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仏教議論スレッド 避難所1
156
:
おじゃる
:2014/09/17(水) 23:03:22 ID:L.0Wb2sg0
ttp://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec44.html
国土交通省
江戸も風水で造設されたまちなのです
関東平野にある江戸は必ずしも理想的な土地ではありませんでした
それを徳川家康や 『 天海僧正 』 が「言霊法」というものを使ってあちこちに霊力のある山の名前を与えています
また、もともと江戸のまちに流れてくる「龍脈」から吹き上げてくるよい「気」を集めて
それを循環させるために甲州街道、東海道をつくりました
それらと、富士山や秩父山系から神田明神を通る3本の「龍脈」が江戸を支えています
江戸は 『 天海僧正 』 らが将軍3代にもわたり、川の流れを変えてまで「気」が集まるように細工したので
現在でもまだその影響が残っていて、日本は東京を中心に考えられるようにできているのです
しかし平安京も様々な角度から風水を駆使し、不動の都として栄えましたが
時代を経る中で、次第に左京と右京のバランスが崩れてきて、その土地の気運が変わっていきました
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8
江戸
城下町において武家地、町人地とならぶ要素は寺社地であるが、江戸では寺社の配置に風水の思想が重視されたという
そもそも江戸城が徳川氏の城に選ばれた理由の一因には、江戸の地が当初は
北の玄武は麹町台地、東の青龍は平川、南の朱雀は日比谷入江、西の白虎は東海道
江戸の拡大後は
玄武に本郷台地、青龍に大川(隅田川)、朱雀に江戸湾、白虎に甲州街道と四神相応に則っている点とされる
関東の独立を掲げた武将で、代表的な怨霊でもある平将門を祭る神田明神は
大手門前(現在の首塚周辺)から、江戸城の鬼門にあたる駿河台へと移され、江戸惣鎮守として奉られた
また、江戸城の建設に伴って城内にあった山王権現(現在の日枝神社)は裏鬼門である赤坂へと移される
更に、家康の帰依していた天台宗の僧 『 天海 』 が江戸城の鬼門にあたる上野忍岡を拝領
京都の鬼門封じである比叡山に倣って堂塔を建設し、1625年に寛永寺を開山した
寛永寺の山号は東叡山、すなわち東の比叡山を意味しており、寺号は延暦寺と同じように建立時の年号から取られている
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