 ID:ctbSjlxM0
ちょっと思ったけどなるだけ効率よく悟るためにはできるだけしっかりしたマニフェストでかつできるだけあほらしい宗教を知った方がいいかもな
いくら悟ったって結局は人間であってその人そのものであるしかないし、悟ることとその他の能力の相関性なんてないと言っていいほどのものだから、神秀の北宗禅が廃れて慧能の南宗禅が生き残ったのも慧能が五祖のお気に入りなだけの知識もなんにもない人だったからなんだろうな、その方が簡単に悟れちゃうし
そこで釈迦の言葉をどう見ていけばいいかって話になるけど、捕らえておくべきエッセンスは初転法輪で語ったことで、あとの言葉はそれを踏まえて解釈すればいいんじゃないかなぁ
個人的にお釈迦さんは基本的に正確じゃないことが存在してることが気になって仕方ない人なんだろうなって思うわ
結局自分以外のことは正確に知れないし、だから女性用の指導者を育成したんだろうな
単純に色恋沙汰は集団を乱しちゃうって意味もあっただろうけど・・・
ただ俺はただ読み聞かせるだけなんて相手のことを考えてない乱暴な行為だなとは思うな
その人が何を求めてるかとか一切無視してるし

697鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/03(日) 20:12:28 ID:Cq5G0wEA0
>>695 そのようなカルトは正しい教えを遮断して、自分達のカルト教義だけを大量に教えて洗脳するのじゃ。
 比較するものが無いからそれだけを信じてしまうのじゃ。
 正しい教えを何度も聞かせれば教えられたことが間違っていたとわかるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

698避難民のマジレスさん:2016/04/03(日) 21:22:13 ID:ctbSjlxM0
まあ釈迦教団も今も続くインド社会における伝統的なカースト制度にとってカルト的集団だったわけだけどな、現代の日本ではどうなんだろうか
もっとも、ここなんかは正に遮断された自分の教えだけを説く場所に思えるわけだが

699437:2016/04/03(日) 21:42:42 ID:LgbIm9w20
>>697
>>698
私は宗教的な熱意とかではなく、釈尊の叡知が必要だと思うから学んでいるものです
たとえば切れ味の違う2つの包丁があって、実際に物を切ってを試せば、どちらの包丁が鋭いかというのは明らかになるものです
しかしながらナマクラの包丁を選ぶ人があってもそれはそれで良いのです
教団をやめるにしてもやめないにしても、釈尊の智恵を選んだ人生でいかしてもらえれば良いと思います。
お二人にはお世話になりました。
ありがとうございました。

700437:2016/04/04(月) 01:24:46 ID:LgbIm9w20
>>699
選んだ×
ご自身が選んだ人生で○
でした

最近知ったのですが山岡鉄舟はもちろん、楠正成、西郷隆盛が禅師に教えを乞い、西郷隆盛に至っては悟っただの聞きました。
禅を通して無心の追求していたようです

701避難民のマジレスさん:2016/04/04(月) 14:32:28 ID:ctbSjlxM0
>>699
釈尊はえらいよ
普通の人じゃ経験しないような苦行をやって悟ったから衝撃が強すぎて厭世観も強くなって自殺しようとしたけど世界をよく見てるうちに自分の気付いたことや考えてることを理解してくれる人もわずかながらいるってことに希望を見出だしたから今こうやって俺らは悟りがどうとか話せるわけだ
一見説法に見える言葉でもどこか自分と同じように考えてる人を探すような探りを入れる言葉がいっぱいあるし、孤独感や喪失感みたいな感情を強く感じてた人なんじゃないかぁ、ゴータマ・シッダールタって人物は
大乗仏教経典の半数以上は釈尊が直接語った言葉ではないと文献学的には見られてるけど、偽物と疑われてる経典はみんな釈尊にちょっと意地の悪いセリフを言わせて悟り方を悪くさせちゃってるんよな、つまり偽物でも悟れるんよな
これはあなたの言う通り、悟るかどうかで見ればどんな包丁を選ぶかより実際に包丁を使うことが一番近道だけど、釈尊みたいに王子としての生活を捨ててまでやる必要があるかどうかは正直わからんが、釈尊も一度は捨てた王子の立場だけど、悟って教えを広めていく上で王子という立場がおおいに生きた場面が多々あったみたいだし、結局彼にしかない徳があったのは間違いないな、徳なんて言うとなんか誤解されそうだけど
だからもし霊友会系の団体に入りそうな知人さんがもしそのままどっぷりはまっちゃったらはまっちゃったで後で何か気付いたときにそれまでの培った過去を何かに利用できる可能性があるし、死ぬほど後悔しちゃうかもしれないけどさ、多分死ぬときに味わう苦しみ以上に苦しいことなんて人間としては体験できないよ
俺も死ぬために身辺整理をし始めたことがあってさ、死ぬために必要な知識を集めたりいざ実行に移し始めたときにこれまで体験したことのない武者震いが意図せず起こって来てさ、人間って死を目の前にしたらあんな風になっちゃうんだって自分でも驚いたわ
話は逸れたけど、宗教はよほど特別な理由がない限りはやらないに越したことはないと思うな
適当に知識として経の内容とかを知っとくだけで充分だし知らなくても幸せに生きていくことはできるしな
人間はただ個々それぞれの生き方を見つけていくだけだし、それが中道ってやつなんだろうな、別にそれに囚われる必要もないけど俺個人としてはそれが生き方であって自分が生きやすくなるための自分専用のルールだからそれに従うだけ
不幸感は他者やなるべきだった理想の自分と比較したとき起こることは近年心理学的にわかってきてるみたいだけど、自分がマラソンランナーとして走ってるとして、その途中でギャラリーを見てみたらありがたみもなさそうにスポーツドリンクを飲むおばさんとか野次馬的に見に来たのであろう頭の悪そうなカップルがクソみたいな会話をしてるのが聞こえてきたりしても自分はただゴールに向かって自分のペースを乱さず走り切るのが大切なんだよな、きっと
俺も今だからこうやって言えるけど雑音に惑わされて取り返しのつかないことを何回もしたし、そのことを今でも嫌でも思い出しちゃうから苦しいけど対処法がわかったらそこまででもなくなったな
こうやって誰かに自分の考えを吐き出すのも対処法のひとつだし、みんなそうやって自分のペースで生きていければいいなって思ってる

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703鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/04(月) 20:50:33 ID:odp9PAp.0
>>699 どういたしまして、またおいでなさい。

704避難民のマジレスさん:2016/04/05(火) 12:44:04 ID:1/XG4j0Q0
鬼和尚、
思考の観察について、以前
> 642 :自在:2007/03/06(火) 21:38:28 ID:mX2dh3RZ

> 思考の対象、思考という行為、思考する主体を見る。
> それがどこから起きて、どのような作用を及ぼすのか、詳細に見つづけて欲しい。

と書かれておりましたが、対象、行為、主体について少し詳しくお教えください。
ここでの対象というのは思考に用いられる言葉やイメージのことでしょうか?

例えば、車を見て記憶から「車」のイメージと言葉が投射され、そこから「大きい」のように思考につながっていったとします。
縁起で観ていくと、例えば「車」という対象→「車という思考」の行為→「車を思考する主体」というように観られたとします。
すると最初の対象はすぐに消え去って、次の「大きい」が現れると思いますが、このように変化する思考の言葉やイメージを対象と言って良いのでしょうか?
またこの際の観察は対象に加えて、行為、主体も同時に眺めるようにするということでしょうか?

未だこれらが明確・詳細には観られないのですが、それは集中力が足りないせいでしょうか? 他に可能性はありますか?

705鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/05(火) 21:25:11 ID:odp9PAp.0
>>704 そうじゃ、言葉やイメージなのじゃ。
  その場合は思考の対象は車だけなのじゃ。
 大きいとかは車の属性なのじゃ。
 それもまた思考の移り変わりとして観察すべきであるがのう。
 
 できれば同時に見るべきなのじゃ。
 慣れないうちは一つずつ見るのじゃ。
 やがて同時に観られるようになるじゃろう。
 集中力よりも慣れが必要なのじゃ。
 何度も行って慣れればできるようになるのじゃ。
 一つのものについて観察できるようになれば、全てについて観察できるようになるのじゃ。
 そうすれば思考から抜け出し、主体にいたる認識をも観察できるようになるのじゃ。

706437:2016/04/06(水) 07:23:37 ID:LgbIm9w20
和尚さま
だいぶ観念を空観できるようになりましたが、消えたということに観念に気づけていませんでした。

707鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/06(水) 19:55:31 ID:odp9PAp.0
>>706 善かったのじゃ。
 それにも気づいて進歩したのじゃ。 
 観念の空を心の中に実現できたならば、もはやいずれの観念も厭離できるのじゃ。
 全ての観念を滅して更に進むのじゃ。

708避難民のマジレスさん:2016/04/06(水) 23:02:44 ID:fh1xHhCM0
罪の定義ってなんだろう?
罪なやつっていう日本語があるけど誰かが悲しんだら無条件でその行為や状態は罪なんだろうか

709避難民のマジレスさん:2016/04/07(木) 12:57:52 ID:1sAvBPl20
>>705
ありがとうございます。
まずは、思考の対象、行為、主体のうちの見やすいものを確実に観察できるようにすれば、他の2つも観察できるということでしょうか?
もしそうでしたら、対象は再確認しないと混乱しやすい上に思考そのものに同化してしまいやすく、主体は見失い易いので、まずは思考の行為を確実に観察することに励もうと思います。

710避難民のマジレスさん:2016/04/07(木) 14:34:49 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚、よろしくお願いします
死んで涅槃に入っても自らの意思で悟りを捨てて迷いの世界に戻ることはできるのでしょうか?

711鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/07(木) 20:32:08 ID:odp9PAp.0
>>708 それはおぬしの知恵が決めるのじゃ。
 寝る寸前とか起きた時などに無我の知恵があるのじゃ。
 それが自らの行為を罪であったか決めるじゃろう。

>>709 すぐに出来るということではないのじゃ。
 一つずつ集中して観察していけばできるようになるのじゃ。
 そのように観察してよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>710 出来るじゃろう。
 輪廻も慣習による依存が原因であるからのう。
 依存を作り出すことも出来るのじゃ。
 放って置くと涅槃に入ってしまうがのう。

712708:2016/04/07(木) 21:05:10 ID:Aja.e4x.0
>>711
小悟しました

713708:2016/04/07(木) 21:09:49 ID:OS8ljpdM0
あと>>710への回答で大悟したかも

714避難民のマジレスさん:2016/04/08(金) 05:12:58 ID:V7QCtwwo0
>>711
ありがとうございます

715437:2016/04/08(金) 07:55:40 ID:LgbIm9w20
和尚さま
私は足が固いので正座で座行をやっているのですが、座法を工夫してみたところ丹田に結構な熱が発生するようになりました

716避難民のマジレスさん:2016/04/08(金) 18:07:27 ID:1sAvBPl20
>>711
思考自体も以前は観察できるとは思っていませんでした。
思考の対象・行為・主体についても観察されるまで、一つずつ集中して観察することに励みます。
ありがとうございました。

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/08(金) 21:41:45 ID:odp9PAp.0
>>712 小五じゃな。

>>713 小六じゃな。

>>714 どういたしまして、またおいでなさい。

>>715 善かったのじゃ。
 そのような座法が善いのじゃ。
 やがて気が上昇し頭に入るじゃろう。
 姿勢が正しければそのままサマーディに入れるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>716 そうじゃ、実践する者だけが進んでいくのじゃ。
 またおいでなさい。

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719避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 07:07:38 ID:iS4rUsHU0
空を感得する方法では、
1.このリンゴは空であり、有るものでも、無いものでもない。
2.このリンゴはリンゴではない、それ故にリンゴと呼ばれる。
とひたすら唱えるとよいとのことですが、どちらも同様の効果が得られますか?
もっともよい念じ方を教えて下さい。

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727そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/04/09(土) 11:55:13 ID:AnIFs9Ws0
鬼和尚
ときどき身体が動きを止めてしまいます。
仕事中とかトイレで便座に座った時とか。
これを書いている時もときどき止まりました。
眠いとか何もする気力がないというわけでもないです。
言葉には表せません。
心の動きが止まっているのでしょうか。
元に戻る意志を起こすとまた動き始めます。
止まったまま放っておくとどうなるのでしょうか。

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729避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 15:18:19 ID:czRftzgI0
和尚さんは家にテレビとラジオを置いてますか?
テレビはどんな番組を見ますか?

730避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 18:21:30 ID:czRftzgI0
というのも、近年芸能情報番組と犯罪特集のような番組を見るのが嫌になりました
ニュースと教養番組以外はなるべく見ないようにしています
これは健全なことだと思っていいですか

731鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/09(土) 20:22:40 ID:h2JSXckE0
>>718  精進あるのみなのじゃ。

>>727 集中力が身について心が止まってきたのじゃな。
 そのような不意な集中の時にこそ自我も見られたりするのじゃ。
 止まったままにしていてもいずれ動くじゃろう。
 集中力がつよくなれば何時間もサマーディに入ったままになるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>729 テレビはあるがもう見ていないのじゃ。

>>730 それでよいのじゃ。
 余計な情報はいらないのじゃ。
 自分について知るほうが大事なのじゃ。
 自分を知れば全てを知ることになるのじゃ。

732708:2016/04/09(土) 21:20:46 ID:L8qAYQbY0
>>731
だな
まだくたばってられる暇なんかないわ

733避難民のマジレスさん:2016/04/09(土) 21:54:16 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんばんは。
無我の実感を得るとは、身体(脳)の機能としての思考、感情、感覚等が消えてなくなるということではなく、それらの「主体」が存在しないと言うことに気付けば良のでありますよね。
無我を実感し得たとしても、記憶喪失になるわけでも、感覚が麻痺するわけでも、思考できなくなるわけでもなく、
自分の思考、感情、感覚等の、「自分の」の部分がなくなるだけという理解で良いのでありましょうか?

734437:2016/04/09(土) 22:05:55 ID:LgbIm9w20
私としては無我はゲシュタルト崩壊みたいなものだと思う
五感と認識は存在するが、そこから生まれる全体性すなわち我という観念が消えるのではないかと思う

735708:2016/04/09(土) 22:30:02 ID:JgYDzCzQ0
>>734
そうそうゲシュタルト崩壊だよ
それが多分小悟って言われてるやつだと思う
大悟はゲシュタルトよりもっと大きいというか根本的なことだな

736避難民のマジレスさん:2016/04/10(日) 13:17:05 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、こんな↓理解でもよいのでしょうか?

日常意識的にあり続けようとしても、ついつい無意識にいろんな事をしてるのであります。
てか、できちゃうんであります。
思考する時、感じる時も同じなのであります。
意識的に課題に取り組むこともできますが、無意識の反応として多くの課題を処理したり、バカにされたら反応として怒ったりしてるのであります。
で、「苦」に繋がるような怒りとか不安といった感情や思考に囚われたとき、それが「自分の」怒りであり不安であると意識されるのであります。
日常無意識にできちゃう事も、それは当然「自分が」してるのであって、無意識にしたことも責任は当然「自分に」あるのであります。
ここで、私がほざきたいのは、個体としての責任の有無の問題ではなく、
私の行動、私の思考、私の感情、というように「私の」と意識されずに行動、思考、感情が「生じている」という経験的な事実なのであります。
それらの思考、感情等の「観念」は必ずしも主体という「観念」がなくても生じるような気がするのであります。
で、ありますから「主体」という観念なく生じる思考、感情という観念を「意識」がとらえられるように励めば良いのではないかと思うのであります。
気がしたり、思ったりしてる頑固な自我ののうがきであります。
「無我」の実感とは程遠いのでありますが、
>無我なるものは、わが所有にあらず、わが我にあらず、またわが本体にもあらず。まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよい。(南伝相応部経典22-15)
ということを、言葉として理解するヒントくらいにはなるのではないかと愚考するのであります。

737鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/04/10(日) 21:06:04 ID:4U82HgLs0
>>732 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

>>733>>736>>734>>735 そのような理解でよいのじゃ。
 かなり正確にわかっているのじゃ。
 後は実践によって証明するのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。


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