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鬼和尚に聞いてみるスレ part4

1sage:2014/08/05(火) 19:29:50 ID:QMklRI/Y0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/

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3鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/06(水) 21:29:21 ID:So.nkkeg0
>>1 ご苦労さんじゃ。

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5避難民のマジレスさん:2014/08/07(木) 20:31:27 ID:S7GXV4tc0
鬼和尚様は
自由意志はあると見ていますか?ないと見ていますか?

6鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/07(木) 21:53:21 ID:jnAYB4oE0
>>5 普通の者でも自由意志は少しはあるじゃろう。
 習慣や不安や恐怖から少しだけ解放されて、真実を求めようとする心境もあるからのう。
 昆虫には殆ど無いのじゃ。
 動物にも僅かにあるのじゃ。
 己と言う謬見が無ければ全てが自由な意志になるのじゃ。

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8そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/08/08(金) 00:29:07 ID:QMklRI/Y0
偽和尚

文字化けして失敗したスレの削除よろしくお願いします。
お手数をおかけして申し訳ありません。

そのスレは、専ブラからスレ立したのですが、しばらく表示に反映されず、
出来なかったと思って、次にウエブブラウザからスレ立てしたら、このスレができました。
その後、文字化けしたスレができていたのがわかりました。

9偽和尚★:2014/08/08(金) 09:26:59 ID:???0
>>8
削除しました。

10避難民のマジレスさん:2014/08/08(金) 17:13:51 ID:wH0JIS760
鬼和尚、
思考、感情、意志は観察できるようになってきているのですが、自我の観察がなかなかうまくできません。

日常では自分が自分だと感じる感覚に気をつけるようにしています。
瞑想中は、阿頼耶識に同調して縁起によって起こる心の働きを観察するようにしているのですが、なかなか自分だと感じる感覚が生ずる瞬間を捉えることができません。

もし、以上の方法が間違っていたら、ご指摘ください。
方法が正しく、精進が足りないのでしたら、さらに励みます。
また、注意点などがありましたら、お教えください。

11そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/08/08(金) 19:44:26 ID:QMklRI/Y0
>>9
偽和尚、ありがとうございました。

12避難民のマジレスさん:2014/08/08(金) 20:40:11 ID:nLaH1F/E0
このような専用スレがあったとは……初めからこのスレに来ていればよかった……

早速質問です

理屈は正しく聞こえるけども、理屈にどれほどの信心(信仰心とも言うけど)が置けるというのか
人間、命の危機に迫ったら理屈なんぞ消し飛んで神様仏様と縋りつくのが関の山じゃないか
理屈なくては語れないこともあるので、理屈も必要ではあるだろうけど、第一位に置けるような理屈はないだろう
という内容を経まして質問です

理屈から離れなければ真理には近づけないのでしょうかね?

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14鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/08(金) 21:52:02 ID:jnAYB4oE0
>>10 その観察しようとしている者を観るのじゃ。
 観察の主体と認識され、観察する瞬間に起こるものが自我なのじゃ。
 自分の名前やイメージを思い浮かべると起こる心の働きも観るのじゃ。
 心に恐れや不安が無ければ観るのは容易なのじゃ。

>>12 理屈はものごとを解釈し、言葉にして伝えるためにあるものじゃ。
 それで真理を知ろうとするのは、石の重さを測るのに定規を使うようなものじゃ。
 苦を滅する真理とは無関係なのじゃ。
 それを伝える道具でしかないからのう。
 使いたければ使っても良いが、真理を知るとかそのような目的には使えないという事なのじゃ。

15避難民のマジレスさん:2014/08/08(金) 22:20:53 ID:nLaH1F/E0
>>14
やはり理屈は説明用ですよね。言葉にした時点でどうしても真実がそのまま伝わるとも限りませんが……
理屈を離れた方がいいというよりは、単純に理屈から真理を求めることはあまりに難しいと思っておくくらいがいいわけですね
あまり執着してしまうとかえって苦になるかもしれませんし……。どうもありがとうございます

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17避難民のマジレスさん:2014/08/09(土) 12:17:47 ID:cUE805gA0
和尚こんにちは。

和尚に限らず、観察者を観るとか、観察しようとしているそれに気づくとかいう言葉をよく聞くのですが、
これはあえて意識しなければ気づけないものなのでしょうか。

それとも瞑想で無ぅー無ぅーとやっていれば、意識しなくてもどこからともなくポンっと気づけるものなのでしょうか。

18避難民のマジレスさん:2014/08/09(土) 14:08:23 ID:78v6sTOE0
>>14 ありがとうございます。
観察しようとしている者を観ようとする場合、観察者として主体が認識される前から観るのですよね。
観察しようと言う意志が生じるためか、観察の主体が既に認識されていてしまい、主体が認識される瞬間と自我が投射される瞬間を観ることができませんでした。
もし何かコツのようなものがありましたら、お教えください。

また、自分の名前とイメージを思い浮かべるのも実践してみました。
他のものの名前を思い浮かべると、それに付随したイメージが想起されるのと同様に、自分の名前でも、自分のイメージが想起されるのが興味深かったです。
このように想起される自分のイメージが主体に投射されると、投射された対象が自分だと感じるという認識が生じるのでしょうか?
主体はあっても、自分のイメージがが投射されていない状態というのもありますか?ho

19鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/09(土) 21:25:31 ID:n9XTIs/20
>>15 そうじゃ、実践が全てなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>17 それは方法が違うだけなのじゃ。
 観察によって気付くならば意識しなければいかんのじゃ。

 集中によって気付くならば集中していて気付く事を目指すのじゃ。
 これは偶然に頼る者であるから才能と運が無ければいつまでも悟れないのじゃ。

 集中し、観察を行う止観が近道といえるのじゃ。

>>18 それにはこつというより基本的な集中力と観察力が必要なのじゃ。
 日々の修行の積み重ねで集中力と観察力を磨くのじゃ。
 更に常日頃から自分とか、自我を意識して観ようとすれば、観易くなるじゃろう。 
 何かをしようとすると自分がしようとしていると認識が起こるのを意識しながら生活するのじゃ。

 そうじゃ、名前とイメージを互いに想起させるのが認識なのじゃ。
 言葉とイメージによる観念である自我が、主体として投射されるのじゃ。
 本来主体は無いが、言葉とイメージによる観念である自我が、身心に投射されて主体として認識されるのじゃ。
 主体もただ認識され、記憶されていただけのものなのじゃ。

20避難民のマジレスさん:2014/08/09(土) 22:27:12 ID:cUE805gA0
返答ありがとうございます。もう少しよろしいでしょうか。

>集中→観察が近道
 この集中というレベルがどの程度必要なのかがよくわかりません。
 アナパナ瞑想とかだと1段階目でジャーナに入ってから、次に観察に入るようですが、
 やはりジャーナを得るほどの集中力が必要になるということでしょうか。
 
 また「思考では決してそれに気づけない」という話も聞きます。であるなら、
 「集中して観る」+「気づこうとする意識を働かせる行為」と、
 「集中して観る」+「気づこうとする思考に飲まれる状態」との違いがよくわかりません。
 この場合でいう意識とは、感覚的なもの、という感じなのでしょうか?

>これは偶然に頼る者 
 よく「思考をとめてここに留まりなさい」とか「感覚して居続けるように、そしたら向こうから訪れてくれます」とか聞きますが、
 これらの方法は和尚の言う偶然に頼るものとなるのでしょうか?

21避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 08:23:33 ID:WL2yRwjAO
昨日から酷い歯痛に苦しんでいるのですが
眠りに入ると全く痛みが消えてしまいます。
覚醒した直後二分くらいも痛みがなく
暫くすると痛みがやってきます。
何度も繰り返し観察しましたが、やはり痛みは意識が眠りの世界に行っている時は全く痛くないです。
マハリシが土倉のようなところで座禅をしていて腿を蠍(さそり)に食われても気がつかなくて重傷を負ってたと言う話しも、瞑想中で痛みが飛んでいたのだろうし、
脚が腐っても座禅していた達磨大師の逸話もそうなのでしょう
脳科学は瞑想中は快楽ホルモンが出るから痛みが消えるのだと説明しますが、
実際はどうなのでしょう

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23避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 14:05:25 ID:F3Uh0Ekk0
>>19
さらに集中と観察、そして自己の追求につとめ励みます。
ありがとうございました。

24そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/08/10(日) 17:08:33 ID:qZkkA0bk0
鬼和尚
何かが起こって、それに対して自分が何かを思考したり感情(激しい怒り)がわき上がり、
それが止まらずどうしようもなくなったとき、
その思考や感情を「まぁ、いいか」と、スルーしてきたのですが、
実はそれはスルーではなくて、真実を見えなくさせるための逃避であったように思います。
囚われがなくてスルーできていたのではなくて、隠蔽していただけです。
隠蔽されたけれども、無くなったわけではないので、何か適当なきっかけでまた出てくるのだと思います。
観察によってそれがそれがわかった気がします。
己自身がまことに巧みに目をそらしていました。

ところで、観察と空の技法を組み合わせて用いてもいいのでしょうか。
観察したものを、それが空である、と見なすように。

25避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 19:25:30 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚
歯痛の苦痛を修行に変えることは出来ないでしょうか?
死の間際も何らかの病を抱え、苦痛と闘う事があると思います。
観察によって痛みと自分を切り離すようにはしていますが、痛み自体を消す事は出来ないようです。

26避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 19:53:58 ID:WL2yRwjAO
眠りに入っているときは、歯が痛くないと言うことは、痛みも意識が生み出している事になりますよね。
意識が痛みを認識すると痛いが、睡眠や瞑想とかで意識が物理次元を離れると、痛みも消える。
余りに痛くて半ば気絶することもあるのですが
この時も痛みは無い。
痛みどころか身体が認識されてない。
瞑想すると歯の痛み自体も消えると言うことになりますか?
ただ半眠状態だと日常生活が送れないのがネックと言えばネックですが

27避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 20:01:16 ID:WL2yRwjAO
ラマナマハリシは晩年腕に腫瘍が出来てそれが元で亡くなったらしいですが、彼が瞑想の達人だとすると、心理的苦痛だけでなく、物理的な痛み自体も自在に克服出来ていたと見て良いのでしょうか?
バイク乗りとかは運転に集中する余り、道路に足を擦って、膝から下がぶっ飛んで無くなっていても気が付かない事があると言う話があります
意識がそこに無いから痛みもないと言うことになる。
ガソリンスタンドに入ろうとしてコケて気が付いたら足が無かったとか

28避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 20:13:28 ID:mwxzzXgc0
鬼和尚!盤珪禅師の不生禅について何か一言二言三言オナシャス!

29鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/10(日) 21:48:26 ID:jXWtBgtA0
>>20 雑念が流せるようになり、思考が消えるぐらいであれば良いじゃろう。
 同時に思考が己ではないと気付くからのう。
 止観を両方行う利得なのじゃ。

 思考とは意識の上で働くものなのじゃ。
 気付きは観察をひたすら行っていれば自然に訪れるものなのじゃ。
 気付こうとする必要は無いのじゃ。

 ひたすら観察しつづければ悟りは必然的に訪れるのじゃ。
 人に自我を失う恐れが無ければ、確実に観察によって悟る事ができるじゃろう。
 それが偶然に因らなければならない法と違うのじゃ。

>>21>>25>>26>>27 意識が無ければ痛みも無いのじゃ。
 集中する事で痛みが消える事も判るじゃろう。
 それを修行にすることも出来るじゃろう。
 実践あるのみじゃ。

>>23 どういたしまして、またおいでなさい。
 
>>24 二つの法を混ぜてはいかんのじゃ。
 観察を行う時は観察だけをするのじゃ。
 空の法を行う時はそれだけをするのじゃ。
 そうしなければ何をしているか判らなくなるのじゃ。
 
>>28 「無」の一言じゃ。

30避難民のマジレスさん:2014/08/10(日) 21:57:53 ID:.J4fJk/A0
日本でマハリシばりの覚者が生まれたことに感謝。

しかも、修行について、覚者に直接質疑応答できるのも凄い幸運だわ。

31そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/08/11(月) 00:45:27 ID:qZkkA0bk0
>>29
わかりました。
ありがとうございました。

32避難民のマジレスさん:2014/08/11(月) 09:35:50 ID:cUE805gA0
>>29
和尚、ご返答ありがとうございました。
知識的には理解できるものの、体験的にだと半分も理解できていません。
ですが説明されたことを頭に置きつつ、実践に励みたいと思います。

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35鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/11(月) 20:51:52 ID:SPPnKi760
>>30 2500年ぶりのチャンスなのじゃ。
 修行に励むのじゃ。

>>31 どういたしまして、またおいでなさい。

>>32 そうじゃ、実践が気付きを起こし、理解を生むじゃろう。
 またおいでなさい。

36避難民のマジレスさん:2014/08/11(月) 23:22:21 ID:J6Qbzdrs0
マハルシが死んでから、まだ64年しか経ってないぞw

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38避難民のマジレスさん:2014/08/12(火) 16:55:44 ID:iSu4QcTM0
和尚様、他人が自分以外の人間と話す時は楽しそうにしてるのに
自分と話す時はそうではない態度の差が気になってしまいます
相手にされてない感じがして何とも言えない嫌な気分になります
この執着を無くすにはどうしたらいいですか?

39鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/12(火) 21:16:29 ID:J3Vv9BQo0
>>38 その執着がどのような原因から起こるのか探してみるのじゃ。
 それは自分が常に楽しい人と想われたいからかも知れん。
 さらに楽しい人と想われなければ他人が去ってしまうという恐れがあるからかも知れん。
 そうではないかもしれん。
 自ら原因を探し、気付く事があればそのような執着も消えるじゃろう。

40避難民のマジレスさん:2014/08/12(火) 23:15:50 ID:iSu4QcTM0
>>39
ありがとうございます
原因を探してみます

41偽和尚★:2014/08/13(水) 01:49:23 ID:???0
この頃このスレ無関係な書き込みが増えて来て邪魔だからまたお願い書いておくか。

■ お願い

このスレは鬼和尚への質問とその回答のためのスレなので、そうなっていない書き込みは
このスレではなるべくしないでください。それだけを読みたくてここを見に来た人にとっては
内容がなんであろうが邪魔でしかないからです。このスレで無関係な議論や自説の展開が
長引きそうなら避難所スレやその他2chのスレ等に早めに移動してください。

42避難民のマジレスさん:2014/08/13(水) 09:47:51 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん
ただ一つの意識とは、無限大を超える透明で空っぽな入れ物のようなものでしょうか。
空っぽだから全てが在る…?

43避難民のマジレスさん:2014/08/13(水) 09:49:43 ID:rjrCqQY20
言葉にした瞬間に別のものになってしまいますが…。

44避難民のマジレスさん:2014/08/13(水) 09:50:49 ID:lOje8bmY0
鬼和尚、
どのような時に自我の投射が起こるのかについて、お教えください。
縁起によって心の機能が新たに起こった後に、自我の投射は毎回起こるのでしょうか?

また、例えば思考があり、記憶から他の対象が想起され、思考の対象が変わった時にも、改めて自我の投射は起こりますか? それとも思考する自我イメージはそのままあるのでしょうか?

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47sage:2014/08/13(水) 17:54:12 ID:.N4fk.Po0
鬼和尚さま、仕事を失って、体調も崩してしまって、貯金も残りわずか。
もう絶望しか残っていません。
修行も続けてきましたが、生き方をどこかで間違ってしまったのでしょうか。
生きることにも心を観察することにも、疲れてしまいました。
色々頑張ってきましたが、自分の中には薄汚れた欲望と偽善しかありませんでした。

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49避難民のマジレスさん:2014/08/13(水) 20:27:39 ID:rjrCqQY20
>>47
私も過去にあなたと似たような経験をして、鬼和尚にこう言われました。
たとえ偽善でも人は何かしてもらえば喜ぶじゃろう。
わしはそれを真心とよぶじゃろう、と、私はそれからここの住人になりました…。

50避難民のマジレスさん:2014/08/13(水) 20:28:52 ID:rjrCqQY20
自分を大切にしてください。

51鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/13(水) 22:27:31 ID:HYti8BiM0
>>40 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>41 ご苦労さんじゃ。
 正に菩薩の偉業じゃ。

>>42>>43 そのようなものじゃ。
 思考の対象にしてはいかんがのう。
 己が無ければ全てが在るのじゃ。

>>44 当社は常に起こり、刹那に変化していくのじゃ。
 例えば思考している時の自分のイメージと悲しんだりしている時の自分のイメージは違うじゃろう。
 思考の対象が変わる時も変化するじゃろう。
 喜ばしい事を考えれば自我は肥大し、恐ろしい事を考えれば自我は小さくなったりするのが判るじゃろう。
 
>>47 それで良いのじゃ。
 欲と偽善があるとわかれば無欲と善に達する事も出来るのじゃ。
 自らを偽って無欲で善人と思う方が進歩の道は閉ざされているのじゃ。

 無欲になれなければ小欲で良いのじゃ。
 善人になれなくとも小善の者でもよいのじゃ。
 それが進歩であり、成功した人生といえるのじゃ。

 先ずは病を治すと良かろう。
 いざとなれば生活保護とかもあるのじゃ。
 焦らず肉体を治して善を積むと良かろう。
 西式健康法とか気功とかヨーガとかもやってみるとよいのじゃ。
 進歩する者には絶望は無いのじゃ。

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53避難民のマジレスさん:2014/08/13(水) 23:53:57 ID:iSu4QcTM0
和尚様、よろしくお願いします
慈悲は自我を遠ざけ心の知覚領域を増しますが智慧を増やしても同じような果が得られるのですか?
無常の智慧は自我を消すと書いてありましたが、消えた自我の分心が広がるということですか?

54避難民のマジレスさん:2014/08/14(木) 05:25:54 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん

>己が無ければ全てが在るのじゃ

まだまだ言葉やイメージ等に囚われて、中々前へは進めません。
それでも、ここでの回答などを参考にしながら頑張りたいと思います。
ありがとうございました。

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57避難民のマジレスさん:2014/08/14(木) 10:07:08 ID:k7IS4AHUO
>>49
偽善も真心だと思うのは君の勝手だけど
本物の真心というものは、まず自分が喜ぶことをして何より自分を大切に出来た後でなければ
他者に対しても真の善は施せないということを頭に入れておいたがいい。

58避難民のマジレスさん:2014/08/14(木) 10:35:23 ID:rjrCqQY20
その通りでしたね。
あなたも自分が喜ぶことをされているのですね…。

59避難民のマジレスさん:2014/08/14(木) 15:08:05 ID:0Sk4wvvs0
>>51 ありがとうございます。
自我の投射は常に起こり、刹那に変化して行くとのことですね。
では、常に起こる自我のどれかを全体として観られれば、それが観照となるということでしょうか?

自我の観照の機会というものがどれだけあるのかを知りたいです。

60避難民のマジレスさん:2014/08/14(木) 20:08:48 ID:ZqUzQM5w0
>>49 他の方から温かいメッセージをいただけるとは思ってもみませんでした。
とてもうれしいです。自分の不幸しか見えていないことに気付くことができました。
本当にありがとうございます。

>>51 鬼和尚さま、丁寧なアドバイスをありがとうございます。
教えて頂いた健康法も色々勉強して、また元気に働けるようになりたいです。
理想と現実の狭間で自己嫌悪に陥ってますが、これ以上のどん底はないと、
少しでも前を向いて歩もうと思います。
覚者の皆さまがどれほどの意思力で修行に打ち込んでいたか、畏敬の念しかありません。
すぐに逃げ出すことを考えてしまう自分ですが、もう少し強くありたいです。

61鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/14(木) 21:50:10 ID:QyWZckdI0
>>53 純粋な智慧を求めれば必然的に無我を目指さなければならなくなる事もあるじゃろう。
 自分本位の思考を減らさなければ、智慧は曇るからのう。
 自我があればそのような障害があり、無我になって障害がなくなれば智慧は増大するのじゃ。
 どのような道にもそのような関連があるものじゃ。

>>54 そうじゃ、頑張るのじゃ。
 またおいでなさい。

>>59 そうじゃ、一度でも観られれば全ての自我は消えるのじゃ。
 例えば鏡の中に人を見ていた者が、一度でもそれを鏡と気付けば中の人はいないとわかるようにのう。
 観念でしかない自我も一度観られれば、もはや己と見紛う事もなくなるのじゃ。
 その機会は何時でも何処にでもあるじゃろう。
 集中力観察力を増して刹那の機会を捉えるのじゃ。
 
>>60 そうじゃ、焦らずに休めば良いのじゃ。
 肉体を治せばそれが叉良い経験になるじゃろう。
 またおいでなさい。

6253:2014/08/14(木) 23:21:12 ID:wEhblEZA0
>>61
ありがとうございます

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64避難民のマジレスさん:2014/08/15(金) 17:26:18 ID:lOje8bmY0
>>61
何時でも何処にでもある、刹那に起こる自我観照の機会を捉えるため、さらに止観に励みます。
ありがとうございました。

65避難民のマジレスさん:2014/08/15(金) 20:07:23 ID:RwIoastI0
鬼和尚。感覚、思考、身体、そしてそれらを見るものを見るようにしているが、悟れない。
悟ろうともせず、悟ろうとしている自分を含めて、淡々と観察していればいいのだろうか?

66鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/15(金) 22:02:16 ID:HYc4RqWk0
>>62 どういたしまして、またおいでなさい。

>>64 そうじゃ、励むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>65 それらを観察するのはつまる所、自分と言うものを観察するためなのじゃ。
 自分とは何か?
 何が自分なのか?
 何を感じる時に自分と言うものを感じるのか?
 何を考える時、自分というものを考えているのか?
 それらを深く追求するのじゃ。
 今まで観察してきた事もその追求の助けになるじゃろう。
 恐れを乗り越えて追求し続けるならば悟りはやってくるじゃろう。

67避難民のマジレスさん:2014/08/16(土) 02:56:01 ID:LC3de7YgO
鬼和尚 こんばんは(*^(ェ)^*)/
瞑想中にわく雑念、そのぼーっと考えている主体は自我に相違ないと思いますが、雑念に気付き集中対象に戻る瞬間を観察してみると、一瞬前まで明瞭に浮かんでいたことがらが、すーっと跡形もなく消える。夢から覚める時に似て、とどめようと意識しないとどんな雑念かも思い出せなくなる。
ということは、自我とは夢のようなものなのかな…と思いました。
ところで、ケッカフザにもすっかりなれ、足の痺れが瞑想の邪魔をすることはほとんどなくなりました。股関節や足首の柔軟性が増し身体が慣れたというのは間違いないのですが、多少痺れがある時でも、それが=邪魔=苦に繋がらなくなっているように感じます。
以前、ケッカフザができるようになって、まだ痺れと悪戦苦闘しているときでしたが、2週間ほどの期間、痺れが抜歯時の麻酔をしているときのように全く感じなくなったことがありました。このての瞑想中に経験する自分にはまだ早すぎるだろうと思われる経験は、案の定しばらくの間で消えますが、あの麻酔をしているときのような感じが、厭離なのでしょうか?
今感じてる、痺れがあってもそれが邪魔にならない感じも厭離と言えるのでしょうか?

68避難民のマジレスさん:2014/08/16(土) 10:15:10 ID:YXJjgr6A0
鬼和尚、
パパジも悟りを得ているのでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=-ZKOcT9rRo8
では、時々眼が動いているように見えますが。


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